サッカー日本代表は誰が監督でも予選突破は確実 史上最強なのに面白く見えない理由

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2024年09月12日 11:50  webスポルティーバ

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連載第5回
杉山茂樹の「看過できない」

 W杯アジア最終予選グループC。日本は2戦2勝、得点12、失点0という圧倒的な成績で首位に立っている。油断大敵。勝って兜の緒を締める必要は大いにあるが、正直、締める気にならない。拍子抜けとはこのことである。多少なりともヒリヒリ、ドキドキしたいファンには、他国の弱体ぶりが恨めしく映っているに違いない。

"死の組"という下馬評に偽りあり、である。日本は過去W杯に7回連続出場している常連国だ。アジア枠が3.5枠だった1998年フランスW杯、開催国の特権で予選を免除された2002年日韓共催W杯を除けば、他の5回はすべて余力を残しながらアジア予選を突破している。さらにアジア枠が4.5から8.5に拡大すれば落選の可能性はほぼ半減する。従来の突破確率を8割強とすれば、これからは9割強だろう。"死の組"という声に素直に耳を傾けたとしても9割はあるわけだ。

 予選のたびに招集される豪華な選手の顔ぶれも突破確率の上昇をあと押しする。今季のチャンピオンズリーグ(CL)に出場が期待される日本人選手は13人。UEFAランク1位のプレミアリーグでプレーする選手も5人いる。彼らを含む20人強の欧州組を毎度代表チームに送り込むことができている国は日本だけ。所属クラブの比較でも断トツなのである。選手の実力と出場枠の関係でいえば、日本は世界で最も緩い予選環境に身を置いている国だと言いきることができる。

 そう言っては身も蓋もない。盛り上がるものも盛り上がらないと、メディアは今回、「大変さ」を強調したわけだが、2戦を終了した段階でメッキは剥がれ、落選の可能性は限りなくゼロに近づいた。

 8.5枠というレギュレーションに変化がない限り、日本のW杯連続出場は今後も伸びるばかりだろう。アジア予選はますますエンタメ性が乏しくなることが予想される。

 これは、日本代表の存在意義そのものの危機とも言える。お楽しみがW杯本大会に限られれば、人気の低下は必至だ。

【采配や戦術を語ることが無意味に】

 実際、今回の予選はアウェー戦のテレビ中継がなく、視聴は配信サービスのみだというのに、それさえ大きな騒ぎになっていない。配信サービスの契約者は十万人単位だろう。フル観戦派はごく少数だ。その他の大多数のファンは、得点シーン等のダイジェスト版の視聴で済ませていることになる。それで事足りてしまっている。新規のファンは獲得しにくい状況だ。普及発展は望みにくくなるばかりである。

 代表監督への関心も薄れるばかりだ。代表チームの主役は「○○ジャパン」という言い回しからもわかるとおり監督だ。サッカーは個人データが少ない競技なので、選手の優劣、つまり選手の取捨選択は監督の主観に委ねられる。

 サッカーゲームの戦い方についても同様だ。監督の志向と深い関係がある。誰を代表監督に据えるかは、その国のサッカー界の将来を左右する大きな問題である。にもかかわらず、森保采配はいま一切、話題になっていない。更迭論は言うに及ばず、である。

 シビアな戦いではないからだ。誰が監督でも勝てる。予選を突破できる。この現実がいま白日のもとに晒されている状態だ。本来、注目に値する森保式3バック=3−4−2−1もさして話題になっていない。相手との戦力差、駒の力が違いすぎて、監督采配や戦術を語ることが無意味になっているのだ。

 三笘薫や堂安律をウイングバックで使えば、相手ボールに転じたとき、彼らは最終ラインに取り込まれる。その回数や時間は相手の力量に比例する。実際、中国戦よりバーレーン戦のほうが、その頻度は多かった。バーレーン戦の前半、日本の得点が上田綺世の決めたPKによる1ゴールに終わった理由でもある。相手ゴールからはるか遠い自軍の最終ライン付近でプレーする三笘は、ドリブルが得意なあの三笘ではない。三笘が三笘でなくなる時間は長かった。

