2月9日、『情熱大陸』(MBS・TBS系)に出演した上方落語家の桂二葉(38)。
‘21年に「NHK新人落語大賞」を受賞した注目の若手。‘23年1月からは、『ぽかぽか』(フジテレビ系)で2年にわたって水曜レギュラーを務めたり、’24年の春からは金鳥の商標で知られる「大日本除虫菊」の「シンカトリ」のCMに出演。お茶の間でも人気の存在となっている。
そんな桂が『情熱大陸』で明かしたのは、「“女流”ってよく言われますけど、なんか“二流”って言われてるようで、めっちゃ腹立つんです。だって男性には言わないでしょ?」という本音。
男性中心だった落語の世界で、桂はいかにして自らの居場所を確立し、落語の世界に変化をもたらしたのか? 『女性自身』2022年2月15日号の「シリーズ人間」より、落語大賞を受賞した直後の桂に行ったインタビュー内容を再掲する。年齢、肩書は当時のまま。
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中入り後の寄席。にぎやかな出囃子が鳴り響き、やがて盛大な拍手に迎えられるようにして、鮮やかなピンクの着物を身にまとった女性が、やおら高座に上っていった。
「二葉ちゃん!」
熱心なファンだろうか、歌舞伎の大向こうのような、大きな声援までが飛ぶ。
「はい、ありがとうございます!」
見台の前に正座し、深々と頭を下げたのは落語家の桂二葉さん(によう・35)。おかっぱ頭と、一度耳にしたら忘れられない独特の甲高い声がトレードマークだ。
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「うれしいですねぇ、『二葉ちゃん!』言うて、ええ、今日は親戚のオッチャンが来てくれてますけどもね」
枕のそのまた冒頭で、もらったばかりの声援をネタに、まずはひと笑い、つかんでみせた。
ここは上方落語専門の定席、大阪の「天満天神繁昌亭」。昨年末、取材に訪れた日の昼席は「歳末吉例女流ウィーク」と銘打たれ、多くの女性芸人が舞台に上っていた。
「今日はぎょうさん、女性の落語家が出ておりますけれども、私がいちばんの正統派といいますか。え〜、私ごとでたいへん恐縮なんですけれども、このあいだ、11月に行われましたNHKの……」
ここまで話すとまた、割れんばかりの拍手がわき起こった。
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そう、二葉さんは昨年11月、若手落語家の登竜門といわれる「NHK新人落語大賞」(以下、落語大賞)で見事、大賞を獲得したのだ。
じつは同賞、72年に前身のコンクールが始まって以来、ずっと男性が大賞を独占し続けてきた。
そもそも落語は、男性がネタを演じることを前提として、その長い歴史を積み重ねてきた。二葉さん自身、入門前のいちファンだったころは「寄席で見た女性の落語家さんの噺に、違和感を覚えたこともありました」と打ち明ける。数多の弟子を育てた人間国宝、故・桂米朝(べいちょう)ですら、自著のなかで女性の落語家を育てることを「あたらしい芸を一つ創り上げるぐらいむずかしい」と書いたほどだ。
かように、女性にとっては難しい世界に飛び込んで10年。先輩はもちろん、稽古後に足を運ぶ飲み屋のおっちゃんたちからも、幾度となく「女に落語はできひん」と言われてきた。それでも、「絶対とる!」と宣言していた落語大賞を、女性として史上初めて、しかも審査員全員から満点の評価を勝ちとり、つかみとった。受賞会見では、
「満点というのはテストでもとったことがなかったので、意外でした。びっくりしています」
こう、涙ながらに喜びを語った二葉さん。さらに万感の思いのこもった、こんな言葉も飛び出した。
「ジジイども、見たか!」
彼女はいかにして、分厚く硬い“ガラスの天井”を、突き破ることができたのだろうか。
■テレビで見た鶴瓶に魅了され、追っかけに。次第に落語にハマり「これや!」と確信した
学童保育の指導員をしていた父と、会社員の母。二葉さんはそんな2人の長女として86年、大阪市東住吉区に生まれた。
「内気な子でした。それに何より、勉強ができない子で。ノートの取り方もようわからん、びっくりするぐらいできない子でした」
それは中学時代、音楽の筆記テストだった。
「『カッコの中に適当な名前を書きなさい』という質問で。作曲者の名前を書かなあかんのに、私は『これやったらいける!』と本気で自分の名前を。『適当な』やから、『テキトーでええんやな』と(苦笑)。あと英語の『M』と『N』の違いが長いこと、わからんかった。形も似てるし、音も似てるから」
