中村昌也に「ABEMAエンタメ」のドキュメンタリー企画「NO MAKE」が密着(C)AbemaTV 12年前に“世間の注目”を集めた俳優・中村昌也(39)が、今は南国・宮古島と大阪を拠点に新たな人生を歩んでいる。そんな中村の現在に「ABEMAエンタメ」のドキュメンタリー企画「NO MAKE」が密着。番組では、芸能界の表舞台から距離を置いた彼が、離島での暮らしと再起への思いを赤裸々に語っている。
【動画】宮古島と地元・大阪で2拠点生活中…中村昌也に密着 現在、中村は宮古島と地元・大阪で2拠点生活中。宮古島へは2023年1月に移住、同年2月には知人と共同で島内にバーをオープンしました。バーには地元の常連や観光で島を訪れた客が足を運び、看板メニューの“ハブ酒”が250杯売れる日も。そんな繁盛店に「NO MAKE」のカメラが潜入すると、中村自らドリンクを作り、芸能界で培ったトーク力で接客する姿があった。
ゆかりがなかった宮古島への移住を決断したキッカケについて、中村は「当時、6年半ぐらい付き合った彼女と別れて…。20年近く芸能の仕事をやって、『何か動き出したいな』ってちょうど思っていたし、生々しい話ではビジネスチャンスもあると聞いて…」と赤裸々に語り、「『宮古島に来たら、何かが変わるかも』が1番正直なところかも。いろいろ忘れたかったこともあったし…」とポツリとつぶやいた。
中村は2007年に俳優としてデビューし、舞台を中心に活動。プライベートでは2011年に元モーニング娘。の矢口真里と結婚。しかし、夫婦の関係は2年ほどで終止符。その当時を振り返り、中村は「1年くらいは『うっ…』って思う瞬間もあったけど、意外とすぐに立ち直っていたんです。でも、しんどかったっすね。それは向こう(矢口)もだろうけど…」と俯くも、すぐに前を向き、「“前の妻の夫”ってことで、名前を覚えてもらった感謝の方が大きいかな。なんか逆にありがとうですよ。それ(離婚)がなかったら、世間は僕のこと知らないんじゃないかな?と思う」と感謝の言葉を口にした。
一方で、周囲からかけられる言葉への苦悩が。中村さんは「イジられすぎるとしんどいっていうのは本音かな。それをどこかで受け入れていたけど、環境を変えたいと思って宮古島に来たのに、こんなにイジられる?って思った」と胸の内を吐露し、「店のカラオケが1番しんどいかな。沖縄の人って(地元出身の)BEGINやHYを入れるのに、ウチの店だけモーニング娘。が上位なんです。メドレーぐらい入る。俺はうまくリアクションとれないし、マイクを渡されても歌がそんなに上手くないから…。すごく変な空気なるのはマジでしんどい(笑)」と打ち明けた。
また、店には“招かれざる客”の姿も。番組スタッフが「この店に記者も来たりしましたか?」と聞くと、中村は「全媒体来たっすね。お客さんが『中村さんって…?』とかやたら聞いてきて、『あれ?』と思ったら、帰り際に『記者です』と言われたり。家の前で張られていたり、東京の仕事に行く飛行機から東京での行動まで付けられていたりしました」と語り、苦笑いを浮かべた。
宮古島に移住して3年経った中村は、現在の自身を「ちょっともがいてる」と評価。その理由を、「宮古島に来たら、東京での仕事も増えるんじゃないかってどこかで思っていたんです。でも、呼んでくれなくなっちゃった。交通費とホテル代って言われちゃって…。いろんな人に相談しても、『もう3年も離れているから、東京に帰ってきてもイスがないよ』って。“宮古島タレント”になれるかって言ったら、それも中途半端だし」と告白。
そして、「お客さんに『芸能活動は辞めたんですか?』って言われるんです。今はそんなに活動してないから、世間は引退したと思ってるのかな」と弱音を吐くも、「ただ仕事が減っただけで、僕はなんでもやりますからね。恋愛リアリティーショーばかり呼ばれるけど(笑)」とアピール。そして、中村は宮古島の砂浜に再起を誓う“一文字”を刻みます。砂浜に「活」の字を書くと、中村は「今後もっと“活躍”って意味もあるし、“復活”もかけて。やっぱり飛躍したいし、カムバックでしょ!これが今の正直な思いかな」と意気込みを語った。
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