 それは、相手にとって恐い三笘ではない、ということだ。その時間をいかに長く保つか。相手のベンチはまずそれを考える。

【三笘らしいプレーができずにいた】

 たとえば2022−23シーズンのCL準決勝第2戦、マンチェスター・シティ対レアル・マドリード。マンチェスター・シティのジョゼップ・グアルディオラ監督は、レアル・マドリードのストロングポイントであるヴィニシウス・ジュニオール(左ウイング)を怖がることなく、右サイドを積極的に突いて出る作戦で臨んだ。その背後にCBのジョン・ストーンズを張らせるなど、右の高い位置に数的優位を築き、その結果、ベルナルド・シルバの貴重な先制ゴールを呼び込んでいる。接戦が予想された大一番だったが、このゴールを気にレアル・マドリードは崩壊。4−0の大差でマンチェスター・シティがビッグマッチを制することになった。

 ヴィニシウスにディフェンスをさせる。すなわち自軍ゴールから離れた場所に誘導する作戦が奏功したのである。ヴィニシウスが守備に追われ、自慢のウイングプレーを披露する機会を奪われたことが、レアル・マドリードの敗因だった。

 バーレーン戦の三笘も前半、三笘らしいウイングプレーを発揮できずにいた。バーレーンはうまく戦っていた。森保一監督の采配が稚拙に映ったものだ。

 ユーロ2004で最大の名勝負と言われるオランダ対チェコ戦の一戦も想起される。試合を2−0とされたチェコのカレル・ブリュックナー監督は、それまで大活躍を演じていたオランダの左ウイング、アリエン・ロッベンにマークをつけるのを止めた。チェコの右SBカレル・ポボルスキーはマークを捨て、ロッベンの背後に進出。オランダの左SBジョバンニ・ファン・ブロンクホルストに対して、右ウイングのウラジミール・スミチェルとふたりがかりで襲いかかった。するとロッベンはやむなく後退。チェコゴールから遠く離れた場所でプレーする時間が増えることになった。

 ロッベンの魅力が発揮される機会は激減。その結果、チェコは盛り返し、2−0から2−3へと試合をひっくり返した。ブリュックナー監督の采配が光った試合として記憶される。

 三笘の場合、相手監督が采配でそうし向けたのではない。森保監督の作戦が「引いて構えろ」だったのだ。日本のストロングポイントと言っても過言ではない三笘のドリブル力をどう活かすか。監督に問われる一番の命題であるにもかかわらず、森保監督はウイングバックという、ウイングに比べて平均20メートル程度低いポジションに、三笘を押しとどめようとする。

「サイドを制するものは試合を制す」という近代サッカーの格言からも逸脱した、後ろで守ろうとする、旧態依然とした恥も外聞もない作戦だ。

 しかし、終わってみればスコアは5−0だった。理屈を超えた大勝劇。選手個人の力が作戦ミスを完全にカモフラージュした格好だ。こうなると監督采配の良し悪しなどは、どうでもいい問題になる。森保監督の是非を論じる気は萎える。

 欧州組を20数人揃えれば、アジア予選は誰が監督でも絶対に突破する。誰が監督でも更迭の危機が訪れることはない。1度就任すれば4年間、サッカー以外の問題でも起こさない限り、続投となる。無力感を覚えずにはいられない。日本人選手のレベルは上がる一方だが、本場欧州で武者修行しようとする監督、指導者は稀だ。この傾向が続く限り、彼らのレベルは向上しない。

 4年間安泰という構図は、外国人監督を招いた場合も変わらない。サッカーの中身について議論することが、あまりの戦力差の前に、すっかり無意味になってしまった。W杯本大会のみを例外とする常勝軍団ニッポン。その現実を筆者は看過することができない。日本代表を取り巻く世界が、史上最強であるにもかかわらず、面白く見えないのである。

このニュースに関するつぶやき

  • 面白くないというのは主観的な印象批評だ。森保さんが意識づけをして競争心を煽ったからこその現状で、20数人欧州組を招集しても機能するとはかぎらない。采配には疑問もあるが「戦術三苫」を見せる必要はない
    • イイネ!3
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