橋岡大樹が海外でプレーする際、チームメイトに嫌がられても「あくまで強気な態度で臨んでいる」理由

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2024年07月30日 10:21  webスポルティーバ

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サッカー海外組「外国でプレーしてみたら驚いた」話 
橋岡大樹(ルートン・タウン) 前編

現在、相当数の日本人サッカー選手が、欧州をはじめとした外国でプレーしているが、そこには言葉の壁も含め、数多くの見えないギャップや体験があることが想像される。それをどう乗り越えてピッチ上でいいパフォーマンスをするのか。今回は2021年にベルギーのシント=トロイデンVVへ渡り、現在はイングランドのルートン・タウンFCでプレーしている橋岡大樹に話を聞いた。

【動画】橋岡大樹の今だから話せる海外移籍裏話↓↓↓

【海外移籍直前。日本を離れるのが嫌になった】

「子どものころからの憧れ、そういうことでもなかったんですよ。欧州のサッカーは観ていた。でもそこに自分が行く、という実感はなくて......」

 橋岡大樹にとっての欧州の位置づけは、もともとそういったところだった。

 1999年生まれ、184cmのセンターバックは、2018年に浦和レッズユースからトップチームに正式に昇格。2021年1月からベルギーのシント=トロイデンに渡り、今年1月からはイングランドのルートン・タウンでプレーする。日本代表では2019年12月に初キャップを記録後、これまで9試合に出場した。

 埼玉県さいたま市浦和の出身。そのほかの場所に住んだことがなかった。小さいころから地元が大好きで、国内でどこか遠出しても「早く家に帰りたい」と思った。U−15以降の日本代表にも選出され続けてきたため、フランスやチェコ、スペインなどへの遠征で2週間ほど家を空けたのが「最長」だった。

 そんな橋岡だったが、2017年のユース時代に浦和レッズのトップチームに登録されて以降、考えが変わっていく。

「Jリーグでプレーするなかで、海外はもっとレベルが高い場所なのかな? と想像し始めたんです。シンプルに、海外で活躍している選手がかっこいいと思った。当時は長友佑都選手や香川真司選手がセリエAやブンデスリーガで活躍していて、プロに入ってからそのすごさがわかり、海外で挑戦している人に憧れを抱くようになりました」

 憧れは、華やかさだけではない。ストイックでもありたいと思った。

「Jリーグには日本人選手が多く、環境的にはとてもいいと思います。しかし、海外に行けば日本語が通じず、英語だけでやらなければならない。そういう環境に身を置きたいとも思ったんです」

 そう思っていた矢先、2021年1月にオファーが届いた。ベルギーのシント=トロイデンからのレンタル移籍の申し出だった。その段になると、意外な感情が襲い掛かってきた。橋岡は「今まであまり話してこなかったこと」として、ある点を明らかにした。

「いざ行くとなると、2週間くらい前から日本から離れるのが本当に嫌になっちゃったんですよ。海外でプレーはしたいのですが、友だちとも会えなくなるし。本当に行ったら、半年に1回とか1年に1回しか帰ってこれないのかと思っていたのをよく覚えています」

 そんな感情にあった橋岡に追い討ちをかけるように、コロナ禍だった当時の複雑な状況も橋岡本人に押し寄せてきた。

「オファーがギリギリのタイミングで届いたので......冬のウィンドーの期限日である1月31日までに現地に行ってサインしないといけなかったんですが、コロナの影響で飛行機の便数が減っていて。オランダ直行便も1日1本しか出ていませんでした」

 1月28日、さあ、飛行機に乗ろうという段になって先方から連絡が入る。「契約書に不備がある」のだと。

「さらに1日待ってほしいと言われたのです。もう本当にギリギリでした。仮にフライトがキャンセルや遅延になったり、自分がコロナに感染していたら、その時にベルギーに行けていなかったでしょう。本当にギリギリ、現地時間の1月31日にサインができました」

【練習中にかなり激しくプレーした】

 そんなこんなで「欧州がどんな場所か」と想像する余裕など全くなかった。

 着いてみると、チームメイトに日本人がたくさんいたし、現地邦人も助けてくれた。

 ただ困ったのは、現地のお店が「21時閉店」というのに「お客さんがいない」と、平気で20時45分くらいでも閉店してしまうことだった。また、人口3万9000人の小都市シント=トロイデンは日本料理の食材を調達するのが大変で、米を購入するのにも日本食のレストランに行くにも車で1時間かかった。

