<小倉智昭さん お別れの会>◇17日◇ブルーノート東京
ぼうこうがんのため24年12月9日に77歳で亡くなった、フリーアナウンサー小倉智昭さんのお別れの会が17日、東京・港区のブルーノート東京で行われた。
参列した菊川怜(47)は、フジテレビ系「とくダネ!」で、12年7月〜17年9月まで5年3カ月、タッグを組んだ小倉さんの死が、3カ月たっても受け止められず涙が止まらなかった。
24年11月17日に小倉さんに電話連絡したのが最後だと明かした上で「小倉さんが病気でつらい時、私もつらいことがあって、心配してくれて。甘えちゃったところがあって」と涙声になった。当時、自身は7年半の結婚生活にピリオドを打ち、離婚を発表したタイミングで「『前向きにやっていけるか、分かんない、自信がない』と言った時『怜ちゃん、大丈夫だよ』と、声をかけて元気づけてくれた。小倉さんも大変な時なのに心配して支えてくれました」と感謝した。
菊川は参列し、献花した思いを聞かれ「もう、遺影がすごい良い笑顔で…何か穏やかで楽しそうで1番、良い笑顔だと思って見ていました。献花した時も『見守って下さい、あっちで楽しく過ごして下さい』と言いました」と涙を流した。そして「最後に(24年)11月17日くらいに電話した時、私のことを心配して逆に電話してくれた。元気そうだったので…12月に亡くなったと『とくダネ!』のLINEグループに午前3時に来て、朝起きて、見てショックで。あんなに元気だったのに、亡くなってしまったのが悲しかった」と訃報を知った当時を振り返った。
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「とくダネ!」を離れてから、小倉さんの仕事ぶりのすごさを、改めて再認識できたという。「もっと、その時(共演時)に、すごさに気付いていたかった。終わった後とか、どれだけ皆さんに愛されて、仕事ぶりも目的意識を持ってこれを伝えるとか情熱、使命感、深さを持って仕事していたと年を重ねて気付く」と、かみしめるように口にした。
そして「経験…今でも残っているから、掘ってたどっていけるのは、今後も仕事していく上で支えていけると感謝しています。最後にかけてもらったことが忘れず、前向き支えにして頑張ります」と感謝した。
そして「仲間は皆いるんですけど、芸能界で関わった方で、これだけの距離、近さで接してくれたのは小倉さんだけです。もう、近すぎて…私の世界で、側に常にいる、えたいの知れない感じ。毎日、ずっと隣に座っていたし、過ごす時間が長いと、家族になってくる空気があった」と、小倉さんは仕事上の関係を越えた、家族に近い存在だったと吐露。「かけがえのない、もう戻って来ない時間だけど、いつまでも胸の中に残っているし。小倉さんが作ったイズムが残った人が頑張りますので、仲良く元気に仕事ができるよう、見守って下さい」と天国の小倉さんに呼びかけた。
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