今年、結成20周年を迎えたお笑いコンビのロッチ・コカドケンタロウさん(46)、中岡創一さん(47)。年を重ねてくると芸人さんはそれぞれの理由で単独ライブをやらなくなってきます。そんな中、アラフィフコンビのお二人はコントの単独ライブを毎年開催しています。現在、ロッチ20周年JAPANツアー「ヘビーロッチ 」を開催。今でこそ人気コンビのロッチですが、実は世に出るまでに14年かかっている苦労人。ロッチの結成秘話やブレークするまでの道のりを、お笑い界の先輩でもあるインタビューマン山下がお聞きしました。
――2人は共にNSC(吉本総合芸能学院)のご出身。しかし、卒業後、中岡さんは芸人をやめ、愛知県の自動車部品工場に就職します。一方、コカドさんは他事務所でコンビとして活動していました。しかし、中岡さんは結婚を考えていた彼女にフラれ、芸人をやめてから5年も経っていました。そんなときにコカドさんは当時の相方に逃げられたので、相方の行方を知らないか中岡さんに連絡します。その電話をきっかけに一緒に沖縄旅行に行くことになるんですよね。
中岡 僕の失恋旅行じゃないですけど「沖縄でも行こうか」ってなったんです。僕の元相方と、元芸人でコカド君と一緒にネタを考えている作家志望のヤツと4人で行ったんですけど、その旅行が楽しくて。普段、工場で働いてるときの会話と芸人との会話は楽しさが違って。そこで「芸人は楽しいな〜またお笑いやれたらな」という気持ちになって。
――どっちが声をかけたんですか?
中岡 作家さんが言ってくれたんですよ。
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コカド 沖縄から帰ってから作家さんが中岡君に「コカドさんと組んだら」って。僕には「中岡君と組んだら?」って。お互いに言ってくれたんです。それで「そうやな」みたいな。
中岡 僕もその作家さんに言われて「おお、いいかもな」って。
――給与もよかったんですよね。仕事を辞めることに迷いはなかったんですか?
中岡 手取りで30万円ありました。でも、それくらい沖縄が楽しくて、こんな日が続けばなぁと思って、コンビ組ましていただきました。
コカド そんな感じで組んだから中岡君と直接「コンビ組もう」という話はしてないんですよ。
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■5年のブランクは大きく…山城新伍さんからダメ出し
――作家の方が全部話をまとめてくれたんですね。その方には感謝ですね。ロッチを結成した当初はどうでしたか?
コカド ネタが1本しかなかったんですけど、コンビ組んで1カ月後ぐらいにネタ番組に出れたんですよ。
――いきなりすごいじゃないですか。
コカド その番組の審査員に山城新伍さんがいたんですよ。それで僕らのネタの感想を聞かれた山城さんが「設定とか発想は凄くいいんだけど。お前が悪いんだ!」って中岡君を指さして。
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中岡 「お前が足引っ張ってんだ!分かってんのか!」って言われて。
コカド 山城さんが中岡君にキレたんです。やっぱり中岡君は工場で5年働いてたブランクがあったから…それを山城さんが見抜いたんですよ。ほんで中岡君も芸人の世界に戻って来て「これからやるぞ!」ってときにそんなこと言われたからちょっと落ち込んで。
中岡 自分では声を出してるつもりやのに「出てへん」って言われるし、ネタも絶対飛ばすし。あれ?ってなって、イップスみたいになっちゃったんですよ。
コカド 中岡君の声が全く出てないんですよ。コントをやってる隣の僕も聞こえるか聞こえへんぐらいの声のちいささやからお客さんに全然聞こえてないと思います(笑)。
そこから自信をなくしたのか、中岡君が1年間ネタをちゃんとできなくなって。ネタを間違わずに7割できたら「よかったな〜今日はちゃんとできたな!」ぐらいの。それで仕事も何にもなくなって。
中岡 こんだけネタを覚えて練習して本番迎えて「声出てない」やら、セリフ飛ばしてるやらが1年続いたら「俺は多分コントができない体になってる」ってコカド君に言いました。それで解散って言われるのかなと思ったら「じゃあ読むネタ考えるわ」って言うてくれて。僕は手紙とか読むだけでいい、みたいなネタを作ってくれたんです。
――優しいですね
中岡 その手紙のネタも紙を持ってる手が震えるんですよ。だから同じ行を読んだりするんです(笑)。
コカド でもその読むネタがウケたんですよ。それで読むネタを5本ぐらいやったんです。そしたらウケるから中岡君も自信がついてきて声が出るようになってきて。そこからちゃんとネタができるようになりました。
■結婚資金を取り崩して下積み時代を乗り切った
――よかったですね。でもそこからしばらく仕事がなくて二人は共同生活をしてたんですよね。生活は苦しかったですか?
コカド 中岡君はそのとき5年間貯めた結婚資金がたっぷりあったんで全然大丈夫で(笑)。
中岡 そうですね。週に1、2回バイトして後は貯金を取り崩してたんでお金の苦労はしてないです(笑)。
――コカドさんは苦しかったのでは。
コカド そうですね。毎週ファミレスでみんな集まってネタ作りをしてるときに、ドリンクバーだけ頼んで。ご飯は頼めないんですよ。お金無いから。それでお腹が空いたら1人ずつ外に出てコンビニでパンを買って店の前でバーって食べてまたファミレスに戻ってました。
中岡 僕はお金あるんでちゃんとご飯も頼んで食べてました(笑)。
――ご飯おごってあげてくださいよ(笑)。かわいそうでしょ。その頃の芸人の給料はいくらぐらいだったんですか。
中岡 ないです。ゼロです。
――ゼロ!それはひどいですね。そういった状況を脱したのはいつですか?
コカド そこから2年後ぐらいの2008年に『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)に出てた人気者を集めて『THE THREE THEATER』(フジテレビ)という番組が始まったんです。そこに「長いコントをやるんだったらロッチやな」という理由で僕らを入れてくれたんです。それで給料を月2、30万もらえるようになったんでバイトもやめれました。
中岡 僕も貯めてた結婚資金が尽きかけてたんで、危なかったんですが助かりました。
――よかったですね〜。そこから軌道に乗って今年20周年を迎えることができました。今後のロッチはどのような活動をしたいですか?
コカド 毎年の単独ライブは続けたいですね。
中岡 お客さんが来てくれる限り。
コカド お客さんに求められる限りはやりますが、求められなくなったらやめます。
中岡 300席ぐらいの劇場で3回公演できるうちはやりますが「チケット売れなくて」とか言われ出すともうしんどいです(笑)。そうなったらロッチとしてはハズいので『コカド君と中岡君』というタイトルでやるかもしれません(笑)。
コカド そうですね。『コカドと中岡のおもしろライブ』
――それだと余計にチケットが売れないでしょ(笑)。
コカド そうですね(笑)。そうならないように今後も頑張ります!
芸人の収入がゼロで中岡さんが貯めていた資金も尽きかけたときにコント番組のレギュラーが決まりました。ロッチはコントに救われたと言っても過言ではないでしょう。中岡さんがコントのセリフを覚えられなくなっても諦めずに続けて本当によかったですね。そしてこれからもロッチはコントと共に芸人人生を歩んでいくことでしょう。
(取材・文:インタビューマン山下)
【PROFILE】
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人、ライター、「山下本気うどん」プロデューサー、個人投資家、ファイナンシャルプランナーとして活動中。
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