日本初の世界ウェルター級王者を目指す田中空 マイク・タイソンに着想を得た父・強士さんとともに歩んだこれまでとこれから

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2024年08月27日 10:10  webスポルティーバ

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プロボクサー・田中空インタビュー後編

 6月25日、4団体統一世界スーパーバンタム級王者の井上尚弥が在籍する大橋ボクシングジムから注目のルーキー4人組が同日にプロデビューを果たした。そのなかで、衝撃の1ラウンドTKOデビューを飾ったのが田中空である。

身長はモンスターと同じ165cmながら、主戦場は5階級上のウェルター級(66.68kg以下)のボクサー。そのスタイルは、身長170cm弱ながらヘビー級で一時代を築いたマイク・タイソンから大きく影響を受けたもの。これまでアマで実績を積んできたスーパールーキーに、プロボクサーとしてのビジョンを聞いた。

【「一番動ける階級で戦えばいい」】

 小よく大を制す田中空が歩んだアマチュア5冠への道は、平坦ではなかった。武相高校時代はライトウェルター級(64kg以下)、東洋大学時代はウェルター級(67kg以下※アマチュア)が主戦場。165cmの上背は、その階級ではほかの誰よりも低かった。

 試合で戦う相手は、いつも自分よりも大きな選手ばかり。身長差、リーチ差が10cm以上になることも珍しくない。3ラウンドで争うアマチュアボクシングは足を使い、『打って離れて』を繰り返す戦い方が主流だ。ダメージの深い一発よりも有効打の数で勝るほうにポイントは振られる。積極的に前へ出て行く田中のスタイルは「アマには向かない、難しい」と言われることも多かったという。

 それでも、頑なにファイターにこだわり続けた。幼少期からお手本にしてきたのは、元世界ヘビー級王者のマイク・タイソン。田中はプロ入り前から口にしていた。

「タイソンのように小さくても大きい選手に勝てることを証明したい」

 そもそも、なぜ小さい体で大きい相手と戦う道を選んだのか――。一般的には少しでも身長差、リーチ差で優位に立つために減量するのが当たり前になっている。しかし、田中の場合は、根本の考え方から違う。コーチ役として二人三脚で歩んできた父親の強士さんは、はっきり言う。

「昔から空は小さくてもパワーがありました。それなら、自分の持っている身体能力を100%生かすほうがいいだろうと。俺の経験上、減量するとパワーとスタミナも落ちてしまいます。空には、中学生の頃から言ってきました。自分が一番動ける階級で戦えばいいんだって。その代わり、負けても減量のせいにはできないし、言い訳はできないよって。強いライバルがいるから階級をずらすなんてこともさせないぞ、と」

 中学生年代から田中の強打は、都心界隈で有名だった。スパーリングでは大人のプロボクサーを相手にしても互角以上に渡り合っていたという。ただ、アマチュアの公式戦で評判どおりに勝ち続けたかといえば、そうではない。パワーで圧倒していても、相手にうまくポイントアウトされ、判定負けすることもある。だからこそ、1ラウンドから試合を終わらせるつもりで攻めていくのだ。

 本人は、苦笑しながら昔を振り返っていた。

「前に出れば出るほど、相手のパンチももらってしまうんですよ。それをいかにもらわないようにするか、たとえもらってもダメージをどう軽減するかを父と一緒に考えて、改善しながら戦っていました」

 高校時代は苦心しながら全国選抜大会を2度制覇し、アジアジュニア選手権でも優勝を果たした。当時、18歳の田中は卒業後、すぐに、切った張ったの世界に飛び込むつもりだったが、父親の強士さんに諭された。

「プロの世界に行くのは簡単。だけど、結果を残して、ボクシングで生きていくのは簡単ではない。いまのままでは難しいぞ。日本チャンピオンになれるかどうかもわからないくらいだ。関東大学リーグのレベルは高い。そこで4年間、しっかり修行してからでもプロは遅くない」

 もちろん、強士さんは息子の思いも理解していた。幼い頃からプロで成功することを夢見てきたのだ。不向きなアマチュアから転向し、すぐにでも勝負したがっている。それでも、現実を直視し、心を鬼にした。自らもプロボクサーとして戦い、拳一つで生きていく厳しさはよく知っている。現役時代に日本ランカーに名を連ねたが、タイトルには縁がなく、プロ戦績は7勝(4KO)7敗2分け。将来を見据える父親には、未熟なファイターの課題がはっきりと見えていた。

