女子ラグビー:桑井亜乃×中村知春 レフェリー・選手の異なる立場でパリオリンピックに出場した親友ふたりがスタジアム内で感動の対面を果たす

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2024年08月17日 10:20  webスポルティーバ

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中村知春×桑井亜乃 スペシャル対談 前編

 数々のストーリーを紡ぎ出したパリオリンピック。そんななかで、3回目の開催となった女子ラグビー(7人制)において、異なる立場で出場したふたりがいる。

 バスケットボールからラグビーに転向した中村知春(36歳)。10年以上、「サクラセブンズ」こと7人制ラグビーの女子日本代表を先頭に立って引っ張ってきたレジェンドであり、2016年リオデジャネイロ大会以来二度目のオリンピック出場となったこのパリ大会で、過去最高の9位に大きく貢献した。

 陸上の投てきから転向した桑井亜乃(34歳)。リオデジャネイロオリンピックに出場したあと、レフェリーに転向。パリ大会では、世界のラグビー界で初めて、選手としてもレフェリーとしてもオリンピックの舞台に立つという偉業を達成した。

 かつてのチームメイトで、他競技からの転向組。学年は中村がひとつ上という間柄である仲良しコンビに、いろんな思いを背負って出場したパリオリンピックを振り返ってもらった。

【過去を払拭できたパリ大会】

――まず中村選手から。サクラセブンズとしては過去最高の9位で終えました。

中村 これがオリンピックだっていうよさを感じられましたし、出場できてすごく幸せだなと思いました。リオ大会は視野が全然なく、楽しむ余裕が正直なかったですが、パリ大会はいろんな景色を見る余裕がありました。女子ラグビーの観客記録となった66,000人というお客さんの数など、オリンピックは人生を賭けて目指す場所であることを感じられた大会でしたね。

 メダルを目標にしてきましたが、実力どおりのものをきちんと出せた意味では、チームとしてよく頑張ったと思います。過去二大会は選手たちが自分たちを誇りに思えなかったり、惨めな気持ちで終わっていたので、そうした思いを払拭できた大会になりました。オリンピックを楽しめるチームになった意味ではサクラセブンズが一歩進んだかな。

桑井 中村ほどサクラセブンズのこと考えている人はいないのに、東京オリンピックは直前で落選して、「なんで!」と思っていました。でも中村はこの3年で乗り越えて、さらにパワーアップしていました。

 大会前に海外のレフェリーの友人と話す機会があって、「ジャパンの中村はランもいいし、ハードワークだし、いいプレイヤーだね!」と、中村が覚えられていることに感銘を受けました。東京オリンピックの悔しい思いを越えて、今季、一番のピークをもってきていました。本当に尊敬しています!

【3年間の努力が結実】

――桑井レフェリーは、リオ大会は選手として出場し、パリ大会ではラグビー界では世界で初めてレフェリーとしてもオリンピックの舞台に立ちました。

桑井 「絶対に世界初になる!」という思いは、この3年間ずっと持ち続けてやってきたので鳥肌が立ちました。レフェリーが注目されることは、そんなにないですが、いろんな方々に見てもらえる機会があってうれしかったです。

 最初はアシスタントレフェリーで試合に入りました。次の試合は自分が主審を担当しましたが、名前を呼ばれて、自分がボールを持ってグラウンドのなかに走って入っていった時、「ああ、オリンピックに戻ってきた」と思いました。この3年間の積み重ねが、一気に蘇ってきた。試合が終わった直後にインタビューを受けましたが、今までお世話になった人の顔がフラッシュバックして出てきて、ちょっと涙もろくなってしまいましたね。

中村 桑井が選手を引退したあと、レフェリーをやると聞いた瞬間に、この人は絶対オリンピックに立つと思っていましたし、本人にも「あんた絶対大丈夫だよ」って言っていました。

桑井 「なんの根拠があるの?」と聞いたんですけどね(苦笑)。

中村 有言実行の人なので! 人を巻き込むとか、応援してくれる人が一番多い人間だと思います。しかもオリンピックへの思いは、どの選手より強い。女子ラグビー界で一番オリンピックの重みもわかっているし、いろんな運命を自分のところに引き寄せてくる。

 あと、目を引くじゃないですか。ピッチに立っている時に「桑井亜乃だぜ!」という存在感があって、選手たちもみんな「亜乃さん、綺麗」と言っている。選手を引退したあとにレフェリーになるという道を作ってくれましたけど、桑井亜乃がすごすぎて、逆に道が狭まっていると思ってしまいます(苦笑)。 

桑井 ありがとうございます!

――おふたりに、試合の内容について聞きたいと思います。サクラセブンズは3勝を挙げましたが、1日目の結果(フランス、アメリカに敗戦)に悔しさが残ります。

中村 結果は悔まれますが、初日はみんな緊張していましたからね。あそこで落ち着いて、実力以上のものを出すという練習は確かにしてなかった。波のなさがサクラセブンズの今季のチームのいいところでもあったのですが、最初から気持ちを燃やしていくぞという強さは練習からやってこなかったので、そこはもう、しょうがないかな。そこはまたひとつ、次への課題ですかね。

――桑井レフェリーは主審としては、2試合を担当しました。

桑井 自分の出来として、初戦はそんなに大きなミスもなくできました。2試合目は(対戦カードを見て)どうしても規律が乱れる試合になるという予想はしていて、最初の段階ではどういうふうに整えていこうかと思っていました。でも(ペナルティーを)出すところは出してコミュニケーションを取っていったというところでは、いつもの国際大会のようなパフォーマンスを出せたかなと思います。

