ミステリファンに話題の探偵小説復刊企画 甲賀三郎、夢野久作、小栗虫太郎ーー千街晶之が読む注目作

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2024年12月01日 13:40  リアルサウンド

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春陽文庫の探偵小説復刊企画シリーズで刊行された作品
■春陽文庫からの復刊で注目される3作品

 入手困難な作品群を令和の世に蘇らせる、春陽文庫の探偵小説復刊企画がミステリファンのあいだで大きな話題を呼んでいる。カヴァーの表記によると「春陽文庫 探偵小説篇」というのが企画名であるらしい。その第1回配本のうち、横溝正史『死仮面〔オリジナル版〕』については既に「リアルサウンド ブック」の書評で紹介したので、今回は第1回配本のもう1冊である甲賀三郎『盲目の目撃者』と、第2回配本である夢野久作『暗黒公使(ダーク・ミニスター)』および小栗虫太郎『女人果』の計3冊を紹介したい。


  甲賀三郎は1923年に「真珠塔の秘密」でデビュー(江戸川乱歩が「二銭銅貨」でデビューした4カ月後である)、戦前の探偵作家としてはトップクラスの多作ぶりで存在感を示した。謎解き重視の「本格探偵小説」の理論的支柱であり、怪奇幻想色の濃い「変格探偵小説」に厳しい態度を示したことでも知られる。1945年2月に病死した。


  今回復刊された『盲目の目撃者』には、表題作のほか「山荘の殺人事件」「隠れた手」と、合計3つの中篇が収録されている。実はこの3篇には共通点があって、いずれも主人公が事件に巻き込まれる点である。甲賀といえば本格探偵小説というイメージが強いけれども、ある程度の分量がある長篇・中篇ではサスペンス小説の要素を前面に出すことが多かったのだ。


  まず表題作は、沈没した船の唯一の生存者である船医の井田が、謎の青年紳士から伯父の診察を依頼され、ホテルの一室を訪れると、そこにいた老人は井田の顔を見るなりいきなり死んでしまい、青年は姿を消していた……という出来事から始まる。更に、井田の他にもう1人の生存者がいたことが判明するが、その女性は何故か別人の名前を名乗っている。そして、井田の行く先々で殺人事件が起こる……という物語だ。


  次の「山荘の殺人事件」は語り手の「私」は女性で、夫とともに富士見高原にある夫の友人の別荘を訪れるが、そこで殺人事件に遭遇してしまう。「隠れた手」の主人公は上京したばかりの貧しい青年で、帝都第一のホテルといわれている東洋ホテルで雇ってもらうため訪れたところ、ホテル内で迷ってしまい、ある客室で父と娘が言い争っているのを立ち聞きすることになる。地方の政治家である父が強いる政略結婚に娘が抗議しているらしい。やがて娘が立ち去ったあと、主人公は父の死体を発見するが、疑われるのを恐れてその場から逃走してしまう……という話である。


  3篇のうち特に表題作と「隠れた手」がそうだが、何がなんだかわからないうちに事件に巻き込まれた主人公の周囲で事態が目まぐるしく二転三転し、これでもかとばかりに窮地が襲いかかってくる。表題作など、あまりに立て続けにいろいろな出来事が起こるので、最初にホテルの一室で死んだ老人のことなど主人公にも読者にも忘れ去られている感すらあるが、もちろんそれにも意味があることが後に判明する(敵か味方かわからない謎の青年が主人公をさんざん振り回す点も表題作と「隠れた手」に共通する)。先が読めない展開に翻弄されるうちに、読者も主人公とともに五里霧中の不安を味わうことになるのだ。一方で「山荘の殺人事件」は謎解き色が強めで、語り手の心理描写などは女性誌の読者が対象ということを意識している。サスペンス小説の手練としての甲賀の側面を、この3作で存分に堪能することができるだろう。



  次に紹介するのは、かの『ドグラ・マグラ』の著者である夢野久作の『暗黒公使(ダーク・ミニスター)』。1932年から33年にかけて刊行された新潮社の「新作探偵小説全集」(日本初の書き下ろし長篇ミステリの叢書である)のうちの1冊だ(なお、上巻・中巻・下巻の三部構成になっているが、3冊に分けて刊行されたわけではない)。かつて、ちくま文庫の「夢野久作全集」から出たことがあり、今回が二度目の文庫化となる。私見だが、今回紹介する3冊の中では本作が最も面白い。圧倒的な面白さ、と言ってもいい。


  主人公の狭山九郎太は、かつては警視庁で鬼課長と呼ばれた敏腕捜査官だったが、ある事件で警視総監と対立して辞職、今は孤独な隠遁の日々を送っている。大正9年(1920年)、そんな彼のもとを16、7くらいの少年が訪れた。貴族的な洋服を隙なく着こなした驚くほどの美少年だが、長らく警察官だった狭山の眼力をもってしてもどういう素性なのか見当もつかない。少年は呉井嬢次と名乗り、来日中のバード・ストーン曲馬団に属していたと自己紹介する。バード・ストーン曲馬団こそは、狭山が警察を去る原因となったある事件と関係していた因縁の相手だった。そして、少年は両親の敵討ちのため、狭山の助手にしてほしいと懇願する。


  ここからは狭山の回想によって2年前に遡り、東京駅のステーション・ホテルで起きた怪事件を彼がいかに捜査したかが、かなりの分量を費やして語られることになる。事件の背後ではアメリカの秘密組織が暗躍していることが語られ、本格ミステリ+国際謀略小説の枠内で物語は進行してゆく。