「大学の4年間はクリンチ対策にこだわって取り組むように言いました。絶対にプロで生きますから。いかにホールド、クリンチさせないで接近戦に持ち込めるかどうかが大事になってくるよ、と」

【大学時代の挫折も糧に大きな浪漫に向かう】

 東洋大時代は、技巧派のアマチュアエリートたちと数多く拳を交えた。まんまとファイター封じの策にはまり、クリンチに苦しむ試合も経験した。

 大学3年時には挫折も味わっている。アマチュアキャリアの大一番となった2022年全日本選手権ウェルター級の準決勝で敗退。しかも、田中の土俵である打ち合いでRSC負け。人生最大の屈辱だった。練習してきた接近戦の防御が裏目に出たのだ。ダメージを軽減するためにパンチをデコでもらうはずが、テンプルに直撃。痛恨のミスが重くのしかかった。目標の一つだったパリオリンピック出場の道は志半ばで途絶え、アマチュアボクシングを続ける意味も失いかけた。心にぽっかり穴が空いたなか、父子で膝を突き合わせて話し合ったという。

「そこで俺と空で決めたのは、アマ時代に負け越している相手に最後の大会ですべて勝つこと。大学残り1年のスローガンは清算でした。全日本選手権の頂点に立ち、アマを卒業しようって」

 そして、迎えた2023年の全日本選手権。準々決勝で前年にRSC負けを喫した日本体育大の脇田夢叶を圧倒し、5―0の判定勝ち。さらに決勝でもアマ戦績で1勝2敗と負け越していた法政大の染谷將敬をまったく寄せつけなかった。得意の接近戦で力強いダブルアッパーを突き上げ、圧巻のRSC勝ち。有言実行の優勝を果たす。大歓声に包まれた墨田区体育館で満面の笑みを浮かべる田中の表情は、充実感に満ちていた。

 大学卒業後、心置きなくプロ転向を決意。今年6月25日には派手な1回KOデビューを飾り、すでに次戦に向けて、準備を進めている。担当トレーナーの父が持つミットに打ち込む重たいパンチの音は、大橋ジムのフロアに一際響く。近距離から打つコンビネーション、防御技術も大学時代に向上させたもの。あらためて、田中は4年前の判断が間違いではなかったという。

「お父さんの言う通り、大学に行ってよかったと思います。あの4年間で技術力は上がりました」

 パワー一辺倒のがむしゃらな倒し屋ではない。プロになったいまもタイソンの動画を繰り返し見るのは、防御を含め、接近戦の勉強をしているからだ。無論、参考にするのはかつてのレジェンドだけではない。トレーナーの父親は息子の熱心な探求心に舌を巻く。

「俺以上に空はいろいろな映像を見て、打ち勝つ研究していますよ。いまは親子で切磋琢磨しています。俺自身、空から学ぶこともあるので、もっと勉強しないといけないと思っています」

 父子鷹で学び続け、目指すのは日本人初となる147ポンドの世界チャンピオン。険しい道のりになることもわかっている。ウェルター級は世界的に選手層が厚く、マーケットの中心も本場のアメリカ。いつチャンスが巡ってくるかも予想がつかない。

「ずっと負けないで、勝ち続けていくしかないと思っています。まだまだディフェンスも甘いですし、すべてにおいてレベルを上げないといけませんが、『あいつなら世界でも通用するんじゃないか』と思われるような試合内容と戦績を重ねていきたい。打ち合いのなかで倒すところを見てほしいです」

 剛腕のボクサーらしい言葉を残しつつも、人懐っこい笑みを浮かべながらずっと穏やかな口調で話していた。このリングとのギャップもまた人を惹きつけるのかもしれない。魅力あるファイターは、どこまでも小さな体で大きなロマンを追っていくつもりだ。


【Profile】田中 空(たなか・そら)/2001年6月1日生まれ、神奈川県出身。身長165cm。父、祖父が元ボクサーという拳闘一家に生まれ育ち、幼少期からボクシングを始める。父・強士さんの指導を受け、武相高校時代から全国選抜大会、アジアユース選手権優勝など国際大会でも活躍。東洋大学でも全日本選手権優勝などの実績を残した。大橋ジム所属。2024年6月25日に1回TKOでプロデビューを果たし、日本初の世界ウェルター級王者を目指している。次戦は10月17日(木)、後楽園ホールにて「Lemino BOXING PHOENIX BATLLE 123」8回戦vs.チヤン・サーラー(タイ/14戦11勝・7KO3敗/OPBF東洋ウェルター級13位)。

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