娘のあまりのダメっぷりに「父はよう暴れてました」と笑う。
「『なんでこんなこともわからへんねん!』と、ひっくり返した昆虫みたいになって『わー!』って暴れはったのを、よう覚えてます(笑)。でも、そんなん言われても困んねんけど、こっちは別に悪気があってやってるわけじゃなし」
いっぽう母は「アホな娘を面白がり、見捨てずにいてくれた」という。
「家に図書室作るぐらい本が好きで、物知りで。懐ろも深いんです。『ええか、MはNより1本、多いんやで』言うて(笑)、私の横に座って、辛抱強く教えてくれた」
母は既成概念にとらわれることを嫌う人でもあった。
「幼いとき、3つ下の弟とけんかして。泣く弟に私『男のくせに泣くな!』と言ったんです。きっと、世間の人がそう言ってはるの、何かで聞いて覚えてたんでしょうね。でも、すぐ母に怒られた。『男でも女でも泣くやろ』って。そう言われて『そら、そうや』と。当たり前のこと注意されて、子供ながらに、めっちゃ恥ずかしかった」
さまざまな部分で男女の格差が依然、大きかった落語の世界。果敢に飛び込んだ二葉さんのなかにもきっと、母の教えが息づいていたのだ。
「落語家を志したのは大学生のときで」と切り出した二葉さん。「え、進学できたの?」と記者が問い返すと、いつもの甲高い声で大笑い。
「まず高校は偏差値37の女子校になんとか受かって。入ってみたらアホばっかり。先生が『このまま明日の試験に出すからな』って、前日に同じプリント、くれるような高校(笑)。でも、そこで点数とることや勉強することの喜びを知って。成績も少しずつ上がってクラスで2位に。それで指定校推薦で、無事大学にも入れたんです」
大学の3回生のころ。ふだんはあまり見ないテレビのなかに、人生の転機があったという。
「たまたま見た『きらきらアフロ』いう番組で。そこに出ていた人を『このおっちゃん、なんか素敵やな』って思ったんです。『格好いい、あわよくば付き合いたい』と」
若き乙女の心をつかんだ「おっちゃん」とは、笑福亭鶴瓶さん(70)。
「すぐ調べて、落語家してはるんやと知って。それまで落語の『ら』の字も知らんかったんですけど、落語会にも行き始めて」
追っかけファンになって、好きが高じて寄席でバイトもした。
「初めてお会いしたときは、相変わらず内気でしたから、小声で『好きです』言うんが精いっぱい。言われた師匠は、苦笑いしてはりました」
熱意は実り、やがて鶴瓶さんからごはんをご馳走になったり、落語会に無料で入れてもらえるようにも。こうして、通い詰めた寄席で、二葉さんはいつしか、落語そのものの魅力にハマっていった。
「見れば見るほど落語って面白いな、自分もやってみたいなと。それに漫才やコントと違って、古典なら、ネタを一から創作する頭脳がいらないのも魅力でした(苦笑)」
じつは二葉さん、幼いころからクラスの“いちびり(お調子者)”に憧れを抱いていた。
「いてるでしょ、先生に怒られてもアホなことして、いちびれる子。たいがい男子ですけど。『俺、砂場の砂、食えるしな〜』とか言うて。アホやなと思いつつ魅力的に見えた。私こそ“ほんまもん”やのに、内気が邪魔してアホをさらけ出されへんのが悔しかったのかも。憧れは大人になってもありました」
寄席に通ううち、ここなら思いっきりアホができる、そう思えた。
「堂々とアホをやって、皆が喜んで見てくれはる、『これや!』って」
もちろん、女性の自分にはハードルが高いこともわかっていた。
「長年、男の人が演るために研究されてきたものですから。女性が演じることでお客さんが違和感を覚えてしまったら、それは笑いにつながりにくいんやろなと。なんとなくわかってはいました」
でも、と二葉さんは続ける。
「この人、頭いいんやろな、と思う落語家さんが演じるアホにも、私は同じように違和感を覚えてた。なんか無理してはるな、と。でも、私はほんまもんやぞ、私なら純度の高いアホを、無理なく演れるはずや、そうも考えたんです(笑)」
■何度も頼み込み米二師匠の初の女性の弟子に。“女だから”の苦労は常につきまとった
大学卒業後、いったんはスーパーに就職した。しかしやはり、寄席に通ううちに、桂米二(よねじ・64)という落語家の弟子になりたいと考えるように。
「うちの師匠は地味なんですけど。でも、高座はとても自然で、無理してるところが一つもない、そういう落語家で。なんとなく面倒見もよさそうに見えたんですよね」
