「介護に役立ったというよりも、読んで純粋に面白かったという人が多いことがうれしいですね」
読者からの声についてこう語るのは、全身がまひして動かない夫の介護の日々をつづった『眼述記』(忘羊社)の著者、高倉美恵さん(59)。『眼述記』は元書店員でライターの高倉さんが、毎日新聞西部本社版朝刊に連載していたエッセイをまとめた一冊だ。
眼で述べる――。タイトルの造語“眼述”のとおり、高倉さんの夫で、元毎日新聞記者の矢部明洋さん(62)が自由に動かせるのは目だけ。唯一の意思疎通の方法は、透明な文字盤の文字を、一文字ずつ視線で示すこと。
そんな夫婦の“会話”は、夫婦愛に満ちている……のではなく、毒舌の夫に応酬する妻のエピソードが満載だ。そもそも、文字盤を通した初めての夫婦の会話から、チグハグだった。高倉さんが語る。
「夫が51歳のときに、脳梗塞の治療中に脳出血を起こしました。なんとか死を免れましたが、意識がなかなか戻らず体も動かない。ですが、かろうじて目だけは動いていました。脳疾患の後遺症には運動まひや感覚まひのほか、記憶や認知、言語機能などが阻害されることも多いのですが、そのときは夫の脳障害の症状がどの程度のものなのか、具体的にはわかっていませんでした。倒れてから4カ月が過ぎたころ、夫のリハビリを担当している言語聴覚士さんが『文字盤を試したら目で追えました』と。夫は自分の名前を覚えていて、ひらがなも読めていた。けれど、手も口も動かないので、自分の意思を伝える手段がなかったのです」
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こうして、高倉さん手製の塩化ビニール板に五十音を示した「文字盤」で意思疎通ができるようになったのだが……。夫が最初に妻に目で伝えたのは「さ・わ・る・な」という言葉だったのだ。
「夫が入院して初めてむかっ腹を立てることができた瞬間でした。リハビリのためにマッサージを懸命にしていましたが、とくに食後は、それが苦痛だったようです。倒れたあとでも、記者時代の頭脳明晰なまま。“口の悪さ”も健在でした(笑)」
それから、夫婦のドタバタな日常が始まっていく。たとえば、高倉さんが新聞を読み聞かせをしていても……。
《気になる見出しがあれば、本文まで読み、1日に1カ所くらいは読み方の間違いを指摘される。「合従連衡」などは「ごうじゅうれんしょう? なんじゃこりゃ」とか読んで「がっしょうれんこう」とキレ気味に教えられて初めて知った言葉だ。「ほー」なんて感心していると「学校で習ったはず」と言われてけんかになる》(『眼述記』より)
口の悪い夫でも、彼女はへこたれない。「あほんだら」と言おうと夫が文字盤で「あ」を視線で示せば、妻は、勝手に予測変換して「あ……あいしている?」とわざと読み間違う。
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ドラマを2人で見ていても、バトルが勃発することも多い。
《私が腹に据えかね、いつ大げんかに発展するやもしれぬ緊張状態が続いている。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の話だ。夫婦そろって毎週楽しみにしているが、これからどうなるというネタバレを、夫が執拗にしてくるのだ。(中略)しかも、つるっと口が滑ってとかじゃない。私が文字盤で読み取って、知らされるのである。まんまと文字盤を読み続けて、「はっ! それ、これから起こることやん」(怒)となる》(『眼述記』より)
この『眼述記』が、ユーモアに富む介護日記に仕上がった背景には、こんなエピソードがある。
「夫が倒れて2カ月目くらいに、新聞記者の夫の同僚から『高倉さんは書く人だから、いつか(この体験を)絶対に書きましょうね』と言われました。そのときに、夫が倒れたかわいそうな妻にはならない、と気持ちが切り替わったんです。書くこと前提で介護していると、『これは誰かの役に立ちそう』とか『笑ってもらえそう』とネタを探している気分に。想像を超えるほど過酷なことがあっても、どこか自分を俯瞰することができ、連載エッセイの筆も進みました」
と、高倉さんは笑みを見せる。
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それにしても、昼夜問わずの排せつ介助、体位交換、たんの吸引、胃ろうによる食事と投薬という24時間体制の介護とは、どう向き合ってきたのだろうか。
「夫も『オレはだめだ』といった後ろ向きなことを家族にはぶつけてこなかったので、私も冷静にやっていけたと思います。また、夫を自宅介護するとき、当時高校1年生の息子と中学1年生の娘にとって“帰りたくない家”にだけはしたくなかったので、明るく楽しげな母親でいようと決意しました。どんなに取り繕って優しい態度で夫に接しても、そんな?は子どもたちにバレてしまいます。ごまかし合っている夫婦を見て育つと心がゆがむと思い、たとえば夫に頼まれても、私がしんどくてできないときは包み隠さずに言うようにしました」
高倉さんは“ほこりで人は死なない”が家事のモットー。多少部屋が汚れていても気にしない。子どもたちに弁当は作れないけど、笑顔は絶やさないと心に決めた。
「介護は自分の機嫌が一番です。介護が大変になると、夫が自分にいろいろ要求をしてきているのは、嫌がらせでは? と思うことも。でも、そんな気持ちが生まれ始めたら休むようにしていました」
■口で話せたときよりも、夫を深く知ることになった文字盤での会話
実は高倉さん自身も、2018年に食道がん、2020年には、リンパ節に転移したステージ4の下咽頭がんになった。しかし、そんな逆境もこんな発想で乗り越えていく。
「がんになって最初に思ったのは、とにかく『休める!』と。夫の自宅介護が始まってから丸5年は、週1回、夫がデイサービスに行っている7時間だけが自由時間。がんで死んじゃうかもしれないのに、入院して、本やマンガが読める。自分だけのために使える時間を使えることがうれしかったのです」
2度のがんは根治したが、引き続きの通院、夫の介護、さらには子どもたちの受験……と怒濤の50代を過ごした高倉さん。
「もちろん、夫が病気になってよかったという思いはまったくありません。文字盤を通しての会話なので、たくさんの言葉は交わせないのですが、元気だったころより、夫をより深く知ることができた部分はあるかもしれません。
たとえば、夫はヘルパーさんにマンガや宝塚歌劇団について質問されることが多く、その答えを手紙に“代筆”するのをよく手伝います。そのやり取りで『あ〜、こんなふうに考えているんだ』と気付くこともしばしば。夫の思考をのぞき込むというか……夫が倒れなかったら、死ぬまでわからなかったことなのかもしれません」
『眼述記』のあとがきに、夫の矢部さんは監修者としてこんなメッセージを妻に贈っている。
『たよりにしてまっせ、おばはん』
4月11日から毎日新聞西部本社版朝刊で新しい連載が始まった。タイトルは『真・眼述記』。著者はなんと、夫の矢部さんだ。連載のバトンを渡された矢部さんが、こんなコメントを寄せてくれた。
「『眼述記』の連載で、愚妻が僕の愚痴ばかり7年も書き散らしてるので、そろそろ“こちら”側からの話を書いてもいいかなと思った(笑)」
二人三脚のエッセイが、これまでも、これからも、多くの人の気持ちを前向きにさせていく。
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