【今週はこれを読め! SF編】複数の現実が干渉する世界〜飛浩隆『鹽津城』

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2024年12月10日 12:11  BOOK STAND

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『鹽津城』飛 浩隆 河出書房新社
 飛浩隆は、現代日本SFを牽引する作家のひとりであり、作品集『象られた力』、おなじく『自生の夢』によって、日本SF大賞を二度受賞している。本書は、八年ぶりに刊行される作品集で、六篇を収録。
「流下の日」は、中年男性である私が故郷の村へ帰る場面からはじまる。四十年前にローカル線が廃止された過疎の地だが、いまその路線が復活し、地域に活気が戻っているように感じられる。日本全体はネットワークインフラの整備、新しい情報デバイスの浸透によって、人びとが相当な利便性を享受できているが、この村ではところどころに旧式の機器(駅の切符販売機、列車の扇風機、発車を告げる金属ベル)が使われている。そうしたアナクロニズムが、独特な雰囲気を醸しだす。実は、これは演出的な設定というだけにとどまらず、物語の根幹にかかわっているのだが、読者はとりあえず、帰郷する語り手の懐旧に寄りそえばいい。懐かしいのは事物だけではない。昔馴染みとの再会があり、記憶は過去へと遡っていく。
 しかし、ふと語り手は戸惑う。なぜ、私はここに来たのか?
 たんなる帰郷ではなく、なにか目的があったはずなのだ。それが思い出せない。
 過疎の村の風情や出会いと平行して、読者に伝えられるのが、ドラスティックに変貌した日本の政治や制度だ。夫婦別姓、同性婚、所得再配分の強化、雇用者の権利拡大が二〇〇〇年代前半に実現し、「家族」の再定義がなされ、それに基づく社会保障がおこなわれている。また、生体内コンピューティング〈切目(きりめ)〉、家畜クローニングから発展した生命成形技術〈塵輪(じんりん)〉によって、経済は活況を呈している。
 いっけん、ユートピアに近づいているように見える。しかし、その背後にあるものを、私はこの村で知っていくのだ。自分がここに来た理由、それがどうして、またどのようにして、記憶の奥に封じられていたのか......。
 目の前の現実が、見えているとおりのものではない。表題作「鹽津城(しおつき)」では、それがいっそう複雑なかたちで描かれる。「Facet1 志於盈(しおみつ)の町で」「Facet2 鹹賊航路(かんぞくこうろ)」「Facet3 メランジュ礁」という、三パートが平行して進む。このみっつは現在・近未来・遠未来のように時系列をなしているようでもあり、平行世界のようでもあり、どれかひとつが基底現実でほかはそこで創作・夢想された影だという解釈も可能である。ただし、たとえ影だとしても、そこで起こることは、ほかの世界にも伝播・干渉するのだ。そんな合わせ鏡を、飛浩隆は文章でつくりあげてしまう。
 みっつの世界で共通するのは、エントロピーの法則では説明できない現象の発生だ。塩分を含む水から、突如として塩が固まってしまう。塩という意味を、エピソードごとにさまざまな漢字表記であらわすことで、各世界がズレていることが読者に伝わってくる。
「Facet1 志於盈の町で」では、海面が分厚いシャーベット状の〈鹵氷(ろひょう)〉に覆われてしまう。原発がある日本海沿岸の町、L県塩満(しおみつ)は、地震発生にともなう鹵津波(しおつなみ)によって大きな被害に見舞われ、原子力発電所設備も壊滅するが、鹵(しお)が瓦礫や岩石を取りこんだ天然の構造物に覆われた結果、かろうじて核被害から免れている。その町で鹵に対するため、ひとびとがつくりあげた風習と、渡津託朗(わたづたくろう)と謎めいた妻、巳衣子(みいこ)との生活が描かれる。
「Facet2 鹹賊航路」では、身体のなかに塩分濃度が異常に高い、細い線条が形成される症状〈鹹疾(かんしつ)〉が、世界中で大規模に発生する。器官や身体機能を損ない、死に至ることも少なくない。男女年齢問わず、生活習慣とのかかわりもない、誰にも起こりうる病だ。そんな暗澹たる世界のなか、多くのひとのなぐさめになっているのが、大ヒットの冒険漫画「鹹賊航路」だった。舞台となるのは〈鹵攻(かんこう)〉によって翻弄され破滅した世界。〈鹵攻〉とは海水から鹵が自然に分離することでもたらされる災害のことである。「Facet1 志於盈の町で」で描かれた状況にそっくりだが、「Facet2 鹹賊航路」ではあくまでフィクションのなかの設定なのだ。たとえば、こちらの現実ではL県の地震で原発は影響を受けたが、鹵の構造体で包まれることもなく、その後に再稼働を果たしている。さて、「鹹賊航路」の作者は、村木一瀬(いちせ)と村木百瀬(ももせ)の双子だ。一瀬が〈鹹疾〉によって視力を失ったせいで、いま連載が中断されている。担当編集者の天野甘音(あまのあまね)は、連載を再開するため、村木きょうだいの提案に従い、彼らをL県塩満の集落へと連れていく。百瀬によれば、塩満はきょうだいの漫画のふるさとなのだという。
「Facet3 メランジュ礁」は、〈鹵攻〉と気候変動によって環太平洋の国々が壊滅、それからそれなりの時間が経過した世界である。各国からの避難船が擬似的な政府を樹立して、鹽津城(シオツキ)という領土を計画した。プレートひずみのエネルギーを原動力とし、〈鹵攻〉のメカニズムを使って海上に土地を造成するのである。この世界では、鹵に侵された苛酷な環境で人口を維持するため、男も女も妊娠させる力と妊娠する力の両方を備えている。それに応じて、生活スタイルも社会常識も大きく変化した。このパートは作品のなかでもっともSF性が際立ったパートである。
 じつは、海上に多国籍国家を築く設定は、「Facet2 鹹賊航路」で村木きょうだいが漫画「鹹賊航路」再開にあたって、新しく導入しようとしている設定に見られるものなのだ。ただし、この設定は、それまでの「鹹賊航路」のストーリーとは乖離しており、編集者の天野は首を傾げる。
 みっつのパートがどのような位相でつながっているか、その核心は塩満に秘められている。それぞれの登場人物の運命が共鳴し、世界が著しく干渉しあう、終盤の怒濤の展開に息を呑む。
 そのほかの収録作も、現実/虚構のせめぎあい、複数の世界の重なりあいが描かれる。「未(ひつじ)の木」は、それぞれに奇妙な植物を育てる、別居(単身赴任のため)している夫婦の物語。「ジュヴナイル」では、幼いころの異常な体験がふいに甦る。「緋愁(ひしゅう)」は、新興宗教に対応する公務員が、ふとしたきっかけで記憶の曖昧さに踏みこんでしまう。「鎭子(しずこ)」では、主人公の鎭子が淡々とした日常をすごしながら、意識のなかに分身ともいえる志津子(しづこ)が暮らす別の現実がある。そちらの世界は、飛浩隆の自作品「海の指」(海から異国の建造物が押しあげられてくる)そのものなのだ。
 どの作品についても言えることだが、情景描写や人物のふとした仕草がモチーフとして変奏的に繰りかえされるなど、円熟の技巧に唸らされる。
(牧眞司)


『鹽津城』
著者:飛 浩隆
出版社:河出書房新社
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