コンビ結成31周年! 「あたりまえ体操」COWCOW "海外バズ"の先駆者が語る海外進出の壁の高さ

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2024年09月06日 06:50  週プレNEWS

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COWCOW・多田健二(左)と善し。『ゴット・タレント』のはるか前から国境を超えてウケまくっていた!?

劇場やネタ番組、TikTokと幅広い場所で注目を浴び、世代や国境を超えて人気を獲得してきたCOWCOWの多田健二と善し。今年コンビ結成31周年を迎えた彼らに、東京進出後の苦労話、「あたりまえ体操」の誕生秘話、本格的に海外進出しなかった理由など、率直な思いを語ってもらった!

【写真】コンビ結成31周年! COWCOW

■暗黒期を脱せたのは今田耕司さんのおかげ

――今年でコンビ結成31周年ですが、今振り返って一番大変だった時期は?

多田 僕ら結成から7年ぐらいは大阪で活動して、新人賞とかを3個いただいて、満を持して2001年に上京したときにちょうど『M−1グランプリ』が始まったんです。「こんなん俺らのための大会やん!」と思ってたんですけど決勝に行けなくて。

2回目も準決勝止まり、3回目が当時の規定で結成10年目のラストイヤー。そこでも決勝に行けず、敗者復活戦で「ここで行くパターンか......?」と思ったらアンタッチャブルが選ばれて。そこから一番苦しい時代が始まりました。

善し 『M−1』は上京してすぐ始まったから、本当にベストタイミングでした。勢いもあったしネタもあるし、第1回の事前番組にも呼ばれたから、決勝に出られるもんだと完全に余裕こいてました。

多田 最後の『M−1』が終わった後、相方がルミネtheよしもとの楽屋で「こりゃヤバい!」って悲鳴を上げて(笑)。当時、事前に1ヵ月分のスケジュールをもらってたんですけど、本当にポツ、ポツ、ポツと4個ぐらいしか仕事入ってなかったんです。

善し 心の叫びですね(笑)。ひと目でだいたいの収入もわかるじゃないですか。『M−1』も出られないし、テレビに出るつもりで上京したのに「これどうすんねん......」みたいな不安でいっぱいでした。

多田 劇場もテレビも営業も『M−1』で活躍した芸人を呼ぶから、僕らの仕事がどんどん減っていくし。異国の地・東京で目指すものがないって怖さもありました。もちろん劇場はあったので新ネタは作ってたけど、テレビで披露する機会がない時期が4年ほど続いたんですよ。

善し それで僕が『R−1ぐらんぷり』(現『R−1グランプリ』)にチャレンジし始めたんです。それが06年。当時は『キングオブコント』(08年〜)もないから、それしか出るものがなくて。

多田 相方がひとりで挑戦し始めたから「ヤバいな」と思って、「ピンの戦いだけど、同じものに挑戦してる」という意識で僕も挑戦するようになりました。

そんなさなか、07年に『やりすぎコージー』(テレビ東京)の"劇場番長"って企画に出たんです。番組MCの今田(耕司)さんが「テレビにはそんな出てないけど、劇場で活躍してるコンビ3組を呼ぼうと思ってる」と僕らを推してくださって。

当時、僕は頭にラインを入れたりネックレスしたりして完全にヤサグレてたんですけど(笑)。ありがたいことに収録現場のお客さんがすごく笑ってくれて、それを見た『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)のスタッフさんが番組に呼んでくださったりもしてくれて。だから、暗黒期を抜け出せたのは今田さんのおかげなんです。 

――うまくいかない時期に揉めたりしたことはなかったんですか?

多田 相方が08年から4年連続で『R−1』決勝に行ってるときは、ちょっと微妙でしたね(笑)。うれしい半面、「やっぱボケのほうが目立ってないとダメ」って気持ちもあったし、それがコンビとしてのバランスだと思ってたので。ただ、12年に奇跡的に僕が優勝したので結果オーライっていう(笑)。そこでようやくコンビの帳尻が合った気がします。

■はやりそうだと第一印象で感じた「あたりまえ体操」

――漫才、コント、ギャグなどネタのレパートリーが豊富ですが、リズムネタも若手時代から得意だったんですか?

