国立競技場での名古屋グランパスの「敗れ方」に、アピールに失敗するJリーグの姿を見た

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2024年09月19日 07:20  webスポルティーバ

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連載第6回
杉山茂樹の「看過できない」

 相手ボールに転じると5バックで守りを固めようとする守備的サッカー。それは高い位置での攻防が減るので、相手と噛み合わせの悪い試合になりやすい。面白みは半減する。勘弁してくださいと言いたくなるが、そうした願いは筆者が中立の記者であることにもよる。観戦者全員がつまらなさを覚えているわけではない。守り倒した側のファンは、「してやったり」と喜ぶ人が大半だろう。「こんな勝ち方でいいのか」と、自軍を戒める人は珍しい。

 一方で、相手チームのファンは負け惜しみの材料にする。「あんな守備的なサッカーで勝利して恥ずかしくないのか」「もっと正々堂々と戦ってみろ」と。だが、自分たちが相手の立場になったときその言葉を口にできるかといえば、怪しい。恥も外聞もなく喜んでしまう人が多数を占めたとしても不思議はない。

 通常、Jリーグのスタジアムはそんなファンで二分される。ホームのファン8割、アウェーのファン2割。数的に対等ではないが、スタンドはお互い、勝てば喜び、負ければ悲しむファン気質で一致する観衆に包まれる。

 その熱狂度は年々増している。Jリーグ発足当時によく見かけた、中立的な立場で純粋にサッカーを観戦するファンの数は激減した。地元密着が奏功した結果だろうか。どのクラブにも特に肩入れしていない筆者のようなファンには、いささか居心地悪く感じられる。

 だが、国立競技場で観戦する場合は例外だ。アクセスがいいので、神宮球場を訪れるプロ野球ファンのように、軽いノリでフラッとやってくるファンを多く見かける。どっちのファンでもなさそうな人たちである。

 9月14日の土曜日、国立競技場で行なわれた一戦、FC東京対名古屋グランパスのスタンドもそうだった。ざっと見てホームであるFC東京のファン50%。名古屋のファン15%。特にどちらのファンでもなさそうな人は35%ぐらいいた。

 集まった観衆は5万5896人。国立競技場で行なわれるJ1の試合は今季これで11試合目だったが、これはFC東京対アルビレックス新潟に次ぐ2番目の入場者数だった。そのうちの35%といえば約2万人。Jリーグの試合を各本拠地ではなく、国立競技場で開催する意味をそこに見る気がする。

【国立競技場は「宣伝」の場】

 今季これまで国立競技場で行なわれたJ1リーグ11試合の平均入場者は5万人強。選挙は無党派層の行方がカギを握ると言われるが、国立競技場にはそれと似た傾向にある人たちが毎度2万人近く訪れる。彼らの心をいかにつかむかは、サッカーの普及発展のカギでもある。特にFC東京のファンでも名古屋のファンでもないが、サッカーは好きという人たちである。

 各本拠地のスタジアムは、チームの順位が多少落ちようが、ほぼ変わりなく埋まる。川崎フロンターレの本拠地、等々力がいい例だ。チームは2、3年前と別人かと言いたくなるほど低迷しているが、観客数は微減に留まっている。パッと見、スタンドの様子に変化はない。Jリーグのスタンドはどこもこうした固定客で占められる。どの現場も盛況に見える。

 しかし、だからといってサッカーファンが増加しているとは限らない。むしろ伸び悩んでいるのではないか。8、9割程度しか埋まらなかった日本代表の中国戦(9月5日)のスタンド風景(埼玉スタジアム)見ていると、そう思わざるを得ない。

 だとすれば、原因はどこにあるか。

 FC東京対名古屋に話を戻せば、結果は4−1でFC東京の一方的な勝利に終わった。目立ったのはFC東京の強さというより、名古屋の不甲斐なさだった。5バックで守りを固める典型的な守備的サッカーであるにもかかわらず、次々に失点を重ねる姿は、論理が破綻している典型だと言わざるを得ない。

 5割を占めたFC東京のファンは楽しめただろう。15%を占めた名古屋のファンは悲しかっただろう。残る中立ファン35%は、果たしてどうだっただろうか。後ろを固める名古屋の守備的サッカーを恨めしく思ったに違いない。片方が一方的に攻め、得点を重ねていく姿、片方が一方的に守り、失点を重ねていく姿に、物足りなさを覚えたに違いない。

 その原因が名古屋にあることは明白だった。つまり名古屋は自らの魅力を宣伝することに失敗した。国立競技場は宣伝には最適な舞台なのである。ふだん、豊田スタジアムに訪れることがない2万人の心をつかみ損ねることになったという事実に、クラブ関係者は気づいているだろうか。

【面白い試合を披露する気概】

 同じことは8月24日に国立競技場で横浜F・マリノスと対戦したセレッソ大阪についてもあてはまる。4バックではあるが、目一杯引いて構えたC大阪が横浜FMに0−4で敗れた一戦だ。見られているという意識が低いサッカー。出し物を披露する感覚に乏しいサッカーとも言える。ただ単に勝ち負けにこだわるサッカーをして大敗する姿が、名古屋同様、白日のもとに晒される格好になったのだった。見過ごすわけにはいかない。

 国立競技場での試合には、NHKの総合放送で放送される試合と同じ意味がある。BSではない。限られた人しか視聴することができない有料の配信サービスでもない。

 国立競技場で試合をするチームは、世間の目を気にしてほしいものである。サッカー人気に大きな影響を与える一戦だとの自覚で臨んでほしい。勝ち負けも大切だが、それ以上に面白い試合を披露する気概が不可欠となる。

 今週から新装なった新シーズンが始まっているチャンピオンズリーグがなぜここまで発展したか。攻撃的サッカーが守備的サッカーを凌駕してきたからである。面白いサッカーをすることを心がけた監督の絶対数が、そうではない監督を大きく上回ったからである。

 森保一日本代表監督もそうだが、日本には面白いサッカー、魅力的なサッカーを口にする監督、指導者はごく僅かだ。予備軍であるテレビ解説者もしかり。そこに価値を見出している人は少ない。サッカーを娯楽、エンタメと捉えたことがない元サッカー選手には理解できない感覚なのかもしれない。

 国立競技場が「聖地」と言われる所以は、どのスタジアムよりサッカー好きが集まる環境が整っているからだ。彼らの存在を無視すれば、日本サッカーの普及発展はない。国立競技場でプレーするチームは御前試合に臨むような覚悟がほしいものである。もちろん日本代表を含めて、サッカー人気に大きな影響を与える試合だからだ。

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