ETRCヨーロピアン・トラック・レーシング・チャンピオンシップ復帰を表明したエマ・マキネン 毎週水曜に世界のツーリングカーやストックカーを中心に、ときにはラリーも含めたハコ車の話題をお届けする『WEEKLY ROUND UP』。今回は欧州トラックレーシングの最高峰(ハコ車!?)ETRCヨーロピアン・トラック・レーシング・チャンピオンシップや、世界初の水素燃料モータースポーツ競技として初年度を迎えた『FIAエクストリームHワールドカップ』など、モータースポーツのあらゆるジャンルに活躍の場を広げる女性ドライバーたちの奮闘や素顔、活況のTCRサウスアメリカ・シリーズ第2戦の模様をお届けする。
父ミカもかつてFIA ETRCのレギュラーだった“二世レーサー”でもあるエマ・マキネンは、この3月27日付けで2026年のシリーズ復帰プランを発表。7月10日から12日にドイツのニュルブルクリンクで開催され、1986年の初開催から今夏で40周年を迎える『ADACトラック・グランプリ』に参戦し、シーズン後半にも別のレースへの出場を予定している。
プライベートエントリーでイヴェコ製『S-WAYレーシングトラック』を操るマキネンは、シリーズで最も成功を収める強豪チームのひとつ、チーム・ハーン・レーシングからエントリーし、同じく女性レーサーのシュティフィ・ハルムから指導とサポートを受ける。
「レースごとに考えていきます。少なくとも今季2レースは走ってみるつもりです。最初のレースはニュルブルクリンクで、その後、どのレースに出場するかを決めたい」と慎重な姿勢を見せる28歳のマキネン。
「まだテスト走行をしていないし、新しいトラックをドライブしたことはないけれど、今週ドイツのチーム・ハーン・レーシングを訪れ、シートやドライビングポジションのフィッティングを行い、それはとてもうまくいった」
「父がずっとレースをしていたから、私は1歳の頃からレーストラックのパドックにいた。ETRCには一度だけ出場したことがあり、フィンランドでもトラックレースに出場していた。それとBMWのシリーズにも3年間参戦していました。今はヨーロッパに戻って、このETRCに出場したいと思っている」
冬はフィンランド北部にあるラリーセンター『ラップランド・ドライビング』のインストラクターを務め、夏は鉄道業界で土木技師として働くマキネンは、全7戦からなるグッドイヤーFIA ETRCの第3戦、ニュルブルクリンクでのレースに向けて明確なプランを持っている。
「優勝を狙っているわけではなく、とにかく完走したい」と続けたマキネン。「ヨッヘンとルーカス(・ハーン親子)がサポートしてくれるから、チームとの連携を深め、経験を積んでいきたいと思っている」
かつて2022年に「一度だけ出場した」ニュルブルクリンクでは、週末の4ヒート中3レース連続でトップ16フィニッシュの完走も果たしている。
「フィンランド選手権とはまったく違った」と振り返った彼女。「ほとんどのドライバーは長年トラックレースに参戦しているベテランばかり。だからレースは難しく、気温が30度を超える猛暑のなかレースを4回も走らなければならなかった……」
トラックレースでの活躍に加え、マキネンは昨季のフィンランドBMWレースシリーズでランキング2位を獲得。その母国では女性のモータースポーツ参加を促進するイニシアチブを共同設立してもいる。
「サーキットでカーレースをしている女性の友人たちと一緒に、ガールズ・エディション・レーシングというコミュニティを共同設立したのよ」と説明したマキネン。「私たちの目標は、女性や少女たちがモータースポーツに参加するよう促すこと。すでにラップランドでイベントを開催し、参加者全員がラリーやドリフトを体験できる機会を提供した。マーカス・グロンホルムとミカ・サロも参加してくれた。新たなファンを刺激できたと確信しているし、イベントは大成功だった」
一方、今季の『FIAワールド・バハ・カップ』にて、2月12日から14日に開催された第2戦ヨルダンでクラス優勝を果たしたノルウェー出身のヘッダ・ホサスは、新世代のオフロードレース・ドライバーのひとりとして、自身の“ダカールラリー挑戦”という夢に大きく近づいた。
「エクストリームEとエクストリームHが、私のキャリアにどれほど大きな影響を与えてくれたか。言葉では言い表せない」と語った25歳のホサス。「私の夢はオフロードの世界チャンピオンになること。そして今、女性ドライバーにとってその夢はかつてないほど現実味を帯びてきている。こうした先駆的なスポーツ、女性アスリートのエンパワーメントへの取り組み、そしてFIAの揺るぎないサポートがなければ、今の私は存在しなかったでしょう」
