写真5月9日から11日にかけて幕張メッセで開催された「KCON JAPAN 2025」で起きた出来事が、大きな騒動になっています。韓国の9人組ボーイズグループ・ZEROBASEONEをお見送りするイベントの際に、女性スタッフが取った行動がファンの逆鱗に触れたのです。
◆一瞬が“炎上”に変わる、シュシュ女事件とは
その女性スタッフは、ファンとアーティストの距離を適切に保ち、移動を促す、“剥(は)がし”と呼ばれる任務を担当していました。スケジュール進行やアーティストの安全を確保するための役割として重要な仕事です。
ところが、早く退場を促すためにファンの背中を押したり、その状況を楽しんでいるかのような表情をしていたことから、彼女の対応が通常の“剥がし”よりも高圧的だったとして、SNS上で大炎上。
シュシュをつけていたので“シュシュ女”との呼び名で、個人を特定するような情報がSNSで拡散される事態にまで発展しました。
当イベントの運営会社は、そのスタッフの対応に不適切な点があったことを謝罪しつつも、ファンによる誹謗中傷には法的措置も辞さない構えを見せています。
◆推し活を支える熱意と意見の分かれる反応
ネット上の反応はさまざまでした。「高いお金を出して来ているのに強引に押し出されたら普通はキレる」とか、「明らかに普通の剥がしより乱暴で、ファンのことを冷やかしているように見える」といった、シュシュ女の対応への批判やファンに同情的な意見が多く寄せられました。
一方で、「怒る気持ちはわからないでもないが個人情報をさらすのはイカれている」とか、「顔や名前をさらして何かあったら大変」といった、ファンの行動が過激化していることを心配する声もありました。
双方の意見には共感できる点もありますが、今回の一件はある問題を浮き彫りにしています。それは、推し活ビジネスの限界です。通常のイベント時の動画を見ても、ファンがベルトコンベア式に流れてきてはアイドルに必死にアピールする映像は、シュールです。
Yahoo!ニュースの記事では、「その一瞬にも高いお金を払って元気をもらっている」というコメントもありますが、そうした構造を良しとする風潮に、世の中が疑問を感じ始めているのではないでしょうか。
◆暴走する愛?「推し活」のゆがんだ情熱
ここからは推し活のリスクについて考えたいと思います。
推し活という単語とリンクするのが、「ファンダム」という造語です。この“ダム”とはキングダム(王国)の“ダム”に由来し、ファンが集団として形成する一種の王国を意味します。
昨今のアイドルカルチャーは、このファンダムをいかに効率的かつ組織的に形成し、独自の経済圏を築くことができるかの勝負になっていると言っても過言ではありません。
それはポジティブに働けば、アイドルや彼らをマネジメントするプロダクションにとって、安定的かつ大きな収入源となります。企業にとっての資本金が、アイドルにおけるファンダムといえるのです。
しかしながら、これが諸刃の剣であると指摘する声もあります。
日本経済新聞『NIKKEI The Style「文化時評」』(「ファンダムはただの消費者か 推し活に潜む傷と危うさ」2024年7月7日)では、ファンダムがただの消費者ではなく、不特定多数の負の感情が束となって襲いかかる危うさを孕(はら)んでいると分析しています。
<広く、深く浸透する推し活は「自己表現であり、自らのアイデンティティーの隙間を埋めるものになっている」(電通デジタルの天野彬氏)ところにその本質がある。>(上記記事より引用)
つまり、ファンダムのエネルギーとは、純粋に推しを応援したいというポジティブな動機よりも、ファンである自分の満たされぬ夢や野望、理想をアイドルやアーティストに投影することで満足するというような、屈折した情熱に支えられているということです。
そうした屈折が色濃いからこそ、ファンダムは推しを過剰に神聖視します。
すると、<「ひとたび対象が『侵された』と感じると、損得を計算する功利的判断を伴わずに激しい反発が生じる」>(関西学院大学神学部 柳沢田実准教授の発言。上記記事より)、大炎上が起こるわけです。
◆「推し活」の不健全な痛々しさに本人たちは無自覚
推し活における不健康なアイデンティティーの発露は、ボクシング系YouTuberの細川バレンタイン氏もこの一件を扱った動画で指摘していました。その要約は次の通りです。
「自分が本当に満たされて、持っている人間ならば、全力でその対象を応援するし、またそれにインスパイアされて自分自身を高める行動を取るはず。
しかし、推し活はそうではない。このすごい奴を推してる私もすごいという歪んだ等号を結んでしまう。それを不健全と呼ばないで何というのか」という分析です(「まともなあなたはコレどう思う?K-POPイベのスタッフが顔も住所も晒された件」『細川バレンタイン/前向き教室』5月13日投稿動画)。
この指摘も非常に重要です。自分の行動や発想の基準を推しの対象にゆだねてしまう、また多くの場合そのことに気づいていないという二重の恐ろしさがあることを言っています。
そうした歪んだ情熱によって、経済圏が成り立っています。強迫性を帯びた太客が支えるビジネスモデルであるがゆえに、推し活やファンダムには、どこか痛々しさがあるのです。
◆エンタメから「客」が消える日
さて、このようにファンダムを中心にしたビジネスが支配的になったエンターテインメントで、いったい何が起こり得るでしょうか?
筆者は、かねてより演者とファンの中間に存在すべき「客」の不在を懸念しています。「客」とは普段無関心であっても、パフォーマンスや作品ごとに是々非々で評価を下す、シビアでスマートな消費者であると定義します。
しかしながら、オタ活や推し活の名のもとに「客」の存在は薄れ、エンターテインメントは鑑賞するものから、応援するものへと変化しています。
その応援も、細川バレンタイン氏が指摘するように、決して寛容なものではありません。いつ激しい攻撃性に転じるかわからない恐怖がファンダムの燃料なのです。
自然界から里山が失われ野生動物が凶暴化したのと同じ構図が、エンターテインメントの世界でも起きているように感じます。
今回のシュシュ女騒動は、推し活文化やファンダムビジネスに潜むリスクを浮き彫りにした象徴的な事件であり、エンターテインメント文化にとって決定的な禍根を残したのではないでしょうか。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4