グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回は4th.aiでロボティクスとAI(人工知能)の開発研究に携わっているPatrick BAYIM(パトリック・バイム)さんにお話を伺う。パトリックは、人生の半分以上を共に過ごしている叔母から「信頼すること」と「責任感」の大切さを教わった。
聞き手は、AppleやDisneyなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。
●フランス語と英語と日本語のトリリンガル
Patrick BAYIM(パトリック・バイム、以下パトリックさん) はじめまして、パトリックです。今日はお招きいただきありがとうございます。感謝しております。
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阿部川“Go”久広(以下、阿部川) こちらこそありがとうございます。最初にふるさとのカメルーンについて教えていただけますか?
パトリックさん カメルーンは、中央アフリカの赤道近くに位置する熱帯の国です。大西洋に面しているので、湿度が高いです。食べ物に恵まれており、マンゴーや巨大なアボカドなどの熱帯フルーツが豊富です。カメルーン料理は塩辛からくスパイシーですが、インドほどではありません。とてもおいしいですよ。
カメルーンはアフリカの縮図と呼ばれるほどさまざまな文化が集まっており、270以上の部族語があります。
阿部川 270も! 部族間ではどのように意思疎通をしているのですか?
パトリックさん カメルーンはかつてフランス、イギリス、ポルトガル、ドイツによって統治されていたため、フランス語と英語が公用語です。
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阿部川 では初めて会った人には英語で話し掛け、相手の出身地や言語を確認して、共通語があればその言語で話し、なければフランス語か英語を使うということでしょうか。
パトリックさん はい、その通りです。カナダで「バンクーバーは英語、モントリオールはフランス語」と地域で主要な言語が分かれているように、カメルーンにもフランス語地域と英語地域がはっきりと分かれています。
主に第二次世界大戦後の地政学的な理由からで、国際連合が、ドイツが統治していたカメルーンをフランスとイギリスに委託したことで、地域が分かれることになりました。
阿部川 そういった歴史的ないきさつがあったのですね。パトリックさんはどちらの言語の地域の出身なのですか?
パトリックさん 私はフランス語地域の出身なので、フランス語の方が英語よりも得意です。でも、インタビューは英語でも日本語でも大丈夫ですよ。
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●父母からは論理的思考を、叔母からは信頼を教えてもらった
パトリックさん 私はカメルーンの港湾都市ドゥアラで生まれ育ち、大学も町の名前を冠したUniversity of Douala(ドゥアラ大学)に通いました。日本が初めての海外でした。
阿部川 ドゥアラにいた頃は、どのようなお子さんでしたか?
パトリックさん 子どもの頃は内向的でしたが、気の合う友達とは、カメルーンでポピュラーなスポーツ、サッカーでよく遊びました。
父からは、スクラブルなどの論理的思考を刺激する遊びをよく勧められました。母は質問好きで、子どもながらにも難しい質問に答えさせられるなど、2つの異なる質の教育を受けました。
両親とも若くして亡くなりましたので、私は叔母に育てられました。13歳ごろから一緒に暮らし始めて、人生の半分以上を共に過ごしています。
阿部川 お友達とはサッカーなどの活動的な面を、ご両親とは論理的思考を養う面を育まれたのですね。叔母さまはどのような影響を与えてくれましたか?
パトリックさん 叔母は素晴らしい人です。常に私が良い判断ができると信頼してくれていました。初めての彼女ができたときも、叔母に相談して助言をもらいました。
日常的にも、私の意見を尊重してくれ、一緒に考え、一緒に解決策を見つけていきました。そうした関係の中で、私は早くから責任感を身に付けられました。今でも叔母と密接な関係を保っており、カメルーンに帰る際は必ず叔母の家に滞在します。叔母の家が、私の故郷といえます。
●母が教えてくれたデルのPC
阿部川 カメルーンの教育制度はどのような仕組みなのでしょうか。
パトリックさん カメルーンの教育システムはフランス語のシステムと英語のシステムの2つに分かれおり、英語のシステムは日本の教育制度に近いものです。フランス語のシステムは、入学は簡単ですが卒業が難しいという特徴があります。高校最終学年に国家試験が2回あり、それに合格しないと卒業できません。私も17歳と18歳の時にこの試験を受けました。
高校時代は勉強以外にも、サッカーや陸上競技などにも熱心に取り組みました。また、クラスメートと一緒に自主的に勉強会を開き、放課後に10人ほど集まって、お互いに助け合いながら演習問題に取り組みました。先生に指示されたわけではなく、自発的に集まっていたのです。
阿部川 PCを学び始めたのはいつ頃ですか。
パトリックさん 初めてPCに触れたのは、10歳ごろでした。母の職場であるドゥアラ高校のPCで遊ばせてもらっていたのです。当時はMicrosoft Wordの操作など基本的なことしかできませんでしたが、母に教えてもらいながら学びました。デルのPCだったと記憶しています。
本格的に勉強を始めたのは16歳ごろからです。放課後、高校のクラスメートと一緒にコンピュータ室を借りて、Webサイトの作成やプログラミングの演習をしました。私は文系の学生だったのにPCが一番得意で、自主的に学習し、プログラミングが自然と好きになりました。
阿部川 当時、エンジニアになることを考えていましたか?
パトリックさん いいえ、当時はジャーナリストや哲学者になりたいと思っていて、プログラミングはあくまでも趣味でした。しかし高校最終学年で自分の適性を見直した結果、数学やプログラミングの方が向いていると感じました。
そこで工学系に進むことを決め、ドゥアラ大学で数学とITを専攻し、その後米国のPurdue Global(パデュー・グローバル大学)でソフトウェア開発の学位も取得しました。現在はドイツのInternational University of Applied Sciences(応用科学大学院)で修士課程に在籍しています。
阿部川 修士課程と仕事の両立は大変でしょう。学費はどのように賄っているのですか?
パトリックさん ドゥアラ大学までは叔母が支援してくれましたが、今は自分で賄っています。時には本当に大変ですが、とてもやりがいがあります。
フランス語と英語で学び育ったパトリックさんは、大学卒業、あえて未知の言語「日本語」で学ぶ道を選ぶ。後編では、パトリックさんが日本語で語る「エンジニアに持ってほしい気概」を紹介する。
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