
吉本新喜劇の舞台、茂造こと辻本茂雄(元・座長)が喜劇を繰り広げていると、舞台袖から警官に扮した一人の芸人が現れた。
緊張のあまり芸人の口から出たセリフは――「我々は新人警官の横山泰三と思います!」
辻本はすかさずツッコむ。「我々って一人やろ。誰がおるねん。我々は横山泰三っておかしいやろ。横山泰三がチーム名みたいになっとるやろ」
顔面蒼白になった芸人に、辻本がさらにたたみ込む。「『横山泰三と思います』って自分の名前に自信がないんかい。ボケすぎや!」会場はドッカンと大爆笑。
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「こうした舞台での失敗談、ネタじゃなくて、実は『特性』から来ていたんです」
芸人であり、現在はアーティストとしても注目を集めるたいぞうさんの舞台での「天然」ぶりは、自身にも説明のつかない生きづらさの現れでもあった。
「普通」とのズレで、15年13回の引越し
駆け出しのたいぞうさんには家賃を払う余裕がなく、先輩の部屋を転々とした。居候生活が長くなると、決まってこう言われる。
「おまえとは住まれへんわ。出ていってくれ」
例えば先輩と住んだ暗証番号付きマンションでのこと。番号を忘れ、先輩に「何番でしたっけ?」と聞いていると「どっかにメモしとけ」といわれ、入り口にペンで「1104」と書いた。
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知人宅に居候していた際、お母さんに「冷蔵庫の中、全部食べていいよ」と言われ、本当に全部食べてしまった。
言葉を「そのまま」受け取り続け、15年間に13回も引っ越しを重ねた。
先輩芸人に5000円札を渡されて「カップラーメン買ってきて」と言われればカップ麺を5000円分購入。
飲み会で「あの店(空き席がないか)見てきて」と頼まれたら「人がうろうろしてました」とだけ報告する。
ある人の通夜で「いっぱい食べていいよ」と言われてたくさん食べた後、「また呼んでください」と言う…。
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「普通」が分からず、言葉をそのままの意味で受け取ってしまうたいぞうさん。世間との「ズレ」はいつもつきまとっていた。
「そういうことやったんか」――腑に落ちた医師の診断
たいぞうさんが自閉スペクトラム症(ASD)と診断され、精神障害者保健福祉手帳3級を取得したのは2024年。背中を押したのは結婚して16年目になる奧さんの「一度、調べてみようよ」というひと言だった。
「それで、ネットにあった発達障害関連のチェックリストをやってみると、ほとんどがASDに当てはまってたんです。はっきりさせようと心療内科で診てもらうと、やはり先生にASDだと診断されました」
ASDの代表的な傾向として「人の気持ちや場の空気をつかみにくい。一方で好きなことに深く没頭し、急な予定変更が苦手」などがある。
「それに、IQが72で軽い知的障害があり、物事を覚えにくい頭で『芸人には不向きな人』やと言われました。『よくここまで続けられましたね』と先生も驚いていました」
舞台でのアドリブも、たいぞうさんは「ネタを邪魔されている」と感じていたそうだ。「ちゃんとネタを考えてるのに、なんで今そこで違うこと言うの? って混乱して頭が止まってしまうんです」
医師の説明を聞いたたいぞうさんは舞台でのパニックや人間関係のトラブルで自分を責める必要はなかったんだと腑に落ちた。さらにそれは、今後の方向性の輪郭が明確になった瞬間だった。
芸人へのきっかけはテレビで見た「キャラの濃い」存在
「昔から勉強はでけへんし、コミュニケーションも苦手で、小中学生の頃からひどいイジメにあってました」
芸人を目指そうと思ったのは、その頃テレビで見た間寛平、ジミー大西、ぼんちおさむ、西川のりおといった「キャラの濃い、破天荒な芸人」に強く惹かれたことがきっかけだった。
「勉強できんでも、輝ける場所がある」