  ところが、その回想が終わった後半から、物語は意外な展開を見せる——いや、夢野久作を『ドグラ・マグラ』の作家として認識している読者にとっては、この後半こそが夢野らしいと感じるかも知れない。前半で堅実な実務家タイプであるように描かれてきた狭山が、後半はいきなり第六感をやたら重視する神秘的な人物へと変貌し、予知夢のようなものまで見るようになるのだ。帝国ホテルの屋上に陣取った全裸の美女軍団と上空のアメリカの飛行船とが戦う血みどろの夢の描写などはシュールの極みである。


  また本作では、序盤から登場する呉井嬢次のほかにも、バード・ストーン曲馬団の美少女カルロ・ナインなど、美形の男女が幾人も登場する。主人公の狭山が「とにかく今日は妙な日だ。よく美しい女だの少年だのに会う日だ」と述懐するほどだ。呉井嬢次の名前に「嬢」の字が入っていたり、美少女がカルロという男名前だったり、彼らはどこか両性具有的でもある。著者の作品には美少年・美少女がしばしば登場するけれども、話が進むにつれてさまざまな側面を見せる呉井嬢次は、特に印象的・魅力的なキャラクターと言える。


   語り手の狭山は、1930年代初頭から1920年の出来事を振り返っている。彼は当時と比較して、現在(つまり1930年代初頭)の日本の、欧米列強と肩を並べた強国ぶりを冒頭に記している。だが、「自国の陸軍を常勝軍と誇称し、主力艦隊に無敵の名を冠せ、世界中の憎まれっ児を以て自認しつつ平気でいる」といった記述からは、狭山に仮託した著者の冷ややかな眼差しも感じられる。夢野は大日本帝国の命運を見届けることなく、間もなく1936年にこの世を去ることになるのだが。



■鬼才・小栗虫太郎が戦時中に発表した問題作

  残る1冊は、『黒死館殺人事件』で知られる鬼才・小栗虫太郎の『女人果』。刊行は戦時中の1942年で、小栗が若くして歿したのは1946年のことだから、その創作活動においては後期の作品ということになる。小栗の数少ない長篇の1つだが、文庫化は今回が初めてである。はっきり言って、かなりの問題作だ。


  多くの乗客を乗せてヨーロッパに向かう汽船の中で持ち上がったスパイ騒動。その正体を探ろうとした二等運転士・西塔靖吉は、社長令嬢の世話係が自殺を図っているのを発見する。世話係の手記には、彼女の数奇を極めた過去が記されていた……。


  夢野の『暗黒公使(ダーク・ミニスター)』にも国策小説的な面はあったが、戦時中の作品ということもあって『女人果』のほうがそういう面は遥かに濃厚だ。軍国主義に強い反感を抱いていた小栗のこと、かなり複雑な心境で本作を執筆したと想像される。ただ、著者自身としては恋愛小説としての面を重視していたらしい。また、新聞に連載されたためか、次回への「引き」が重視されており、全体の構成はやや散漫である。だが、本作の最大の特色は、過去の小栗作品を想起させるような要素が大量に投入され、自己模倣の様相を呈している点だ。


  作中の重要人物として伸子という女性が登場するが、その祖父の名は算哲という。著者の代表作『黒死館殺人事件』を読んでいれば、この2つの名前のことはすぐに思い出せるだろう。また、本作に登場する汽船会社社長・三藤十八郎の名前は、もう1つの代表作『二十世紀鉄仮面』の敵役・瀬高十八郎を想起させる。八仙寨という地名も、小栗のデビュー作「完全犯罪」に出てくる。


  しかし名前が共通するくらいは序の口で、自身の旧作をそのまま組み込んだ箇所まである。特に前半の手記に出てくる密室殺人のシチュエーションとその謎解きは、「完全犯罪」からそのまま流用している(被害者のヘッダというファーストネームまで同じなのだ)。他にも『二十世紀鉄仮面』や「青い鷺」の文章も流用されており、自作の壮大なパッチワークという趣がある。


  江戸川乱歩や横溝正史ら、他の探偵作家も自作のトリックを他の作品に流用していた時代なので、本作だけが特異なわけではないとも言えるにせよ、流石に本作の自己模倣ぶりには困惑させられるのも事実だ。当時の著者の内面は窺う術もないが、自らの旧作群への強い愛着のなせるわざか、リミックス的な創作手段に目覚めたものか、いろいろと想像を掻き立てられる。もちろん、本作から小栗虫太郎作品に入門した読者は、そのようなことは意識せずに、冒険あり謎解きありのサーヴィス精神たっぷりな波瀾万丈の物語として読めるのだが。



■マニアを感嘆させる日下三蔵の編纂力

  さて、これらの復刊の企画者は日下三蔵だが、『盲目の目撃者』には甲賀を評した横溝正史のエッセイ、『暗黒公使(ダーク・ミニスター)』には四方田犬彦の評論の一部を収録するなど、その編纂方針は相変わらずマニアを感嘆させるものだ。特に『女人果』の場合、単行本化の際にカットされた連載最終回を収録しているが、単行本ではここがカットされたせいで最終節の章題が意味不明になってしまっているので(小説としての終わり方の意味でもここはカットしないほうが良かったのではと個人的に思う)、これを収録したことによって『女人果』という小説は完成形が初めて明らかになったと言えるのだ。この企画が更に続くことを期待せずにはいられない。



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