
【思い描いていたコーチとしての挑戦】
2010年バンクーバー五輪銀メダリストで現役引退後はプロスケーターとして活動する浅田真央が6月12日に東京都内で会見し、今後は指導者としてフィギュアスケートに貢献していく決意を語った。
その活動は、これまでフィギュアスケートや卓球などのスポーツを支援してきた木下グループとタッグを組み、浅田がディレクターを務める「木下MAOアカデミー」だ。木下グループは2020年に京都府宇治市に「木下スケートアカデミー」を設立して選手育成で成果をあげているが、今回、東京都立川市に昨年完成した浅田プロデュースの「MAO RINK」を拠点とし、新たなアカデミーは2025年8月1日開講予定だ。
募集の対象年齢は5歳から9歳で、定員は10名ほどを予定。6月末まで募集し、選考を行なう。浅田による指導のほかにアシスタントディレクターにはGPシリーズに4戦出場した松田悠良が就任する。
浅田は、トリプルアクセルを武器にしてシニア初参戦でいきなり2005年GPファイナルを制覇。鮮烈な印象を残してフィギュアスケートの認知度を全国区にする立役者となった。現役時代は五輪にも2度出場し、バンクーバー五輪では銀メダルを獲得している。また世界選手権は3度優勝と実績を積み上げてきた。
2017年に現役引退を発表したあとはプロスケーターとなり、2018年からはアイスショー『浅田真央サンクスツアー』を行ない、全国50会場202回を上演。さらに2022年からは自身がプロデュースする『BEYOND』で全国ツアーを開始して103公演行ない、2024年には劇場型アイスショー『Everlasting33』を開幕するなど、精力的に活動してきた。
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そうしたなかで、ずっと心に思い描いていた「次世代のスケーターを育てる挑戦」を、ここにきて実現することになったのだ。浅田は会見でこう決意を述べた。
「これからスタートとなりますが、地道に一歩一歩、自分も成長しながら指導していきたいと思っています。長い目で見て、私の夢でもある世界に羽ばたいていってもらえるようなスケーターを育てたいです」
【プロと指導者の比率は「ハーフハーフ」】
2026年度からは、日本スケート連盟主催・主管の競技会でコーチとして指導を行なう場合、日本スポーツ協会公認コーチの資格が必要になるため、資格取得の準備もしていく。指導コンセプトでこだわりを持つのは、自身が競技生活のなかで培ってきた氷上の技術や意識などだけではなく、さまざまな分野のトレーニングをミックスしてつくり上げる特別プログラムだという。
「私が選手の時に理想としていたプログラムというのは、リンクのなかでのスケートの練習だけではなく、ダンスやバレエ、新体操などのすべてをひとつの場所で完結できるようにするもの。それが何よりもスケートのためになるんじゃないかなと思っていました」
アカデミー生の募集年齢は9歳までの若年層に限定。その理由をこう説明する。
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「フィギュアスケートでは10歳から全日本ノービス選手権に出場できるので、アカデミーで成長したスケーターが世界に羽ばたいていってもらいたいという思いがとても強い。9歳でも完成されているスケーターはいるかもしれないですが、できるだけアカデミーで育てていきたいという思いがあります」
将来的な指導者としての活動と、プロスケーターとしての活動の比率については、2014年ソチ五輪後の発言を引用して、「ハーフハーフ」と言って会場を笑わせたが、当面は「指導のほうに全力集中する形にしたい」と浅田。
アカデミー開設と同時に、4歳から小学3年生までのスケート未経験者を対象にした『木下MAOクラブ』も設立する。その意図を「フィギュアスケーターの人口を増やしたいという思いと、何よりスケートを楽しんでもらいたい。そして挑戦することの楽しさを多くの子どもたちに体験してもらいたいなというふうに思いました」と話した。
ふだんはアカデミーの指導に専念し、クラブの指導も行なう予定だ。優秀なスケーターがいれば将来的にクラブからアカデミーへ昇格の可能性もあり、新たな人材発掘の場としても活用したい意図も持っている。
「私自身が指導者としては初めての経験となるので、これからスタートしながら自分もいろいろなことをしっかり考えて指導していきたいなと思っています。でも、やはり『スケートが好き』という気持ちがなければ努力もできないと思うので、スケーターの皆さんにはどんなことがあっても『スケートが好き』という気持ちだけはなくさないように、私たちが指導していきたいなと思っています」
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ずっと心に温めていた夢の実現。浅田真央は新たな一歩が踏み出していく。