多田 デビュー当時からリズムを取り入れた漫才や歌ネタも躊躇なくやってました。この世界に入ってからずっと「どうやったらまねしてもらえるか」ってことを常に意識して作ってます。

善し 僕も「どうやったら一般の人に伝わるか」ってことはすごい気にしますね。

多田 相方はそのセンスが抜群なんです。高校生の頃から僕らもテレビで見たものをまねしていたので、「自分らのネタもまねしてやってほしい」っていう気持ちが強いんでしょうね。

――「あたりまえ体操」は、まさにそういうネタですよね。

多田 実はあれ、もともと「あたりまえ説明書」っていう僕のピンネタで、それを見た相方に「音をつけて"あたりまえ体操"にしよう」と言われて生まれたんです。初めて聞いたときから、平仮名と漢字を組み合わせた字面もかわいいし、「それ、はやりそ〜!」と思ってました(笑)。

ただ、当たり前のことを言うだけのネタって他人が見たら面白いのかなとは疑問に思って。それで、当時小学生だった相方の子供に体操のお兄さんみたいな衣装を着て撮った「あたりまえ体操」のVTRを見てもらったんですよ。

善し 自宅で見せたら、もう刺さり具合が違うんですよ。よく自分のピンネタを子供の前でやってたんですけど、比にならないぐらい喜んでくれて。お笑いをめっちゃ見てる子でもなかったから、「これなら普通の子供たちにもウケる」って手応えを感じました。

多田 その時期、「VTR用のネタを作って提出してくれ」ってことが続いたんですよ。09年に始まったソフトバンク主催の「S−1バトル」とか。その「S−1バトル」の「沖縄国際映画祭」大会に向けたVTR用のネタを提出することになって。

善し そういうのって普段舞台でやってるような漫才とかコントじゃないほうがいいなと。それで、「あたりまえ体操」を出したんです。

■言葉と文化という海外進出の高い壁

――13年にはインドネシア語版が現地で大人気に。15年にはインドネシア、タイ、マレーシアでライブを敢行します。

善し インドネシアは、日本人向けと現地の方向けのライブを2本やって、どっちもたくさんお客さんが入ってすごく楽しかったですね。

多田 タイでは「タイのあたりまえ」を当時"タイ住みます芸人"だったぼんちきよし君にアドバイスをもらって作ったら、ホンマに信じられないぐらいウケて。僕らは音源に合わせて体操するだけだから、言葉を覚えなくてもいいですし(笑)。

善し 動きだけでOKだから、ほぼミスがない(笑)。マレーシアは、マレー語、英語、中国語とか、いろんな言葉が交ざってる国だから、ちょっと難しかったですね。

多田 ウケは悪くなかったんですけど、やっぱタイの衝撃がすごすぎたので。

――その後、なぜタイやインドネシアで公演しなかった?

善し 生半可な気持ちでやったら続かないっていうのはあったんですよね。本気でやるんだったら、いずれは現地の言葉を覚えないといけないし。結局、録音してもらったものを流してるだけですから。

多田 僕、たまたまインドネシア大統領のジョコ・ウィドドさんに顔が似てて、それもすごいウケたんです。最初はそれでいいと思うんですけど、言葉を覚えないとトークやネタに広がりが出ないじゃないですか。当時、"住みます芸人"が稼働し始めたのも見てるから、よけいに「住まないと意味ない」っていうのがあったんだと思います。

善し 今いろんな芸人が海外の『ゴット・タレント』番組に挑戦してるのを見て、僕らも挑戦したい気持ちもありますが、ピンポイントでウケたとしても、その先の展開として言葉や文化を知る必要性が出てくる。

あと、例えば「あたりまえ体操」を多民族国家のアメリカでやるとしたら、「あたりまえ」の文言がなかなかハマらない難しさもありますよね。

多田 ただ、コロナ禍で海外向けにTikTokをやり始めたら、「これができたらきっと、これもできる」ってネタのインドネシア語バージョンが現地でバズったんです。

それが21年にインドネシアの大手銀行のCMソングに選ばれたりもしてるので、「あたりまえ体操」からのつながりっていうのは消えてないのかなとは思います。

――10月からは単独ライブツアーがスタートします。やはり根底には「劇場が一番楽しい」という思いがある?

善し これだけ長くやってると、ネタ作りの苦しみ以上にウケたときの快感を知ってしまってるんです。僕らは毎日MCの仕事に追われてる身でもなく、時間はありますから(笑)。自分たちが面白いと思うネタをコツコツと作って、単独ライブを継続していきたいですね。

多田 やっぱり僕らの本筋は漫才。その太い幹があるからこそ、リズムネタやものまねみたいな枝ができてくるのだと思ってます。その意味でも、毎年の単独ライブで新ネタやリニューアルしたネタをやって、どんどんその幹を太くしていきたいですね。

●善し(よし)
1974年生まれ、大阪府出身。2013年に芸名を本名の山田與志から「善し」に改名。趣味はイラストとカメラ

●多田健二(ただ・けんじ)
1974年生まれ、大阪府出身。2012年、「50音ギャグ」で『R-1ぐらんぷり』優勝。高校野球が好き

■全国ツアー「COWCOW 31st LIVE」
10月6日(日)の愛知公演を皮切りに、全国4都市で開催。愛知公演・福岡公演はチケット発売中。東京公演・大阪公演は9月17日(火)11時から、FANYチケットにて先行受け付けを開始

取材・文/鈴木 旭 撮影/鈴木大喜

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