
子役からキャリアを重ねる俳優業、スウェーデンの小物デザイン店経営、そして猫の支援活動。3つの活動を大切にしながら両親との関係や、年齢への向き合い方もありのままに話すなど、共感の声が多い川上さん。そんな彼女に、還暦を前にした思いなどを聞きました。
悲しみや寂しさを分かち合える場所になってほしい
俳優業だけでなく、スウェーデンの小物デザイン店経営、猫の支援活動と、三足のわらじで活躍する川上麻衣子さん。
6月には掃除・防災・ペット用品を開発する株式会社サンコーと、川上さんが代表を務める一般社団法人「ねこと今日」がアンバサダー契約を結び、猫との共生をテーマにした商品開発を進めていくことになった。
「これまで5匹の猫を看取り、今は2匹を飼っています。猫も年をとるとトイレの失敗が増えていきます。老齢の猫に向けたトイレ用品の開発ができればいいですね。災害が起こったとき、猫を連れて避難するのが難しいことも気になります。自宅待機の際、人もペットもどちらも困らない防災用品があればいいなあと考えています」
と川上さんは話す。川上さんが「ねこと今日」を設立したのは2018年。「猫と人の心地よい暮らしを提案したい」という思いで、保護猫の譲渡支援や地域猫の保護活動などに協力し、イベント、セミナーも開催してきた。
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さらに'23年には、人と猫が幸せに暮らすWeb上の街「NYANAKA TOWN(にゃなかタウン)」をスタートさせた。
自身が経営する小物デザイン店がある東京・谷中をもじったネーミングで、サイト内に学校・図書館、猫の健康相談所、サテライトスタジオ、ショッピングモールなどを設けている。
住猫(じゅうにゃん)登録をすれば誰でも利用できる仕組みだ。亡くなった愛猫の思い出が共有できる、虹の橋のエリアもある。
「旅立った猫もそこで暮らしているというイメージが最初からあったので、虹の橋エリアは絶対に必要でした。登録の際に送られてくる、亡くなった猫の写真や思い出の文章を読むと、いつもほろっときます。
ここではグリーフケアという、ペットロスになった方をケアする専門家の方も協力してくださっています。思い出を共有し、悲しみや寂しさを分かち合える場所になってほしいですね」
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スウェーデンの小物デザイン店「SWEDEN GRACE」は、母と一緒に'16年に始めた。
川上さんの母・玲子さんは現役のデザイナーで公益社団法人 日本インテリアデザイナー協会理事長、武蔵野美術大学の客員教授、北欧建築・デザイン協会会長を歴任してきた。ここではスウェーデンの小物と川上さんがデザインしたガラス、猫をモチーフとしたグッズなどを扱っている。
両親がデザイナーで、スウェーデン・ストックホルムで生まれ育った川上さん。日本で北欧ブームが起こる前から、北欧のデザインやインテリアには慣れ親しんできた。
芸能界だけでは物足りなさを感じていたのかも
「実はスウェーデンで人気があるものと日本で流行っているものは違うんです。例えば日本で人気の、リサ・ラーソンの猫をモチーフにした商品もスウェーデンだと少ないです。だからスウェーデンの人が日本に来ると、北欧ブームにびっくりされるんですよ。自然を扱った北欧のデザインに日本人は憧れがあるんですよね」
北欧デザイン好きの日本人だけでなく、日本に旅行中のスウェーデン人も多く訪れ、「スウェーデンでもこれだけ集めているお店はない」と褒められるそうだ。
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「今、人気なのはダーラナホースという、スウェーデンのダーラナ地方で誕生した木馬です。幸せを呼ぶ馬といわれていて、縁起がいいんです。赤い馬でお祝い品にもおすすめ。私は来年、還暦を迎えるのですが、丙午世代なので、還暦のお祝いにもぴったりです」
コロナ禍では俳優業が制限される中、小物デザインの店があることが支えになったという。
「俳優はイメージが大事ですし、副業でお店を経営することにいい顔をしない人も少なくありません。特に昔は『一つのことを集中してやりなさい』という雰囲気でした。
でも俳優のほかにも活動する場所があると、いざというときに生き抜く力になります。お客様の生の声を聞く機会が多いのも、『そんなふうに思われているんだ』と意外な発見があって面白いですね」
最近は百貨店の催事に出店することも増え、自ら接客するという。「百貨店の朝礼に出席するのも新鮮なんです」と、ビジネスパーソンとしての顔ものぞかせる。
「10代から俳優を始めたので、バイトをしたこともなかった。だからお店で初めてレジを打つときはすごく緊張しました。そんな素人でよく続いたなあとは思いますが、芸能界だけでは物足りなさを感じていたのかもしれません。
