
発足から半年が過ぎても、依然として高市早苗政権の支持率は高水準を保っている。「竹島の日」の式典への閣僚派遣を見送っても、保守層からの支持はまだまだ厚い。食料品の消費税ゼロ化が延び延びになっていても、無党派層もまだ見放していない。だから、「正直なところ、なぜこんなに支持率が高いのか、なぜ下がらないのか、よくわからない」(自民中堅)といった声も聞かれる。
党内に強い支持基盤のない高市氏にとり、昨年の総裁選で勝利するには麻生太郎元首相の支援が不可欠であった。麻生氏はいわば政権の“生みの親”なのだが、高市首相の“親離れ”も散見される。例えば1月の衆院解散について事前に何も相談されず、麻生氏は成人式の日の祝辞で「親に感謝しろ」と遠回し的に嫌味を放った。さらに、麻生氏は4月に久しぶりに高市首相に“会食”に誘われたが、振る舞われたのは焼き魚定食だったという。
しかし、多少は邪険にされても、麻生氏にとって権力と指呼の間にいることは、「わが世の春」を謳歌(おうか)する上で極めて大事なのだ。党内で唯一、派閥を維持し、拡張させているだけでなく、首相経験者ながら副総裁の要職にもある。義弟の鈴木俊一氏は幹事長であるし、自派から総務会長、さらには衆院議長も輩出している。加えて、寛仁親王妃は実妹だ。
麻生氏が吉田茂元首相の外孫であることを知らない者は少ない。子どもっぽく笑った顔などはそっくりだ。早くに妻を亡くした吉田氏は、ことのほか娘の和子氏をかわいがったため、その息子の麻生氏も目に入れても痛くないほどの存在だった。もっとも、麻生氏本人は「生まれはいいが、育ちは悪い」と自嘲する。
吉田氏は計7年間も首相を務め、“ワンマン宰相”としてGHQ(連合国軍最高司令部)と激しく渡り合いながら戦後日本の進路を切り開いた。「好きな戦後の総理」を問うアンケートでは、今でも必ずトップ3に入るが、口の悪さでも定評があった。国会で野党議員に「バカヤロー」と言い放ったことはあまりにも有名だが、長生きの秘訣を尋ねられた際には「人を食っているからね」と呵々大笑した。
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麻生氏が祖父を多分に意識してきたことは容易に想像がつく。葉巻を愛用するのも、祖父をまねてのことかもしれない。「失言や放言も祖父譲りだ」(閣僚経験者)とほほ笑む者もいる。だが、4回目の総裁選で勝利し、ようやく首相の座を射止めたものの、在任期間はわずか1年にすぎなかった。のみならず、衆院選で大敗を喫し、民主党に政権を明け渡す不名誉な役回りまで演じた。
しかし、そこからが麻生氏の真骨頂だろう。第2次安倍晋三政権の発足から実に9年にもわたって副総理兼財務相を務め、岸田文雄、高市の両政権下では副総裁に就いた。諸説あるものの、乙女座生まれの人はリーダーよりもそれを支えるポジション、つまりナンバーツーがよく似合うという。この十数年の麻生氏を見ていると、その特徴はあながち間違いではないようだ。
SP(警護官)と記者を引き連れての朝のウオーキングを欠かさないためか、麻生氏の顔の色艶はすこぶるいい。高市政権の政策を後押しするための「国力研究会」でも発起人に名を連ね、意気軒高だ。とはいえ、信じられないことながら、麻生氏は9月で86歳になる。議員に定年制はないものの、そろそろ、いや遅ればせながら、後進に道を譲るべき年齢だろう。祖父の吉田元首相も85歳でバッジを外した。
だが、政界を引退した後も、政財界の大物たちは吉田元首相に指導や助言を求め、こぞって「大磯詣で」を繰り広げた。たとえ議員でなくなっても、最後の最後まで大物政治家だった証だ。議員という“種族”には“生涯現役”を貫きたい思いがあるのかもしれないが、むしろバッジを外した後にこそ政治家としての真の評価や本質が垣間見られるのではないか。もっとも、麻生氏が祖父を超えられるかどうかを見定めるには、もうしばらく時間がかかりそうだ。
【筆者略歴】
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本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治行政アナリスト・金城大学客員教授。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。
