憧れは井上尚弥、スタイルはマイク・タイソン−−プロデビューを果たした田中空が描く"小さなファイター"としての理想像

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2024年08月27日 10:01  webスポルティーバ

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プロボクサー・田中空インタビュー前編

 6月25日、4団体統一世界スーパーバンタム級王者の井上尚弥が在籍する大橋ボクシングジムから注目のルーキー4人組が同日にプロデビューするなか、ひと際異彩を放つハードパンチャーがいた。衝撃の1ラウンドTKOデビューを飾った田中空である。

 身長は"モンスター"と同じ165cmながら、主戦場は5階級上のウェルター級(66.68kg以下)。アマ5冠の実績を持つスーパールーキーに、KOへのこだわり、自らが描く将来のビジョンなどを聞いた。

【5.6決戦を肌感しプロデビュー】

 5月6日の記憶は、鮮明に残っている。東京ドームで開催された井上尚弥―ルイス・ネリ戦はあまりに刺激的だった。大橋ジムの一員として、リングに向かうチャンピオンの後ろを歩くと、4万3000人が詰めかけた会場の大歓声に圧倒された。田中空は思わず、胸が高鳴ったという。

「勝手にドキドキしていました。こんなにもすごいんだなって。一緒に入場させてもらい、あらためて実感しました。テレビで見るのとは、全然違います。『いつの日か僕も』という気持ちになりました」

 大きな夢を抱いた1カ月半後。6月1日で23歳になった田中は、すぐ隣の後楽園ホールでプロキャリアをスタートさせた。第4試合に組まれたウェルター級6回戦。相手は上背が10cm高い韓国同級8位のキム・ドンヨン。控え室を出て、細い階段を上がると、入場からテンションはグッと上がった。会場にはラテン系のダンス・ミュージックが気持ちよく流れている。武相高校(神奈川)時代に憧れた映画『ワイルド・スピードMEGA MAX』のエンディング曲だ。

「プロになれば、入場曲をこれにしたいな、とずっと思っていたんです。当時から友達には『俺はこれで入場するから』とずっと話していました。あの試合当日、応援に来てくれた昔の仲間たちには『本当に流したんだね』と言われました」

 入場で羽織っていたノースリーブの白いパーカーは、手芸が得意な母親のお手製。ファストファションブランド『GU』のパーカーを3日、4日かけてリメイクしてもらったという。

 わくわくした気持ちのままリングに上がると、わずか68秒で試合を終えた。開始のゴングとともにぐいぐいとプレスをかけ、強烈な左フックから右フックを叩き込み、いきなりダウン奪取。そして、ダメージの色が濃い相手に畳み掛けるように連打を浴びせ、最後は迫力あふれる左フックでレフェリーストップに追い込んだ。リーチ差をまったく感じさせない圧勝。試合直後は「気づけば相手が倒れていた」と話していたが、担当トレーナーでもある父親の強士さんと映像をじっくり見返し、あらためて手応えを感じた。

「よい角度でパンチが入っていましたね。1回目のダウンは練習どおりの形。お父さんから『狙ったパンチでは倒せない』と言われていたので、コンビネーションで倒せたのはよかったです。やっぱり、ボクシングは倒すのが醍醐味なので」

 12オンスの厚みがあるアマ用グローブを付けていた頃から小柄なハードヒッターとして鳴らし、アマ戦績は66戦58勝(39RSC)8敗。ストップ勝ちの多さは目を引くばかり。アマ時代からプロで戦うことを意識し、1ラウンドから決着をつける戦い方を貫いてきた。

 ただ、プロではアマとの違いをひしひしと感じている。10オンスの薄いグローブで殴った感触は、いまも拳に残る。控え室で井上尚弥から「プロはすぐに手を壊してしまうから気をつけて」と言われた言葉を思い出した。試合前はピンとこなかったものの、「確かに痛める可能性もあるな」と注意を払う必要性を感じた。プロとアマの差は、ケガのリスクだけではない。