年齢を考えれば、すでに輝かしいレーシングキャリアを誇る彼女は、当時エクストリームE最年少ドライバーとしてデビューし、伝説的なブランド、マクラーレンでのレギュラー参戦シートを獲得。ディフェンダーやポルシェとの協業など数々の実績を挙げ、FIAエクストリームHワールドカップ開幕戦では、ヨハン・クリストファーソン、ケビン・ハンセン、アンドレアス・バッケルドといったトップドライバーたちと直接競い合いながら、KMS(クリストファーソン・モータースポーツ)の育成チームでもあるチームEVENの初戦で総合3位を獲得した。
そのすべては、わずか10年前。ノルウェーの小さな町ヴォスで始まった。そのヴォスはスキー、スカイダイビング、ラフティングで知られる国内の“アドベンチャーの都”として知られている。ホサスの母親は看護師、父親は整備士で、男性中心の業界にも関わらず、彼女は父親と同じ道を歩む決意をする。
「整備士のクラスで女の子は私ひとりだけだったんです」と続けたホサス。「アドレナリンが出るような刺激は昔から大好きでしたが、それを仕事にできるとは思ってもいませんでした」
そんな彼女が15歳のとき。ホサスは父親と一緒に部品からモトクロスバイクを組み立てた。「ホンダCRF150ccの4ストロークだった」と彼女は当時を振り返る。「ただ兄や男の子たちと一緒に遊びたかっただけなの。でも、初めてコースに出た瞬間、もうパドックに戻りたくなくなったわ(笑)」
その後、すぐにノルウェーの有名な『フォークレース』と呼ばれるカテゴリーに参戦。このフォークレースでは参加車両は1000ユーロ(約18万円)以下でなければならず「レースに勝ったら、そのクルマを誰にでも1000ユーロ以下で売らなければならない」とホサスは説明する。彼女が選んだのは、古いフォード・シエラだった。
「なぜスカンジナビア出身のレーシングドライバーが多いのかとよく聞かれるけど、これが重要な理由のひとつ」とホサス。「チャンスがあるのよ。この種のレースは費用もかからず、誰でも参加しやすい。私は16歳で始めて、今こうしてここにいる」
ホサスがプロのオフロードレーシングドライバーになることを決意したのは19歳のとき。彼女も「両親は心配していた」と認める。「私たちは裕福な家庭ではなく、モータースポーツ関係者もいなかった。どうやってこの趣味を仕事にできるというんのかしら?」
そんな彼女にエクストリームEのチャンスが訪れたのは翌20歳のときで、ホサスは自動車販売店で整備士として働いていた。その立役者となったのがデンマークで出会ったイアン・“スクーター”・デイヴィスで、彼は長年ケン・ブロックのエンジニアとして活躍し、伝説的なジムカーナ・シリーズのスタントフィルムの車両設計や開発にも携わった後、トラビス・パストラーナやレッドブルと仕事をするようになった。
「ヘッダの努力には本当に感銘を受けた」と語ったデイヴィス。「彼女は私がこれまで一緒に仕事をしてきた多くのドライバーよりも、技術やエンジニアリングに対する理解が深いんだ。すぐにスターになれると確信したよ」
すぐにホサスのメンター兼マネージャーとなったデイヴィスは、間もなくヴェローチェ・レーシングの代役というチャンスに彼女を抜擢する。「ここでヘッダはパドック全体を魅了し、ジェンソン・バトンのJBXEチームへの加入を勝ち獲り、デビュー戦でポイントを獲得したんだ」
ホサスの才能と知的なアプローチに対する信頼の証として、彼女は世界初の水素燃料電池ワンメイク車両『パイオニア25』の開発における公式テストドライバーに任命される。
「ヘッダの高度なエンジニアリングの知識と、ハイパフォーマンス・ドライバーとしての才能は、パイオニア25の初期開発において非常に重要な役割を果たした」と語るのは、シリーズで車両開発責任者を務めるマーク・グレイン。「彼女の洞察力は、男女両方のドライバーのニーズを等しく考慮した車両セッティングに決定的な影響を与えたんだ」
そのホサスは「パイオニア25の開発全体を通してFIAと緊密に連携できたおかげで、安全性には100%自信を持つことができた。このスポーツの未来の可能性は本当に素晴らしいと思う」と明かしつつ、この機会を十全に活かし、カルロス・サインツやセバスチャン・ローブ、ヨハン・クリストファーソンにヘイキ・コバライネンといったトップドライバーたちと競い合い、業界最高峰のドライバーたちから学ぶ機会を掴んできた。
「今、レースをしているときはいつでも、あの頃のメンターたちの声が頭の中で響いている」と笑う彼女。「ヘイキ、ケビン(・ハンセン)、アンドレアス(・バッケルド)、彼らは皆、コースへのアプローチ、準備、データ分析の仕方がそれぞれ異なる。でも今は、彼ら全員の声が聞こえてきて、あらゆるイベントのあらゆるステップで私を導いてくれるのよ。明らかに効果が出ているわ!」
こうした機会の中にはネオム・マクラーレン・エクストリームEでのレース参戦も含まれており、ホサスにとってこれまでのキャリアで最も印象深い出来事のひとつになっている。
「パパイヤカラーのレーシングスーツは大切に保管している。もし自分の家を買ったら、あのスーツを額装して壁に飾るつもりよ(笑)」
