宮澤ひなた「マンチェスターでやってきた自分の成長した姿を見せたい」パリ五輪に向け完全復活宣言

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2024年06月14日 07:20  webスポルティーバ

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なでしこジャパン
宮澤ひなたインタビュー(後編)

 女子ワールドカップ得点王――この称号をどう受け止めるか。

 イングランドの強豪マンチェスター・ユナイテッドでプレーし、なでしこジャパンのメンバーでもある宮澤ひなたにとって、この称号が時に重圧となることもあれば、時に大きな後押しになることもある。それは、本人の受け止め方次第である。

 パリ五輪代表メンバー発表前のなでしこジャパンのスペイン遠征では、昨年12月のブラジル遠征でケガを負って戦列を離れていた宮澤がどんなプレーを見せるのか、大きな注目を集めた。プライドと意地を持って臨んだ最後のアピールの場だったが、彼女の前には大きな壁が立ちはだかっていた――。

前編◆宮澤ひなた、紆余曲折を経てつかんだ栄光と世界への扉>>

――世界のトップリーグとされるイングランドのスーパーリーグ。各国の代表選手が集まるリーグで実際に戦ってみての率直な感想を聞かせてください。

宮澤ひなた(以下、宮澤)「そろそろ海外へ行かないといけない」「このままだと置いていかれてしまう」と思うきっかけになったのが、イングランドとの国際親善試合(2022年11月/0−4)だったので、その国のリーグでプレーすることへの想いはありました。

(同リーグは)チームによって色は違いますけど、フィジカルは絶対に必要。みんな強いし、蹴れるし、走れるし。そこは、イメージどおりでした。でもそのなかで、日本人のよさをあらためて知ることになりました。器用さ――細かい修正だったり、相手を動かす動きだったり、その辺りのこだわりは実は日本のほうが強いんじゃないかなと思います。

 このパスは右足にほしいとか、(自分が)こう動いたらこのスペースが空くから(そこにパスがほしい)とか、日本では感覚的にみんながわかっていて、一緒にプレーしていても意思疎通ができるんですが、イングランドではそうはいかない。つないでほしいのに蹴っちゃうとか、柔らかいパスがほしいのに強いパスが来ちゃうとか......。

 世界のトップレベルのサッカーを体感するなかで、海外選手のタレント力と日本の選手のよさ、両面を感じることができているような気がします。

――マンチェスター・ユナイテッドで自らの存在を確立し、これからも生き残っていくために、さらに自分に加えたい要素はありますか。

宮澤 英語力! ピッチ上では意外と、何となく(周りの選手が何を言っているのか)わかるんですよ。でも、こちらが要求したいことが思うように伝えられない。どういう意図でこのパスを出したのか、もっと人と人との間にいてほしいとか。単語では言いますけど、細かいニュアンスが伝わらず、繊細なコンビネーションプレーや、ちょっとした修正をした時など、どうしても1テンポ(プレーが)遅れてしまうんです。

 監督からは、ボランチでは「ゲームを落ちつかせてほしい」、1.5列目では「チャンスメイクをしてほしい」と言われていて、スピードよりゲームコントロールを期待されているので、なおさらコミュニケーションの必要性を感じています。

――それが実現できれば、ワールドクラスの能力の高い選手を"使える"面白さが増しそうですね。

宮澤 それはありますね。でもそういう能力の高い選手って、味方を使うことより、自分で仕掛けていきたいんですよね。サポートに行ってもこっちを使わずに仕掛けちゃう。たとえ敵3人に囲まれていても行っちゃいますからね(苦笑)。日本では、相手に囲まれたら(仕掛けるのを)やめる判断もあるけど、それがない。逆に「なんで日本人は自分で行かないんだ」って言われてしまう。

 どんどん仕掛けていくのは外国人選手のいいところでもあるので、考え方次第ではあるんですが......。そこを我慢して人を使って自分も生きるとか、あえて(ボールに)絡まずにタイミングを見て自分がスペースに出ていくとか、そういう部分をチームとしてすり合わせていけば、自分がパスを出せる選手がもっと増えるし、チャンスは広がるはずなんですが。

――そういったことを経験し、いろいろと吸収している真っ只中の昨年12月に負傷。かなりキツかったと思います。

宮澤 そうですね。あそこでゲガをしていなかったら、シーズンを通してスタメンに定着できたかもなって思うことは何度もありました......。

――マンチェスターでは活躍の糸口を見つけかけたタイミングで、なでしこジャパンではパリ五輪へ向けて新しいオプションを試す時期でもありましたからね。

宮澤 いろいろなことが頭をよぎりました......。マンチェスターではようやくゴールを決めて、やっと自分のプレーをわかってもらえるようになって「これからだな」というタイミングでしたし。オリンピックに向けては、「ああ、全治4カ月かぁ」「アジア最終予選には行けないな」といった感じで。