「プロのグローブは余計に効くな、と。自分も相手のパンチをもらえば、同じ。怖いし、ハラハラしますが、その駆け引きがまた楽しみになってきました」

【井上尚弥の姿勢とタイソンの倒すスタイル】

 同じように倒すことにこだわりを持つ井上から学ぶべき点は多い。たとえ拳を痛めていてもKO勝利を収め、周囲の期待に応える姿には感銘を受けた。いまもジム内で練習する姿を見れば、思わず見入ってしまう。

「すべての形がきれい。もはや、芸術の域です。インパクトを効かせたパンチを打っていると思います。体重が乗っているんです。だから、軽く見えるパンチでも効くのかなと。個人的にはスピード、"当て勘"も吸収したいところ。自分はまだ相手のパンチをもらってしまうので、尚弥さんのようにもらわないで当てるようにしたいです」

 もっとも、基本的なボクシングスタイルは、井上と異なる。田中は接近戦の打ち合いで持ち味を発揮する生粋のファイター。父、祖父、祖父の叔父も元プロボクサーという拳闘一家に生まれ、物心つく前の3歳半の頃に「自分もやってみたい」と小さな手にグローブをつけ、父親から手ほどきを受けた。幼少期はフットワークを使ったアウトボクシングを教え込まれたが、がっちり体型の田中は背丈のある選手には思うように勝てなかったという。

 転機は小学校1年生のときだ。父親から元世界ヘビー級王者マイク・タイソン(アメリカ)の映像を見せられ、「小さい体でも大きな選手をぶっ倒すスタイルもあるんだぞ」と教えられたのだ。すると、幼いながらに獰猛(どうもう)なファイターにすっかり夢中になった。自分よりも身長10cm、20cm大きなヘビー級の選手たちをバタバタと倒していく試合は、どれも衝撃的だった。プロデビュー戦からたどっていくと、19連続KO勝利。そのほとんどが1ラウンドで相手をキャンパスに沈めていた。最も印象に残っているのは、世界初挑戦となったトレバー・バービック戦(1986年11月22日)だ。

「あんなにパンチを効かせてしまうんだって。最後はショートの左フック一発で、相手は起き上がろうとしてもフラフラで足がもつれていましたよね。しかも、試合後の立ち振る舞もよかった。初めての世界タイトル獲得なのに、そこまで派手に喜ばなくて、平然と受け答えしているのもかっこよくて」

 7歳でタイソンの映像を見て以来、目指すべきスタイルが明確になった。

「あのときからいまに至るまで、僕の教科書です。中学生、高校生、大学生、そしてプロになったいまもマイク・タイソンの映像はよく見ています。スマートフォンでもすぐにチェックできるようにしているんです」

 いまから16年前、田中のボクシング人生を変える映像を見せた元プロボクサーでもある父親の強士さんは、懐かしそうに振り返る。

「身長の低かった(158cm)私自身も、ボクシングのベースはタイソンとリカルド・ロペス(軽量級の名王者)をミックスしたものだったんです。カウンターの打ち方はメキシコのロペス、接近戦はタイソンを参考にしていました。体は小さくてもパンチのあるほうで、息子の空も同じようなタイプ。タイソンは小さい体で大きな選手に勝つための良いお手本になると思いました」

 父も参考にした史上最強と言われる教材で息子も学ばせたのだ。小さなファイターの挑戦は、ここから始まった。

後編に続く

【Profile】田中 空(たなか・そら)/2001年6月1日生まれ、神奈川県出身。身長165cm。父、祖父が元ボクサーという拳闘一家に生まれ育ち、幼少期からボクシングを始める。父・強士さんの指導を受け、武相高校時代から全国選抜大会、アジアユース選手権優勝など国際大会でも活躍。東洋大学でも全日本選手権優勝などの実績を残した。大橋ジム所属。2024年6月25日に1回TKOでプロデビューを果たし、日本初の世界ウェルター級王者を目指している。次戦は10月17日(木)、後楽園ホールにて「Lemino BOXING PHOENIX BATLLE 123」8回戦vs.チヤン・サーラー(タイ/14戦11勝・7KO3敗/OPBF東洋ウェルター級13位)。

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