画像:Fujii Kaze Instagramよりしばしば熱烈なファンを「◯◯信者」と呼ぶことがあります。この比喩表現が言葉そのものの意味で使われるようになったとしたら――。
◆ファン=忠犬——藤井風の想い
9月リリース予定の藤井風の全編英語詞アルバム『Prema』から、先行曲「Hachikō」が公開されました。タイトルの通り、忠犬ハチ公がテーマの曲で、MVでもハチ公の像がある渋谷スクランブル交差点が登場しています。
そして、この曲について語った藤井風本人の言葉に驚きました。ハチ公が亡くなった主人を10年も待ち続けたことに触れ、それを自身とファンの関係にたとえて、<この曲は忠誠心に対する尊敬の念が込められているし、それは僕の3rdアルバムを辛抱強く待ってくれているファンのようでもある>と語っているからです。
これは藤井風とファンが固い絆で結ばれていることを示す言葉だと理解できます。一方、“ファン=忠犬”という主従関係で見る藤井風の姿勢をどうとらえたら良いのでしょうか?
◆藤井風が起こした革命
日頃から「全ての人を愛し、全ての人に奉仕する」と公言している藤井のキャラクターからして、この発言がユーモアや皮肉によるものでないことは明らかです。それは「Hachikō」のサウンド、歌詞からも同様にストレートなメッセージだとわかります。
つまり、ここで藤井風はエンターテイメントの質を転換しているのです。演者と観客との力関係を、スムーズかつ寛容な方法によって、まるっきり逆転させてしまった。それを「愛」と「奉仕」というコンセプトによって、理屈ではなく感覚として受け入れさせてしまったのです。
もしかすると、それこそが日本の音楽シーンにおいて藤井風が起こした最大の革命かもしれません。
◆「お客様は神様」から「ファン=信者」へ
では、藤井風のどこが革命的なのでしょうか?
まず三波春夫のかの有名な言葉、「お客様は神様です」を思い出してみましょう。三波春夫オフィシャルサイトには、その真意を説明した発言が掲載されています。
<歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせることは絶対条件です。ですからお客様は絶対者、神様なのです。>
ここで重要な点は、三波春夫が客を「絶対者」と呼んでいることです。どうあがいても、演者が客より上位に来ることはおろか、対等であることすらありえない、と言っているのです。これが日本の芸能のスタート地点です。
そこから時代は流れ、高度経済成長期、そしてバブル経済の恩恵を受け、歌手や演者がかつてないほどに高収入を得て、社会的地位も上がると、“アーティスト”と呼ばれるようになりました。
すると、この“アーティスト”と客との間で力関係に変化が生まれてきます。“アーティスト”という言葉は創造性や芸術性を強調し、その高尚な響きが演者の社会的地位を高め、尊敬や憧憬の対象として認識されるようになったのです。
そうなれば、かつて三波春夫が「絶対者」と呼んでいた客から、その絶対性が失われていきます。それが“ファン”の誕生です。客は鑑賞、批評をする怖い教育者から、応援し、支える保護者となったのです。
◆エンタメの未来は「信仰」なのか?
たとえば、テイラー・スウィフトのファン「Swifties」やK-POPのファンダム文化なども、こうした流れの中から生まれたものです。その点では、日本も海外も大差ありません。
ただし、「Swifties」やファンダム文化においては、まだアーティストとファンが対等であるという建前は失われていないように見えます。そこは、アーティストとファンによる連帯というレトリックで、なんとか関係が成り立っているのです。
そうしたエンターテイメントの世界だからこそ、藤井風が“忠犬=ファン”を、いつまでも待ってくれている存在だと明言したことの意味は決して小さくないと言えるでしょう。
つまり、ファンとはもはや鑑賞するものでも批評するものでもなく、純粋で我慢強く信仰してくれる存在だと定義づけているからです。
藤井風は、ハチ公という日本人の心の琴線に触れるキーワードを用いて、エンターテイメントの本質が信仰へと移り変わっていることを如実に示したのです。
優れたミュージシャンには、預言者としての能力もあると言われます。だとすれば、「Hachikō」がテーマにした無条件の信心は、日本のこれからを暗示しているのかもしれません。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4