後で気づいたのですが、母と私は商売が好きなんです。母方の家系はお店をやっていて、働き者の家だったらしく、どうやら商売人の血を受け継いでいるようです」
川上さんの母は87歳になるが、来年は大きな仕事を控えているという。父親とともに自立した生活を送っているが、今年に入って母が股関節の手術をし、入院することがあった。
「そのときは3日に1度、実家に帰って、父のために食事を作ったり、掃除をしたりしていました。父は元気ですが、足腰が弱っていて外出は難しくなっています。仕事もある中で実家へ行き来するのは大変でしたが、父親と一緒に過ごす時間が増えたのが楽しいという思いも。
私はひとりっ子なので、今後、親の介護をどうするかはひとりで判断していかなければなりません。不安もありますが、その都度、学んでいくしかないですね」
プライベートでは無類の日本酒好きとしても知られる川上さん。若いころと比べて飲む量は減ったものの、毎日お酒を飲むことは変わらない。なかでも落語家・三遊亭好楽さんとは、月に3度は一緒に飲みに行くほどの飲み友達だ。
『地面師たち』メンバーで下町飲み会
「お店のある谷中エリアは、面白いお店がいっぱいあるんです。Netflixの『地面師たち』でご一緒した大根仁監督、北村一輝さんやピエール瀧さんなど、映画関係者も巻き込んで下町の飲み会を楽しんでいます。
今の時代、若い人をこちらから誘うのは気が引けるので、同年代と飲むことが圧倒的に多いですね。舞台をやると、みんなお花じゃなくてお酒を持ってきてくださるんですよ(笑)」
川上さんといえば'20年に亡くなった志村けんさんと仲がよかったことでも知られる。
「一時期は同じマンションに住んでいましたし、街を歩いていると、ここのお店に一緒に行ったなあとか、今も思い出すことが多いです。でもまだ亡くなったという実感がないんですよね。忙しい方だったので、ちょっと最近会えてないなあという感覚なんです」
俳優としてさまざまな役に挑戦している川上さんだが、白髪のある人物を演じることも多くなってきたという。実際、2年前から白髪染めをやめ、グレイヘアに移行したことも話題となった。最近は同世代からグレイヘアの相談を受けることも多い。
「グレイヘアの難しさは、途中経過です。すぐに白くなるのかと思っていたら、50代だと意外と進みません。中途半端な時期をどうするのかがネックですが、私はやっぱり染めないことにしました。白髪が進んでいる部分とそうでない部分があるので、髪の分け目を変えて印象の違いを楽しんでいます。
芝居のときは役に合わせて、黒いスプレーで白髪を隠します。黒髪を白髪に見せるより、白髪を黒髪に見せるほうが違和感がないんですよ。ここまでくると『この人は染めない人なんだ』と周りに理解してもらえ、ラクになりました」
もともとアンチエイジングに興味はなかったが、体力を維持することは意識している。
「筋力が弱ってきているのを日々感じます。両親を見ていても、足腰が弱ってしまうとやりたいことができなくなるのがわかるので、トレーニングは続けています。俳優業は元気で健康じゃなければどうにもならないので」
今は高齢者も多いジムに週5日通い、毎日20分程度のトレーニングを習慣化しているという。
表現していくのは一生のこと
「そんなに汗もかかずにでき、しっかり負荷がかけられるところが気に入っています。忙しくてできないときが1週間続いたりすると、調子が悪くなるので、やっぱり継続することが大切ですよね。時間があるときは朝6時半からの近所のラジオ体操にも参加しています」
来年の還暦に向けて「60代は頑張ろう」と意気込む。
「新たにというよりは今までやってきたことを70歳までの10年間でまとめたいですね。これまで振り返る余裕がなく来てしまいましたが、そのまま70代を迎えるのは嫌だなと。
断捨離もそうですが、自分ができることとできないことをきちんと整理して、60代後半を迎えたいです。俳優業、お店の経営、猫の活動も、表現していくのは一生のことで、形が違うだけだと考えています」
俳優業では手ごたえのあるコメディーの舞台を続けていきたいという思いもある。
「お客様が笑ってくれるのが演じていて一番楽しい。ドタバタの喜劇ではなくて、くすっと笑えるような少人数の芝居がやっぱり好きなんだなと実感しています。俳優業では何か一つ自分がやりたいテーマを持っておきたいというのが今の抱負です」
かわかみ・まいこ 1966年生まれ、スウェーデン出身。1980年、14歳のとき、NHKドラマ人間模様『絆』でデビュー。同年、TBS系『3年B組金八先生』で生徒役を好演し注目される。望月六郎監督映画『でべそ』で第6回日本映画プロフェッショナル大賞主演女優賞を受賞。ドラマ、映画で活躍する一方、スウェーデンの小物デザイン店「SWEDEN GRACE」の経営やガラスデザイナー、一般社団法人「ねこと今日」代表としても活動。著書に『ストックホルムからの手紙』のほか、『彼の彼女と私の538日』が電子化されAmazonより予約販売中。
取材・文/紀和 静 撮影/近藤陽介