【ともにテレビ観戦した東京大会】

――中村選手にお聞きします。東京オリンピックに出られなかったことは悔しさはあったと思いますが、プラスに影響した部分はありましたか。

中村 (東京大会までの5年間)ずっと一緒に練習をしてきて、直前で落選するという経験をした時に、本当に応援してくださる方々の声を感じられて、その思いを背負って戦える自分に幸せを感じました。これだけ応援してくれる、味方になってくださる方がいるというのは自分の財産にもなりました。

 スポーツ選手である以上、勝つことに責任を持たなきゃいけないですが、パリオリンピックでもみなさんが目に見えないところで絶対に応援してくれるという思いを感じながら、戦えました。そういう意味でも東京オリンピックは全然ネガティブなものにはならなかったです。

桑井 東京オリンピックの試合は、中村と(リオ大会に一緒に出場した谷口)令子の三人で、テレビで見ていたので、非常によく覚えています。中村が東京オリンピックに賭けていた思いも知っていたし、サクラセブンズを引っ張ってくれていたのもわかっていたので、「あのしっかり者の中村がここまでなっちゃうのか」というくらい見ているのがめちゃめちゃ辛かったです。

 東京オリンピックのあと、少しチームから離れるのかなと思っていたら、コーチ兼任で選手としてサクラセブンズに関わると聞いた時は、「本当に!」と思いましたし、パリオリンピックに絶対行ってほしいなと思っていました。

――桑井レフェリーにお聞きします。選手としてオリンピックを経験したことは、やはりレフェリーになってもプラスに働きましたか。

桑井 選手の時の経験がなかったら、おそらくレフェリーとしてオリンピックまで来られていなかったです。オリンピックはやっぱり特別な存在というのを選手時代にわかっていたからこそ、思い入れは強かったです。選手の時に経験したものがあるからこそ、レフェリーとして通用していたところはあります。

――「強く美しく」をテーマにされていましたが、それを実践できましたか。

桑井 できたと思っています!

【代表引退を決意】

――アルカス熊谷やリオデジャネイロオリンピックではふたりはチームメイトでした。今回、選手とレフェリーという違う立場でしたが再び、一緒にオリンピックに出場しました。

中村 桑井は私より3カ月くらいパリ大会への出場が早く決まっていたので、一緒に行けたらいいなと思っていました。実際に一緒にパリ大会に行くことになり、スタッド・ドゥ・フランスに初めてチームとして入った時に、たまたま桑井がスロープから上がってきたので、ハイタッチして少し話しました。「ここですれ違うんだ!」と思って、ちょっとゾワッっとしました。

桑井 スタジアムで会って、手を(互いに)パーンってやった時に、ウルウルじゃないですけど、ちょっと鳥肌が立っちゃった。オリンピックの会場で会ったら、「いよいよオリンピックに来たな」という感じになりましたね。

中村 レフェリー姿、格好よかったよ! 私はチームとして動いているので、今の若い選手たちと、ひとつのものを作っていくという作業ですが、桑井は結構、孤独なことも多かったと思う。今の若い選手たちは、あまり大きな目標を言わずに自分にプレッシャーをかけないようにして、保険をかけるところがありますが、桑井は絶対それをしない。それを背中で見せていく格好よさが「やっぱりすごいな」と思いますね。

桑井 この後、ご飯、おごるね。お寿司でもなんでもおごっちゃう!(笑)

――おふたりは、パリオリンピック後のキャリアプランをどうお考えですか。

桑井 方向性を決めるミーティングがあるので、そこで決めなきゃいけないなと思いますけど、パリオリンピックで出しきったので、次のオリンピックはもうないですね。今後は男子の試合にレフェリーで入っていきたい思いもあるし、7人制から15人制にどんどんシフトしていきたい気持ちもあります。

中村 代表(サクラセブンズ)は引退だと思っています。私も次のことを考えなきゃいけないんですけど......。この3年があまりにも疲労困憊すぎて、ちょっと今、やっと水面から上がってきた感じで、一回、息を整える期間にさせてもらいたい(苦笑)。

 でも、日本だけでなくアジアには可能性を感じているので、アジアのほうにも目を向けて、女子ラグビーの価値を上げていく活動ができればいいかなと思います。

 選手としてはクラブチームでは続けたいし、ラグビーを語るには私はセブンズしか知らないので、少し15人制もやっていきたい。次のオリンピックを目指したら、いい加減、下の子たちに怒られますから(苦笑)。

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【Profile】
中村知春(なかむら・ちはる)
1988年4月25日生まれ、神奈川県出身。小学時代から大学までバスケットボールに励み、2010年からラグビー競技を始める。2013年に7人制ラグビー女子日本代表に初選出され、翌年にはアジア大会で銀メダルを獲得。2016年のリオデジャネイロ五輪には主将として出場した。2024年のパリ五輪にも出場し、過去最高の9位に貢献。7人制ラグビーの代表キャップ73。大正製薬リポビタンDアンバサダー。

桑井亜乃(くわい・あの)
1989年10月20日生まれ、北海道出身。幼少時から陸上を始めて、帯広農業高校時代に円盤投げで国体5位入賞。中京大学卒業後の2012年にラグビー競技を本格的に始める。2013年に立正大学大学院に進み、クラブチーム「アルカス熊谷」に加入。2016年リオデジャネイロ五輪代表。2021年8月に現役引退してレフェリー転身し、パリ五輪では2試合を担当した。7人制ラグビーの代表キャップ31。大正製薬リポビタンDアンバサダー。

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