【今週はこれを読め! ミステリー編】荻原浩『笑う森』が無類におもしろい!

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2024年06月12日 11:10  BOOK STAND

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『笑う森』荻原 浩 新潮社
 無条件で信用できる作家だとわかっていたけど、これだもんなあ。

 荻原浩『笑う森』が素晴らしいので全ミステリー・ファンに読んでもらいたい。ミステリーだけじゃなくてすべての愛する人に読んでもらいたい。

 行方不明になっていた5歳の男児が森で発見される場面から話は始まる。その山崎真人は、自閉症スペクトラム障害と診断されており、同世代のこどもと同じようなコミュニケーションを取ることも難しい。だからなおさら心配されていたのだ。いなくなったのは自殺が多発することから小樹海と呼ばれることもある神森で、すでに1週間が経過して生存は絶望視されていた。だから発見されたのは奇跡に近いことだったのである。

 不思議なことに、1週間も森の中をさまよっていたにしては真人は衰弱していなかった。体重が減っていないのは食事をきちんと摂っていたということだ。誰かが彼を助けてくれたのだろうか。空白の1週間では何が起きていたのか、というのが本書を牽引する謎になる。調べるのは、真人の叔父である冬也だ。真人の母・岬にとっては、亡き夫・春太郎の弟にあたる。保育士として働いている冬也が、甥の言動に着目して、彼が出会ったかもしれない人々を探し当てていく、というのが現在パートの主筋となる。真人には、生還後明らかに変わった点がいくつかあった。箇条書きにすると、以下の通り。

その1、木を使った原始的な火おこしの真似をするようになった。
その2、童謡「森のくまさん」を歌うようになった。
その3、夜中に叫ぶ。収まっていた夜驚症がぶり返した。
その4、誰も教えていない「鳴くよウグイス平安京」などの言葉を口にするようになった。
その5、救出されたとき「誰が助けてくれたの」と聞かれて「くまさん」と答えた。
その6、同じ配列の積み木を何度も並べる。

 これらが真相を指し示す手がかりなのである。ああ、そういうことかな、と察しがつくものもあれば、何がなんだかわからないものもある。どうやって伏線回収するのか、と考えながら読んでいたら、最後の最後に人を喰ったような展開があって驚かされた。まったくもう、荻原浩ときたら。想像の斜め上を行くという言葉があるが、これは想像に後ろから肩を叩かれた感じである。とんとん、もしもし、私ここにいますけど、と。

 現在パートと空白の1週間を描いた過去パートが交互に進んでいく構成になっており、早い段階でどんな人が真人と接触したかは明かされる。誰が、が問題なのではなくて、その人がどう接触したのか、に謎の核心があるわけだ。どんな人々かを書くと予断を与えてしまうと思うので、ここでは触れないことにする。1人だけ許してもらえれば、真人が会った中には女性の中学教師がいた。その畠山理美は、生徒たちに馬鹿にされて学級崩壊になってしまったことを気に病み、神森で死のうとしていたのである。そんな自殺志願者がどのように遭難したこどもと出会ったか、そのことによって彼女の運命がどう変化したか、ということは読んで確認いただきたいと思う。

 これだけでも十分におもしろいのだが、後半に荻原はもう一つ趣向を準備している。山崎岬は、我が子が行方不明になったことに心を痛め、捜索隊にある暴言を吐いてしまっていた。それがニュースで流されたためにインターネットで反応があり、いわゆる炎上状態になってしまっていたのだ。中には、岬が真人を虐待していたとか、ホスト狂いで育児放棄をしていた、と根も葉もないことを書く者も現れていた。そうした書き込みは無限に拡散してしまう。冬也が協力を申し出たのは、そうした事態に心を痛めていたからでもある。

 物語の後半では、ある人物の協力を得て冬也がネット上の中傷犯を探していく展開が加わる。ここの流れは緻密で、やはりミステリーファンにはたまらないところである。ユーモア小説の印象が強い荻原だが、優れた犯罪小説の書き手でもある。私のお気に入りは、元暗殺者の女性が主人公の『ママの狙撃銃』である。子育てと暗殺というまったくかけ離れた要素が、一人の人格を形成するものとしてぴたっと嵌まり、他にない読み心地を提供してくれていた。実にすかっとする結末が同作では準備されていたのだが、本作のそれも負けず劣らず素晴らしい。荻原浩はかっこいい物語の書き手でもあるのだ。

 400ページ超、けっこうな分量がある小説だが、長さは気にならず一気に読んでしまうと思う。ページをめくる人への配慮も行き届いている。たとえば真人が生還することは冒頭で明かされているので、最悪の事態にはならないという保証がされたようなものだ。それと同じで、読んでいてどっきりする瞬間はあるが、決してこの作家なら読者の信頼を裏切るような真似はしないという安心感がある。全篇が楽しい。そしてハラハラさせられる。随所に驚きがあり、胸のすくような場面が描かれる。つまり無類におもしろいということなのだ。

(杉江松恋)


『笑う森』
著者:荻原 浩
出版社:新潮社
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