
「先生、どうしよう。訴えられちゃう」
13年前、美容学校やビューティーサロンを経営する谷口政子さんのもとに、美容学校のかつての教え子が助けを求めてきた。
立場の弱い障害者家族のために始めた着物レンタル
彼女はダウン症児の母であり、子どもの七五三で着物をレンタルサロンで借りたが、着物を汚したとのことで高額の損害賠償を求められたという。障害者対応ということで通常の代金より多く払い、保険にも入っていた。
さらによだれが出やすいことからスタイを二重にしていたにもかかわらず、突然、内容証明が届いたことで動揺し、谷口さんを頼ってきたのだ。
「店舗側からすれば大切な着物なのはわかりますが、見たところクリーニングでどうにかなる範囲だと思い、レンタルサロンとの話し合いの席に、私の会社の顧問弁護士と共に同席することにしたのです」(谷口さん、以下同)
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初めは付き添いの立場で相手の話を聞いていたが「よだれがついて汚い」「親としてどうなんだ」と怒鳴り責める、レンタルサロンの方の口調に黙っていられず反撃。さらに、訴状の内容の不備を弁護士が指摘することで、相手の態度が一変し、訴えは取り下げられた。
「教え子に話を聞くと、障害者の親として強く責められることはよくあると……。このとき、障害者家族の弱い立場を知りました」
そこから始まったのが障害者と、その家族向けの着物レンタル。最初はボランティアで、谷口さん自身の着物を提供していた。徐々にクチコミが広まっていき、3年前に障がい者専門着物オーダーメイドレンタル「こころ」として事業化した。
「こころ」の着物レンタルの大きな特徴は、個々の障害に合わせた世界にひとつのオーダーメイドを提供すること。
「車椅子の方、寝たきりの方、呼吸や吸引のために身体にチューブなどの医療機器がついている方、身体の変形や欠損など、障害はいろいろ。ですが障害を理由に、七五三や卒業式、成人式など、人生の節目となる晴れ舞台でのおしゃれを諦めてほしくないとの思いから、個々の障害に合わせて、オーダーメイドで対応しています」
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絶対に“NO”は言わずあらゆる要望に応える
レンタルの申し込みを受けると、まずは時間をかけてカウンセリングを行う。
「できること、できないことを伺い、障害に合わせて身頃の上下や肩を切ったり、チューブが通るように穴をあけたり、トイレで困らないように後ろを切ったりと着物をお直しします。
半襟やつくり帯はワンタッチでつけられるように工夫していますが、音に過敏な方もいるので、ボタンがいいのか、テープがいいのか、実際に音を聞いてもらって確認。時間無制限で納得するまで打ち合わせを行い、一つひとつ決めています」
さらに、どんな障害の方でも短時間で家族が着付けられるように工夫をしている。
「私たちのサロンは長崎県の佐世保にあり、こちらに来られる方にはわれわれスタッフが着付けを対応しますが、遠方であったり、外出が難しかったり、家族以外の他人が関わるのが難しかったりする場合が多いです。だからこそ、本人または家族が着付けることを想定しています」
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多動でじっとしていられない障害もある。着付け初心者の家族でも短時間で仕上がるように工夫した。
「ストップウオッチ片手に何度も試行錯誤。どんな障害の方でも、だいたい3〜5分あれば着付けられるように作っています。当日のために着物に慣れたり、練習が必要な人もいるので、レンタル期間は9泊10日と長めに設定しています」
オーダーメイドの良さは、おしゃれに妥協しなくてよい点にもある。
「どんな着物を着たい、着せたいから始まり、色や柄選びだけではなく、ラメだったり、襟にレースやパールをつけたりと好みに合わせてカスタマイズできます。それらの美の要望に応えるのが、とても楽しいです」
着物に合わせた小物だけでなく、家で撮影できるように背景や小道具の貸し出しも行う。七五三、卒業式、成人式などの晴れ舞台を美しく着飾ることで、家族、そして本人の喜びとなり、また、その日の“記念写真を見ることが励みになっている”との声が多く届けられる。成長の記念として、毎年、着物をレンタルして写真撮影を行う家族もいるそう。
親用の着物も用意し家族ごとサポート
障害者の親として常に弱い立場にあり、いろいろと諦めている家族に、徹底的に寄り添う谷口さん。どんな障害の方、要望に対しても“絶対にNOは言わない”をモットーにしている。
「障害者の子どもを持つ家族は、普段から肩身が狭い思いで過ごしています。オーダーメイドの依頼に“できない”と言ったり、強い口調など、カウンセリング時に“ストレスを与えることはしないように”とスタッフに伝えています。
着物がどんなに汚れたとしても問題はありません。普段がんばっているご家族にもおしゃれしてもらいたいので、親子割引で母親向けの着物レンタルも行っています」
細かなオーダーメイドに応えるために、カウンセリングから、着物のお直し、発送、着付けのサポートまで、たくさんの時間、そしてお金もかかっているが、レンタル料金は9泊10日の送料・クリーニング代込みで12万〜17万円と、低めな設定。はたして、利益は出ているのだろうか。
「はっきり言って利益は出ていませんね(笑)。事業化して3年で赤字にはならず、トントンな感じです。多くのボランティアの方にも手伝っていただき、これからもできる限り低価格で続けていきたいです」
最初のボランティア時代も含め、400人以上の人が「こころ」のオーダーメイドの着物で晴れ舞台を迎えた。中には着物を持ち込んで、余命わずかな子どもと最後に記念写真を撮ったり、見送る日のために、オーダーをする人もいるという。
多様な障害がある人やその家族と関わることで、谷口さん自身も変わった。
「もともと潔癖症ぎみだったのですが、よだれや嘔吐などで汚されても、今はまったく気になりません。どの子も、目がきらきらしてみんな可愛いと思えます。レンタル事業のきっかけになった教え子のように、障害者とその家族の日常は、理不尽なトラブルが少なくないため、家族を支え、一緒に闘うための相談サポートも行っています」
障害者とその家族が笑顔で過ごせる、あたりまえの未来へ。谷口さんは、明るくポジティブにその道を切り開き進んでいく。
谷口政子さん IBCバリ島校にて最年少、主席で美容全般の講師資格を取得。その後、ネイルサロンや美容室などを含む16店舗のサロンを経営。現在は、障がい者専門着物オーダーメイドレンタル「こころ」の代表として、美容事業だけでなく、障害者のための事業を展開
取材・文/小林賢恵