その思いを胸に、高校を卒業後、NSC大阪11期に入学。同期は陣内智則、たむらけんじ、中川家がいる。台本を覚えきれず、途中で読み上げても成立する「ズルいネタ」が新鮮だったのか注目を集め、島田紳助の番組に呼ばれ一気に知名度が上昇。レギュラー番組7本、全国ネットのバラエティやクイズ番組にも出演するようになった。
紳助のアドバイスで開花した絵の才能
もともと絵を描くことが好きだったというたいぞうさん。転機となったのは『クイズ!紳助くん』で山下清風の格好をして旅をするというロケ企画だった。
「『旅先で絵を描いて、世話になった人に渡してこい』と紳助さんに言われ、旅ロケシリーズに出ました。描いた絵が評判になって『絵で勝負したい』と思うようになったんです」
しかし、芸人&アートという枠にはジミー大西という大きな存在があった。
「紳助さんに相談したら『ジミーは高いから、お前は安く大量に描け』と言われ、2年がかりで224枚を描きました」
描かれたのは幾何学模様と象徴的なアイコンが混在する、草間彌生を彷彿とさせる大胆かつ緻密な作品たち。カラフルで可愛らしい表現が感情の起伏や感謝の想いを鮮やかに映し出し、芸人ならではの感性が初見から誰をも魅了してやまない。
大阪・スカイビルでの初個展ではテレビの追い風もあって会期中に完売し、その反響が東京や全国ネット出演へとつながった。そして、作品は高い評価を得、高値で取り引きされるようになった。
ライフワークの倉庫勤務であらためて障がい雇用枠で
テレビの仕事が一段落した頃、生活の足しにとはじめたのは倉庫での仕事だった。暮らしぶりに困らなくなった今も続け、10年以上になる。
「一般の人達と働くようになったのは40代で初めてなんですよ。ここでも人間関係で苦労しました。周りから『変わった人』って見られるし、挨拶しても返してくれへん人もいました。コミュニケーションの行き違いでストレスに。苦手な作業でミス連発、急にルール変わったら頭真っ白でパニックになってまう」
ASD診断後、障害者雇用枠で再契約。自分の障がいや傾向、特性を説明し、苦手な持ち場を離れ、急なルール変更のない当事者の特性に応じた環境で働く、合理的配慮も受けられるようになった。
「すごく働きやすくなりました。障がいがあるからちょっとしたことでも褒めてもらえるし、必要とされてると実感します」
倉庫で汗をかいて働く日常、妻との穏やかなひとときなど、普通の暮らしのなかに、喜びや輝きがあることに気づく。
感謝が生んだモノクロの輝き―障がい者アートとのコラボ
ASDの当事者となってから、作品のトーンが大きく変わった。かつてはテレビや舞台で活躍する芸人やタレントの「輝き」をカラフルに描いていたが、近年は妻や主治医、マネージャー、倉庫の仲間といった自分を支えてくれていた人達をモノクロで「静かな輝き」をもって描くことが多くなった。
「支えてくれている人がこんなにいるんやな、と初めてちゃんと分かったんです」
この変化は障がい者のアーティストとしての道に繋がる。大阪府障がい者芸術・文化大使に就任し、障がい者クリエイターが創造するアートに触れるなかで、多くの人に支えられながら「自分の気持ちをバーンとぶつけているパワー」に強く共鳴したという。
その思いを携え、障がいのあるアーティストをマネジメントする芸術家プロダクション「アベイユ」と生活介護とアート活動を両立させる合同会社らいと共に、あべのハルカス近鉄本店ウィング館にてコラボレーション展示会を開催する。
「障がいは『大変』ではなく『個性』やと思います。みんなで力を合わせて『個性』を発揮し、一緒に輝いて、みんなに勇気と希望を届けたいです」
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【開催情報】 『輝く個性!こだわりストたちの世界〜感性で触れるアート展〜』
会期:2025年5月28日(水)〜6月2日(月)
会場:あべのハルカス近鉄本店ウィング館9F催事場
参加:たいぞう、アベイユ、合同会社らいと所属アーティスト
(まいどなニュース特約・にじのすけ)