『第41回浅草芸能大賞受賞者(令和6年度)』大賞を受賞した五街道雲助(C)ORICON NewS inc. 落語家の五街道雲助が『第41回浅草芸能大賞(令和6年度)』の大賞を受賞し、15日に東京・浅草公会堂で行われた授賞式に参加した。
【写真】背筋が伸びたスラッとした佇まいの市川團子 雲助は、『令和6年度「スターの手型」顕彰式』の被顕彰者にも選ばれた。先に顕彰式が行われ、その際のスピーチでは「浅草というのは大変、縁ある土地でございます。私は今、川向うの本所というところに住んでおりますけれども、本籍は浅草でございます。で、浅草寺病院の斜前に『さくま』という、いい飲み屋があるんですけど、ここが私の本籍地です。お暇な時は、ぜひその店に行っていただきたい。それから、吉原の見返り柳の斜に伊勢屋という天ぷら屋がございます。ここは私、若林の本家でございます。1度行ってみてください。とにかくの浅草というのには縁があるのでございます。そういうところでもって、また私の足跡ならぬ手型を残すことができるというのは大変にうれしいことでございます」と軽妙に語っていた。
『浅草芸能大賞』の授賞式で再びステージに。幼少期から慣れ親しんだ場所が浅草であることを明かし「大変になじみのある土地柄でございます。そういう浅草から芸を顕彰していただくという。これほどうれしいことはありません。自分の晩年にありがたいものをいただいたなという気がしております。本日は誠にどうもありがとうございました」と笑顔を見せていた。
同賞は、大衆芸能の奨励と振興を図ることを目的として、公益財団法人台東区芸術文化財団が昭和59年4月に創設したもので、一般公募の区民審査員からの推薦をもとに、芸能関係に精通している専門家で構成する選考専門審査委員会の慎重な審議を経て、選出している。
■五街道雲助
1948年3月2日生まれ、東京都墨田区出身。68年2月に十代目金原亭馬生に入門し、前座名「駒七」。72年11月に二ツ目に昇進し「五街道雲助」と改名。81年に真打昇進。古典落語の中でも人情噺、滑稽噺、怪談噺など幅広い演目に取り組むほか、約40席の古典演目を復活させ、後進の継承に尽力している。弟子には、三代目桃月庵白酒、四代目隅田川馬石、三代目蜃気楼龍玉がいる。