まずはアピールやと、彼の目に留まるための行動に出た。
「師匠が出演してた繁昌亭に1週間、毎日通って同じ席に。そんとき私、アフロやったんで、めっちゃ目立ってたと思います。『ここにおるでー』って感じで(笑)」
作戦は大成功だったようだ。米二さんが述懐する。
「珍しい髪形のコがおるな、と目にはついてましたよ。それが、3日も続けて客席に。『これは、ただごとやないな』と思っておったらもう、すぐに『弟子にしてください』と言うてきて……」
返事は「女のコはとってへんねん」と、にべもないものだった。米二さんは次のように補足した。
「うちの師匠(3代目桂米朝)の持論ですね、『落語は男が男を演じ、男が女を演じるようにできてる芸や』と。つまり、歌舞伎と一緒です。だから『女が落語をするいうんは、宝塚版がいるわけや。わしはそんなんはよう教えん』と。その点は私も同意見。女性に教えるつもりなんて、サラサラなかった」
それでも二葉さんは諦めない。何度も足を運んでは頭を下げた。やがて根負けした米二さん、「話だけでも聞こか」とあいなった。そこで、彼女が鶴瓶さんの追っかけファンだったことも知った。
「鶴瓶兄さんにすぐ電話しましたよ。『こんなコが来て困ってますねん、どないしたら?』と。そしたら兄さん、『弟子にしたりいな〜』と、わりと無責任に言われて。でも、私自身もなんとなくね、むげに断ったら、あとで後悔するような、そんな気がしてたんは確かです」
「ほな一回、稽古つけよか」と口を滑らせた師匠。その言葉に「よっしゃ!」と心の中でガッツポーズを決めたまではよかったが。
「三遍稽古、言うんですけど。一つの演目を何個にも区切って、私の目の前で師匠がやってくれはるのを3回だけ見て聴いて、覚えるっていう。『こんにちは』『おー、ま、こっち上がりいな』……という感じで、だいたい1分ぐらいずつ、教わるんですけど。私、『こんにちは』だけしか、覚えられなくて。『お前、そんだけしか覚えられへんって、どういうことや!』と怒られました。仕方なしに4回目も実演してくれはったんですけど……そんでも、『こんにちは』『おー、ま、こっち上がりいな』までしか覚えられへん、みたいな。もう、そんなんの連続で、15分の前座ネタ覚えるのに半年かかりました」
米二さんも呆れ顔で振り返る。
「落語はたくさん聴いてきてたはずやのに、基本的な約束事、“上手、下手”のこともようわかってない。対面で稽古つけるとき、師匠が上手向いたら弟子も当然、自分の上手を向かなあかんのに、あいつは鏡と同じ要領で逆を向く。仕方なしに隣に座って『ええか、あっこに甚兵衛さんがいてると思え』と指さしながら教えましたよ」
こらあかんな……とサジを投げかけた米二さんだったが。
「何日かたってまた来たので、覚えたとこをやらせてみると……、これが、なかなかよかったんです。なぜか面白いと、そう思えた」
芸人独特のなんとも説明のつかぬおかしみのことを、落語の世界では「ふらがある」と評する。まさに米二さんは目の前のズブの素人に、ふらを感じ取っていた。
「ほんで、押し切られる形で『弟子にとろか』と。それが、忘れもしません、11年の3月9日です。東日本大震災の2日前。以前の阪神・淡路大震災のとき、私も仕事なくなりましたから。もし、震災が先やったら、弟子にとってなかったでしょうね。自分のことで手いっぱいやと。でも、震災直前に弟子に。そんなところも、なんか二葉は持ってたんかもしれませんね」
こうして二葉さんは24歳で、米二師匠初めての女性の弟子に。
勇んで入った落語界だが、女性ならではの苦労も多かった。高座では客からの冷たい視線にさらされた。出番直前、舞台袖で先輩から撞木でお尻を突かれるなんてセクハラは日常茶飯事。さらに、
「女に落語はできひん、高座返しだけしとけ!」
ある業界の人間からぶつけられた言葉。振り返る二葉さんの表情には、いまも怒りが滲んで見えた。
「高座返しというのは前座の仕事で、舞台のお座布団ひっくり返して次の演者さんのための準備をするもの。男性の前座落語家もするんですけど。私は『前掛け、してやれ』とも言われて。『男の人は、してませんやんか!』と反論すると『女は前掛けがしきたりや』と」
上方落語の寄席では、高座返しなど裏方仕事を専門とする“お茶子”と呼ばれる女性がいる。
「彼女らは前掛けをしてるんです。でも、当然ですが『私はお茶子と違う、落語家や!』と。ただ、そんときはけんかしてる時間もなく、しゃあなしに前掛けつけて高座返しして。袖に戻った瞬間、パッと外して、投げ捨ててやりました」
