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ミャンマー戦に続くW杯アジア2次予選の消化試合。森保一監督はシリア戦に再び3バックで臨んだ。とは言っても、それは5日前に披露したものとは少々異なっていた。
ミャンマー戦は左右非対称で、シリア戦は左右対象な3バック。ひと言で言えばそうなる。
右サイドバック(SB)菅原由勢に高めの位置を取らせることで"3バックっぽく"なったミャンマー戦。その結果、残る最終ラインの3人は、右に少しずれて構えることになったが、伊藤洋輝は、それでも左センターバック(CB)というより左SBに近かった。その分だけ、中村敬斗は右の菅原より高い位置を取ることができた。つまり中村と菅原はウイングバックとして非対称な関係にあった。構える高さが違っていた。中村は実際、ウイングと言ったほうが相応しいプレーぶりで、攻撃に貢献した。
ピッチの左側は4バック時の配置と遜色なかったのに対し、右側は3バック的に構えた。4バック時なら右ウイングとして、左の中村と同じバランスで立つ堂安律は、サイドアタッカーではなく中央寄りで構えた。
偶然そうなったのではない。意図的であることは明白。左右非対称の3バックこそが森保監督の狙いだった。3バックと言うより4バックとの可変式。5バックになりにくい3バックだった。森保監督はこのシリア戦後の会見で、それを「ボールを握る」という言葉を用いて説明、攻撃的であることをアピールした。そうなった原因は相手の弱さにあるとの分析ではなかった。
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その5日後のシリア戦で3バックの中身は一転、左右対称に変わる。左右の両ウイングバック中村、堂安は同じ高さで構えた。3か4かの可変式でなく、5バックになりやすい王道を行く3バック。シャドーのふたり、久保建英と南野拓実の関係にも大きな偏りはなかった。久保が堂安と入れ替わりで外に開くことはあったが、文字どおりの3−4−2−1と言ってよかった。
相手のシリアは弱者である。サイドを使いながら前進してくる機会は実際、けっして多くなかった。だからともすると、それは守備的な3バックには映らなかった。森保監督もボールを握るサッカー=攻撃的であると説明した。
5バックになる時間は、相手のレベルに比例して増えるとは思っていない様子だった。シリアだから、ミャンマーだから守備的にならなかったのだという筆者の見解とは異なった。
【なぜ布陣をいじろうとするのか】
森保監督は後半開始と同時に活躍の中村を下げ、伊藤を投入。布陣を4−3−3に変更した。こちらは誰が見ても攻撃的サッカーだ。高い位置から網が掛かりやすい布陣である。世の中の流れに準じたスタイルに回帰したわけだが、喜ぶことはできなかった。
消化試合である。確かに何かを試すにはまたとない機会である。だが、相手が弱いので、テストが成功だったのか不成功だったのかは判然としない。試合に勝ったから、得点が多く決まったから布陣のテストは成功したと考えるのは、楽観的かつ短絡的である。
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こうした弱者相手の消化試合を有効に使うなら、布陣のテストより、まず新顔のテストだろう。本番が2年後であることを考えると、いまは畑を耕すことのほうが重要だ。2年は長い。9月から始まるW杯アジア最終予選だが、出場枠は8.5もある。前にも述べたが、実力と枠数の関係で、日本は世界で最も緩い環境に身を置いている。大騒ぎせず、もっと客観的な視点に立ち、じっくり構える必要性を感じる。
布陣はむしろ変えすぎだ。いまのメンバーならば、4−2−3−1と4−3−3は普通にできることはわかっている。そんなに3バックを試したいのなら、後半も4−3−3に戻さずに徹底的にやればいい。
だがその前に語るべきは、森保監督がやりたいサッカーだろう。なぜ布陣を日替わりメニューのようにいじろうとするのか。筆者にはまるで理解できない。
「臨機応変」。森保監督が発したワードから紐解くと、その4文字熟語に辿り着く。だが、世界のサッカーを眺めても、過去を含め、4−2−3−1、4−3−3、3−4−3をコロコロ変えて試合に臨む監督は見たことがない。何がしたいのか。どんなサッカーがしたいのか。布陣は本質論に基づいて決定されるものだ。
その本質が森保サッカーには見えない。哲学的でない。その哲学がもし「臨機応変」ならば、自分の好み、志向は存在しないということか。世の中には攻撃的サッカーと守備的サッカーがある。前で守るか、後ろで守るか。それらを使い分けるという考え方もあるが、ならばどうしたときに使い分けるのか、そこを説明しなければ、感覚的な話になる。臨機応変だけでは言葉足らず、説明不足もいいところだ。
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【布陣だけを真似るように使ってきた日本】
使い分けることができれば、それはまさに達人になるが、4−2−3−1、4−3−3、3−4−3にはそれぞれ特徴がある。3−4−3に至っては、中盤フラット型もあれば、中盤ダイヤモンド型もある。3−4−2−1もあれば、3−4−1−2もある。森保監督がミャンマー戦で使用したような、そのいずれにも属さない特殊なものもある。流れのスポーツであるサッカーでそれぞれを完璧に使い分けることができるのか。
シリア戦の後半、3バックから4バックに変えた瞬間に想起したのは野球だ。7回、8回、9回と、後半になると機会が増える投手交代である。森保監督の臨機応変は、継投策を練る野球監督に似ている。
ロシアW杯の2カ月前に就任した前任の西野朗監督にも、同じ傾向があった。想起するのは、西野ジャパンとして国内で行なわれた最初で最後の親善試合、ガーナ戦だ。西野監督は試合前「3バックで戦うつもりだ」と述べた。「ハリルホジッチがずっと4バックで戦ってきたので、1試合ぐらい3バックをやっておかないと......」。それが理由だった。
そして前半、5バックになりやすい守備的な3バックで臨み苦戦すると、後半はあっさり4−2−3−1に変更。突っ込みどころ満載と言いたくなる采配だった。
日本人のサッカー監督のこれがスタンダードなのだと思う。西野元監督、森保監督が例外だとは思えない。Jリーグの日本人監督にもこのタイプは当たり前のように存在する。
日本に4−2−3−1が入ってきたのはオシムジャパンの終盤から岡田ジャパンの時代にかけてだった。攻撃的サッカー、プレッシングの流れとセットで導入されたわけではなかった。
欧州で4−2−3−1が流行した頃の論戦や経緯を知る者にとって、日本人の監督が何の宣言もなく、布陣だけを真似るように使用する姿、その背景に潜む歴史、コンセプト、哲学を学ぶことなく流行りものに手を出すかのような姿は、あまりにも軽く短絡的に映った。こだわりのなさがとても罪深く映った。
日本には方向性についての論戦がない。たとえば欧州でどんな論戦が起きているのか、興味を示そうともしなかった。指導者、さらにはメディアの勉強不足は目に余った。先述の西野発言や森保采配は、そうした背景から生まれた産物と言うべきである。
野球では1回や2回ぐらい投手交代を失敗しても解任論には至らない。しかしサッカーはそうはいかない。一貫性を欠く致命的エラーとして記憶される。守備固めに入ったにもかかわらず、同点弾、逆転弾を浴びる怖さを、森保監督は知るべきである。サッカーにおいて「臨機応変」は、ブレたと言われることはあっても、監督のカラーにはなり得ないのである。