【平成の名力士列伝:北勝海】ひたむきな稽古で低評価と逆境を乗り越えた不屈の名横綱

1

2025年05月17日 18:20  webスポルティーバ

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

webスポルティーバ

写真

連載・平成の名力士列伝43:北勝海

平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、第61代横綱の北勝海を紹介する。

連載・平成の名力士列伝リスト

【順調に成長を遂げて横綱に昇進するも......】

 平成時代の幕開けを告げる平成元(1989)年1月場所を制した横綱・北勝海。ひたむきな稽古で頂点を極めた努力の人が、腰痛によって引退の瀬戸際に立たされながら、3場所連続休場明けにつかんだ劇的な復活優勝は、ファンの脳裏に深く刻まれている。

 北海道広尾町出身。幼い頃から野球、スキー、柔道の選手として活躍し、特に柔道は、中学2年の時に全十勝大会で優勝するなど好成績を収めた。親族と親交のあった元横綱・北の富士の九重親方のスカウトを受けて、中学卒業を機に九重部屋に入門し、昭和54(1979)年3月、本名の保志で初土俵を踏んだ。

 順調に番付を上げ、昭和58(1983)年9月場所、20歳の若さで入幕すると、たちまち小結、関脇へと駆け上がって三役や三賞の常連となり、昭和61(1986)年3月場所には関脇で初優勝。同年7月場所後に大関に昇進した。

 北勝海と改名した大関時代も好成績を続け、4場所目の昭和62(1987)年3月場所で2度目の優勝を飾り、翌5月場所を準優勝で終えたあとに横綱に昇進した。

 同期生で同じ「花のサンパチ組(昭和38年生まれ)」の横綱・双羽黒、1学年上で同じ北海道出身の横綱・大乃国を筆頭に有望な大型力士がひしめくなか、体に恵まれない北勝海には、「三役止まりだろう」「横綱に上がるのは難しい」といった評価がつきまとった。そんな声をバネに、同じ九重部屋の先輩である横綱・千代の富士の胸を借りて猛稽古に励んだ。汗や砂にまみれて磨いたスピード感あふれる押し相撲は唯一無二で、横綱昇進2場所目で優勝を果たすなど順調に滑り出し、前途は洋々だった。

 突然の試練に襲われたのは、昭和63(1988)年5月場所のこと。優勝の可能性を残して迎えた14日目の支度部屋で四股を踏んだ瞬間、腰に激痛が走った。その日は相撲を取ったものの大関・旭富士に完敗し、千秋楽は休場を余儀なくされた。

 当時、腰痛の治療は安静第一。猛稽古で横綱に上った北勝海にとって、その影響は計り知れないほど大きかった。寝たきりの自分の体から、日に日に筋肉が落ちていくのがわかる。稽古したいけれどできない。そんな歯がゆさに耐えて辛抱したが、状態はいっこうによくならず、休場を重ねた。

【平成初場所で奇跡の復活劇を契機に横綱としての力を発揮】

 心が折れそうになったとき、「体を激しく動かしたあと、極度の低温で冷やす」という、当時では常識外れの治療法を行なっているトレーナーの存在を知り、駆け込んだ。毎日8時間のトレーニングで、腰を動かすたびに激痛が走ったが、ベッドにただじっと横になっているよりはましだった。壮絶なリハビリに取り組むうちに、少しずつ痛みが取れていく。暗闇に見出した光を励みにさらに努力を重ね、支度部屋での腰痛発症から8カ月後、昭和64(1989)年1月場所、復活の土俵に上がると決めた。

 3場所連続休場明けで進退のかかった場所は、直前に昭和天皇が崩御して平成元年1月場所と名を改め、初日を1日遅らせる異例の事態となった。しかし、カゼをこじらせて高熱に苦しみ、それが絶好の休養になったという北勝海は、初日から14連勝の快進撃。千秋楽、1敗の大関・旭富士に敗れて並ばれたたものの、優勝決定戦では快勝し、8場所ぶり4回目となる、奇跡の復活優勝を飾った。

 これ以後も、北勝海は腰痛の爆弾を抱えながら、横綱として安定した成績を残し続けた。

 同年7月場所では千代の富士と、史上初の同部屋横綱同士の優勝決定戦を実現。敗れたものの、歴史に名を刻んだ。平成2(1990)年3月には霧島、小錦との優勝決定巴戦に進出し、1度は小錦に敗れながら復活して優勝。平成3(1991)年3月場所は、14日目の1敗同士の対戦で勝利しながら左ヒザを負傷。相撲が取れる状態でなかったが、その状態を隠して千秋楽に臨み、自分の出番の前に1差で追う横綱・大乃国が敗れ、8度目の優勝をもぎ取った。

 これ以降は、ヒザの負傷や腰痛などのため休場が増え、平成4(1992)年5月前に引退を発表。28歳の若さで土俵を去ることになったが、持てる力を出し切った、清々しい土俵人生だった。

 引退後は八角部屋を興し、関脇・北勝力、小結・海鵬、隠岐の海、北勝富士らを育てる一方で、理事として相撲協会の運営にも尽力し、平成27(2015)年11月に北の湖理事長が亡くなると、理事長代行を経て理事長に就任。長期政権を築き、平成時代の終わりと令和時代の始まりを理事長として迎え、大相撲の歴史を次の世代へつなごうとしている。

【Profile】北勝海信芳(ほくとうみ・のぶよし)/昭和38(1963)年6月22日生まれ、北海道広尾郡広尾町出身/本名:保志信芳/所属:九重部屋/しこ名履歴:保志→富士若→保志→北勝海/初土俵:昭和54(1979)年3月場所/引退場所:平成4(1992)年3月場所/最高位:第61代横綱

ランキングスポーツ

前日のランキングへ

ニュース設定