 しかし、橋岡にはまだまだ大変な状況があった。移籍期限ぎりぎりにサインした関係で、現地でプレーするためのビザ取得が間に合わなかったのだ。チームを離れ、ひとりでトレーニングするしかなかった。

「チームの練習場も使用できなかったんです。公園などで走ったり、線路沿いの小さな空き地でサッカーをしたりしていました。ああ、オレ本当にプロなのかなとさえ思ったりして......」

 2週間ほど経ち、ようやくチームに合流しての練習参加が認められた。橋岡はこの時"とにかく突っ走った"。まさに堰(せき)を切ったかのように。

「練習中にかなり激しくプレーしたんです。もともと日本でも練習から激しくいくスタイルでもあったので。このためにチームメイトに嫌がられることもありました」

 ベルギーはドイツ語、フランス語、そしてオランダ語とフランス語が入り混じったようなフラマン語が公用語だ。シント=トロイデンはフラマン語圏。複数言語が入り交じるなか、チーム内では「公用語」だった英語で言われた。

"そこまで本気で来ないでほしい。ケガをしたくない"

「少し厳しく言われることもありました。でも僕は『普通でしょ?』という態度を取ったんです。言われても言い返したりして。あくまで強気な態度で臨みました。厳しいプレーを続けたので、ほかの選手からすれば、僕は非常に嫌な存在だったかもしれません。

 結局のところ、そこにいる選手たちと永久に一緒にプレーするわけではありません。お互い、移籍などもあるでしょうし、様々な変化があります。仲よく過ごすことが目的ではなく、自分がいいプレーができればと考えていました。そのため、相手にどう思われようと、自分の成長のためであれば何をしてもいいとすら」

【いい人として見られて終わるべきじゃない】

 なぜ、そこまで? 故郷・浦和を離れることにマリッジブルーのような心境になり、出発直前のドタバタで、欧州のことすらまったく想像していなかったはずなのに、なぜ橋岡は「強気で行きすぎて嫌われるほど」になったのか。

 そこには周囲の選手たちの助言もあった。

「日本を発つ前に、鈴木優磨選手(現・鹿島アントラーズ。2019〜21年までシント=トロイデン所属)からアドバイスを受けたんです。試合で対戦する機会はあったんですが、直接の面識はありませんでした。でも誰かから連絡先を聞いてくれたのでしょう。『お前、シント=トロイデンに来るんだって?』と。そして、簡単に試合に出場できるわけではないとか、チームについて様々な説明をしてくれました」

 さらに一番大切なこととして、こう言われた。

「現地に行って軽く見られないこと。最初の印象がとても重要。最初から"いい人"として見られて、それで終わるべきじゃない。その人たちと永久に一緒にいるわけではないと」

 シント=トロイデンは多くの日本人プレーヤーが在籍することでも有名だが、ほかの選手からもアドバイスを受けた。伊藤達哉(2019〜22年に所属。現・マクデブルク/ドイツ)はこう言っていたという。

「まず、自分のよさであるアグレッシブなプレーを、何を言われても出し続けたほうがいい」

 果たして、橋岡は性格を変えて"悪人"になったのか。そういうことではない。

「考え方の切り替えをしたということです。そもそもヨーロッパの人たちって、うわーっと言い合いをしても、その後まったく気にかけていないことが多いですから。他人に気を払っていないというか」

 橋岡の行動の正しさは、結果によって証明された。

 ベルギーでは2021〜24年1月までの間に91試合に出場。2ゴール12アシストの結果を残した。2023年からは日本代表への招集機会も増え、ドイツに4−1で勝ったあの伝説のヴォルフスブルクの試合でも、後半39分から出場を果たした。

 結果、世界最高峰のイングランド・プレミアリーグのクラブからオファーが届くのだ。

後編「橋岡大樹が実践するイングランドでの生き方」へつづく>>

橋岡大樹 
はしおか・だいき/1999年5月17日生まれ。埼玉県出身。浦和レッズのアカデミーで育ち、2018年にトップチームに昇格。DFで活躍しJ1で74試合出場4得点。2021年1月にベルギーのシント=トロイデンVVへ。4シーズンプレーしたのち、2024年1月にイングランドのルートン・タウンFCに移籍して活躍している。各年代の日本代表にも選ばれてきて2021年には東京五輪に出場。2019年以降A代表でもプレーしている。

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