■ボロカスに言われた一昨年の決勝で「目が覚めた」。翌年、大爆笑をさらって見事優勝
入門半年後の9月6日。大阪・梅田太融寺での二葉さんの初高座は、大入り満員だった。
「うちの師匠は落語ファンからも正統派と言われていたので。『米二のとこの女の弟子やて、どんなやつや』と。ふだんは60人ぐらいしか入らんとこやのに、その日は200人以上もお客が入ってました」
大勢の前で披露したのは、古典落語の演目の一つ『道具屋』。
「よう、覚えてません。緊張で、もう声出すのにただただ必死で。でも、そのときは、とちらなかったと思います。その後はよう、とちりましたけど(笑)」
とくに思い出深いのが、入門3年目でやらかした、こんな失敗談。
「『牛ほめ』という演目のネタおろしの日で。それまでは、私が(ネタが飛んで)止まったときのために師匠、近くにいてくれはったんです。でも『3年目や、さすがにもういけるやろ』と、そんときはトイレに行ってもうて……」
そんなときに限って二葉さん、演目の途中でフリーズしてしまう。
「誰かが呼んでくれて師匠、ズボンをずりずり上げながら出てきてくれて(笑)。『どこや、ここらへんか?』って袖から小声で教えてくれようと。『そこじゃないです、その次です!』って答えたら、
『それがわかるんやったら、次も言わんかい!』って舞台上で怒鳴られて(笑)。お客さん? それはもう大爆笑。情けないんですけど、いまだに、たまに止まるんで。いまは最前列の席のおっちゃんに教えてもらってます(苦笑)」
女性というだけであれほど冷たかった客の目が、いつの間にか温かく感じられるほど、落語ファンにも愛されるようになった二葉さん。賞レースにも貪欲に挑んだ。なかでも狙っていたのが落語大賞。毎年のように挑戦し、じつは大賞獲得の前年も決勝に残っていた。
「20年は決勝の会場が東京で。お客さんも少なく、私もめちゃくちゃ緊張してしまった。自分でもあかんなと思うほどできが悪くて。結果、公開説教のように審査員からボロカス言われて。『ネタ、何本持ってるの?』とまで。『そんなんいま、関係ないやろ!』いう言葉が喉元まで出かかりました(苦笑)。もう悔しいし、情けないしで……」
でも、その苦い経験が初心に立ち戻る契機にもなった。
「一昨年は自分に期待しすぎたのと、大賞目前と思ったら賞金の50万円に目がくらんでしまって。でも、目が覚めたというか『私はなんのために落語やってんねん? お客さんを笑かすためや』と」
雪辱を果たすべく昨年、彼女が選んだネタは、やっぱり古典の『天狗さし』。主人公は、天狗を捕まえてひともうけ企む愛すべきアホ・喜六。それを、二葉さんが熱演し観客は大ウケだった。
「そのときの会場は大阪。いつも応援してくれはるお客さんがぎょうさんいてて。ほんま、押し上げてくれはったなと思います」
結果は先述のとおりの快挙。その大手柄を師匠も手放しに喜んだ。
「二葉は誰よりも根性がありました。NHKの賞も何年も前から『絶対とります』と宣言して、有言実行しよったわけで。それはもう、素直に褒めてやりたいですね」
当の本人は前年から手のひらを返したような高い評価に「え、本当にいいんですか、と思いました」と舌を出す。
「でも、女性には無理と思われてた古典で、受賞できたことは、素直にうれしかった。自分で言うのもなんですけど、歴史、変わったんちゃうかな(笑)」
■90歳の理想の姿は「おばあちゃんやのに寄席で『うりゃー!』って全力で(笑)」
「次、なにを目指しますかね〜」
こう言って二葉さん、頭をひねった。じつは落語の賞レース、大きなタイトルはあまりない。昨年獲得した落語大賞が、登竜門にして、最も大きな賞の一つでもあるのだ。
「そう、だから『次これとる!』みたいなんが、思いつかなくて。いまもお世話になってる鶴瓶師匠からは最近、『東京出てこい』とは言われました。だからというわけでもないんですが来月、東京で独演会、やることに決めました」
将来は「全国を独演会で回れる噺家になりたい」とも話す。
「それで90歳になったときの、理想の姿はあるんです。ヨボヨボのおばあちゃんやのに寄席に出て『うりゃー!』って全力でアホをやったら面白いやろうなって(笑)」
ここまで聞いた記者が「それで、最後は米朝大師匠のように人間国宝に?」と問いかけると、
「あ、いいですね。目標はそれにします、人間国宝とります!」
こう言い放った二葉さん。その笑顔はまぎれもない、ほんまもんの顔だった。
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