また、この独特なレース環境のおかげで、ホサスは先駆的な女性レーサーたちと出会う機会にも恵まれた。そこにはモリー・テイラー、サラ・プライス、ケイティ・マニングス、クリスティーナ・グティエレス、そしてジェイミー・チャドウィックといった素晴らしい才能を持つ女性たちが参戦していた。
「これらの素敵な女性たちから、私は多くのことを学んだ。サラ(・プライス)がディフェンダーで、クリスティーナ(・グティエレス)がダチアで活躍しているのを見ると、私もいつか彼女たちの後に続いて、ファクトリーチームでドライブできると確信している。こうしたロールモデルがいることは、可能性を知るうえでとても重要。そして、そのことを私たち全員がエクストリームEとエクストリームHに感謝している」
同時に「私はまだ25歳よ」と笑顔で語るホサスにとって、ダカールラリーの夢を実現する時間は充分にある。何しろ、カルロス・サインツは61歳、ステファン・ペテランセルは55歳、ナッサー・アル-アティヤは50歳でダカールを制覇したのだから。
ブラジル南部のパラナ州に位置する農業都市で、世界三大瀑布イグアスの滝へのアクセス拠点としても知られるカスカヴァルにて、3月27〜29日に開催されたTCRサウスアメリカ第2戦は、予選でネルソン・ピケJr.(ホンダ・レーシング/FL5型ホンダ・シビック・タイプR TCR)が今季初ポールポジションを獲得し、ホンダ陣営のワン・ツー・スリーを牽引する展開に。
しかし、アウトドローモ・ジルマー・ビューでの土曜レース1スタート直後に4台が絡む大クラッシュが発生し、ピットウォールとバリアが損傷したため中止となり、このオープニングヒートは現地時間日曜午前に延期される事態となった。
初戦ポールシッターのピケJr.は、そのスタート直後にエンジンが停止。ブルーノ・マッサ(Gレーシング・モータースポーツ/クプラ・レオンVZ TCR)はストールしていたホンダのマシンを避けきれず衝突し、さらにサテライトのアドリアン・キリアーノ(ホンダYPFレーシング/FL5型ホンダ・シビック・タイプR TCR)とギレルメ・ライシュル(コブラ・レーシング/アウディRS3 LMS)が2台のマシンに追突し、マッサのマシンはピットウォールのゲートに激突。クプラは構造的に修復不可能な損傷を負い、週末からの撤退を余儀なくされた。
「マシンに何が起こったのかはまだ分からないが、幸いにもドライバーに怪我はなかった。ピットウォールに留まるのは危険だったため、サインガードを離れざるを得なかった」と語るのは、日本でもドライバーとして活動した経歴を持つホンダYPFレーシング代表のセバスチャン・マルティノ。
同じくTCRサウスアメリカのディレクター、フェデリコ・プンテリも「残念ながら事故でバリアとピットウォールの一部が破損したため、レースを明日の午前9時に延期することにした」と発表した。「幸いなことにドライバーは全員無事だ。(ギレルメ・)ライシュルだけが腰痛を訴えているが、深刻なものではないようだ」
こうしてセーフティカー(SC)先導でスタートした日曜レース1は、残り12分でティアゴ、リオネルのペーニャ親子(ホンダ・レーシング/FL5型ホンダ・シビック・タイプR TCR)が右フロントタイヤのスローパンクに見舞われ、先頭を走ったホンダの2台が立て続けにピットへ。これでラファエル・レイス(W2プロGP/クプラ・レオンVZ TCR)が首位に浮上するも、残り5分を切ったところでレイスもパンクの犠牲者となり、元王者ペドロ・カルドゥソ(Gレーシング・モータースポーツ/クプラ・レオンVZ TCR)が漁夫の利を得た。
「ここカスカヴァルは左コーナーが多く、右タイヤに大きな負担がかかる非常に特殊なコースなんだ」と勝者カルドゥソ。「練習走行からこの点を考慮し、レースペースを重視した、より保守的なセッティングを選択した。他のドライバーが無理なプッシュをしてトラブルに見舞われるなか、僕たちは良いペースを維持し、マシンを最後まで走らせることができたよ」
しかし続くレース2もタイヤトラブルが頻発し、前戦ウイナーの元チャンピオンも8周目にパンクに見舞われ順位を落とす。さらにネストール・ジロラミ(ヒョンデN MSA/ヒョンデ・エラントラN TCR)がオープニングでレイスと絡み、他の多くのマシンもタイヤ交換のためピット作業を強いられるなか、首位に浮上した現役王者リオネルが「チャンピオンシップ首位を維持するために非常に重要な勝利だ」と語る今季2勝目を手にした。
「グリッド8番手からのスタートだったが、チーム全員の素晴らしい働きのおかげで、良い結果を残すことができた」と偉大な父でもあるリオネル。「セッティング変更も行ったし、タイヤがいつ限界を迎えるか分からなかったので難しかったが、ホンダ・レーシングの多くの関係者が応援に来てくれたおかげで勝利することができた。そのサポートを肌で感じることができたよ」
[オートスポーツweb 2026年04月01日]