 本当にあのケガはキツかったですね。じん帯も切れていて、初めての手術でしたから。歩けるようになるまで、孤独でした......。それでも、リハビリ中に「オリンピックには間に合う!」「間に合うなら、この時期(のケガ)でよかった」っていう気持ちに変化していきました。

――戦列を離れてからおよそ4カ月後、今年4月のアメリカ遠征からなでしこジャパンにも復帰しました。

宮澤 正直、あそこでブラジルと対戦して「また、ああならないか」という怖さがありました。でも、オリンピックでもブラジルと当たるから、そこまで怖さを持っていくよりも、その前に(怖さを)消しておいたほうがいい。今、克服できることがひとつある、というふうに思うようにしました。

 そして実際、「大丈夫だ」と自分のなかで確認できた。ですから、あのタイミングで(代表に)呼んでもらえたのは、自分にとって大きな一歩になりました。

――宮澤選手が戦列を離れている間に攻撃陣の争いも激化。先日、パリ五輪代表メンバー発表前の最後のスペイン遠征(ニュージーランドと親善試合を2試合消化)もありましたが、その辺りをどう捉えていますか。

宮澤 みんな、目指しているものが一緒ですからね。他にも何人かケガ人が出て、(ワールドカップからは)メンバーも少し変わっているなかで、五輪代表メンバーの枠は18。すごくシビアだと感じています。

 前回のアメリカ遠征では、試合に絡むというよりも(自分は)調整の色が濃くて、アピールの機会が少なかった。ですから、スペイン遠征ではその時以上にパフォーマンスのよさをアピールすることが必要でした。でも初戦では、左サイドで初めて(北川)ひかるさん(INAC神戸レオネッサ)、(古賀)塔子(フェイエノールト)らと組んだ難しさもあって、まったくボールに触ることができませんでした。

――試合の中日には、同サイドの選手たちと積極的にコミュニケーションを取っていました。おかげで、2戦目では初戦よりもいい形が作れたように見えました。

宮澤 まだ走る角度は浅いですけど、初戦よりも少しやりやすくなったことで、ボールには触れるようになりました。まだまだですけど、ひかるさんとは同じ感覚を持てていますから、お互いのよさを生かし合えるようにしたいです。

――後半には、ウィングバックのポジションにも入りました。

宮澤 それについては、ワールドカップで(遠藤)純(エンジェル・シティ)と組んだ時、彼女が中を伺う時の自分の位置だったので、少し懐かしかったです。18名という枠を考えて、自分がウィングバックに入ることは練習の時からやっていたので、頭の片隅には入っていました。あくまでもオプションですけど、久しぶりに前が開けて思いきり走れましたし、可能性は広げていかないと。

――マンチェスターで揉まれてきた今の宮澤選手の強みとは何でしょうか。

宮澤 自分がなぜ海外へ行ったかというのを思い返せば、拮抗した戦いのなかで(自分が)個ではがせたり、チームに勢いをつけたり、個で戦えるようになりたいと思ったから。ワールドカップでは、味方のパスやサポート、いろんなタイミングがあって(自分の)ゴールという形になりましたが、それに加えて今度は、個で1対1になった時にこそ、力を発揮したい。そこで、マンチェスターでやってきた自分の成長した姿を見せたいです。

 対人や相手との間合いの取り方のところでも、プラスに転じたい。これまでは身体の線も細くて、どうしてもスピード頼りの部分がありましたけど、今では(相手に)身体を当てて、強引にでもこじ開けていくようなプレーも出せるようになりました。常に裏を狙いつつ、意表を突くようなプレーを見せたいですね。

――では最後に、マンチェスターでの目標と、なでしこジャパンでの目標を聞かせてください。

宮澤 マンチェスターでは、来シーズンはケガなく、スタートからコンスタントに試合に出続けること。と同時に、目に見える結果がほしいです!

 なでしこジャパンでは、まずはパリ五輪の代表メンバーに選ばれること。ワールドカップでは準々決勝で敗退した悔しさがあるので、オリンピックで優勝することが大きな目標です。その道筋は見えていますし、そのためにもチームを助けられるような、勢いをつけられる選手になりたい。

 どちらにも共通するのは結果。自分が絡んだゴールでチームを勝たせて、日本のみなさんにもサッカーを通して元気を届けられるようにしたいです。頑張ります!

(おわり)

宮澤ひなた(みやざわ・ひなた)
1999年11月28日生まれ。神奈川県出身。スピードとテクニックを秘めたMF。星槎国際高湘南のエースとして奮闘。その間、世代別の代表でも力を発揮して、卒業後は日テレ・ベレーザ入り。ただ、ベレーザでは思うような働きができず、2021年にマイナビ仙台レディースに完全移籍。再び存在感を示すと、なでしこジャパンにも復帰。2023年女子ワールドカップでは得点王に輝くほどの目覚ましいプレーぶりで、チームの勝利に貢献した。ワールドカップ後にイングランドの強豪、マンチェスター・ユナイテッドに移籍。パリ五輪でもその活躍が期待される。身長160cm。

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