
オリックス・バファローズ
アンドレス・マチャド インタビュー(後編)
前編:マチャドが振り返るWBC侍ジャパン戦勝利と世界一達成の舞台裏はこちら>>
球速アップが著しく進むNPBにおいて、2025年に最も速い平均球速を記録したのが、オリックスの守護神アンドレス・マチャドだった(※総投球数300球以上)。平均球速156.2キロは、救援投手全体のNPB平均148.7キロを大きく上回る。
「それは、自分がこれまで積み重ねてきたハードワークの証だ。それがあるからこそ、自分自身もいい精神状態を保てているんだ。何より大事なのは、健康な状態を維持し、チームのためにシーズンを通して投げ続けることだ」
【投手転向1年でロイヤルズと契約】
185センチ、105キロという大柄なマチャドを前にすると、とりわけ胸回りの厚みに圧倒される。その根幹にあるのが、毎日のルーティンだ。
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「(18時開始のナイターの場合)球場には12時か1時くらいに入る。それからジムに行って走り、ストレッチを行ない、練習して試合に臨む。トレーニングは毎日2時間くらいしているよ」
マチャドの母国ベネズエラは、世界最高峰とも言われる捕手の輩出国であり、本人も16歳まではキャッチャーとしてプレーしていた。中南米の選手がMLB球団と契約するには、16歳までにスカウトへ強烈な印象を残す必要がある。しかし、当時のマチャドには吉報が届かなかった。
そこで、セカンドチャンスをつかむために投手へ転向。すると、わずか1年で最速91マイル(約146.45キロ)を計測。そして2010年、17歳でカンザスシティ・ロイヤルズと1万ドルで契約を結ぶことになった。
本人の記憶によれば、当時の体格は180センチ、90キロほど。インタビュー中、スペイン語で話していたマチャドが、「very skinny(すごく痩せていた)」と冗談交じりに振り返る。たしかに、現在のマチャドと比べれば痩せているが、この言葉からは2つのことが読み取れる。
ひとつは、MLB球団でプレーしながら英語を身につけたこと。もうひとつは、肉体を屈強に鍛え上げたことだ。
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いずれも出発点となったのが、ドミニカ共和国にあるロイヤルズの育成機関「アカデミー」(MLB球団の七、八軍相当)だった。
「カンザスシティのアカデミーで2年間を過ごした。その頃から、今と同じような取り組みをしていたよ。まず体づくりのためのトレーニングを行ない、そのあとにグラウンドで練習する流れだった。ただ、自分のフィジカルを本当の意味でしっかりつくり上げられるようになったのは、6年くらい前から。その頃から、体を鍛えることやコンディショニングについて、より深く理解できるようになった。それが、シーズンを通して健康な状態を維持できている一番の理由なんだ」
【苦難の日々を支えた名捕手の存在】
投手転向からわずか1年でプロ契約を勝ちとったマチャド。しかし、その後のキャリアが順風満帆だったわけではない。むしろ時間をかけながら、少しずつ築き上げられた。
2014年までは、ドミニカやアメリカのルーキーリーグで経験を積み、翌2015年にはトミー・ジョン手術(側副靱帯再建術)を受けてシーズンを全休した。プロになってまだ何も成し遂げていなかったマチャドだが、「必要な期間だった」と振り返る。
「言ってみれば、ゼロからもう一度、投手としてやり直すような感じだった。リハビリは段階を踏みながら進めていく。まずは体づくりから始めて、たくさんトレーニングを積む。特に下半身を鍛え、そのあとに肩や肩甲骨まわりもしっかり強化していくんだ。そして最後に、少しずつ腕を振れる状態へ戻していく。だからこそ、復帰までに丸1年かかる。その過程を飛ばして先へ進むことはできなかったんだ」
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2016年に実戦復帰を果たすと、翌2017年9月には待望のメジャーデビュー。2試合に登板した。
2018年以降は、2Aや3Aを行き来する日々が続いた。そんななか、2020年には新型コロナウイルスが世界を襲う。マイナーリーグはシーズン中止に追い込まれ、マチャドもその影響を大きく受けることになった。
そんな苦しい時期を支えてくれたのが、同じロイヤルズに所属していた、ベネズエラ出身の名捕手サルバドール・ペレスだった。マイアミにあるペレスの拠点でともにトレーニングを積みながら、多くのアドバイスを受けたという。
マチャドは以前、「6年ほど前から、体を鍛えることやコンディショニングについて深く理解できるようになった」と語っていたが、まさにその時期と重なる。
2021年にはワシントン・ナショナルズと契約。以降の3年間はメジャーで40試合、51試合、44試合に登板するなど、多くの出場機会を得た。ただ、その一方で、マチャドは2021年頃からNPB移籍について代理人と話し合いを重ねていたという。MLBではメジャーとマイナーを行き来する生活が続き、将来を見据えた時に、より安定した環境を求める思いが強くなっていたからだ。
結果的にメジャー最終年となった2023年は、奪三振率、与四球率ともにキャリアハイを記録。それでも、マチャドはNPBでの新たな挑戦を求めて自由契約に。そのなかで、真っ先に正式オファーを提示したオリックスと契約を結ぶことになった。
【マチャドを育てた日本野球】
来日後、マチャドのパフォーマンスはさらに向上した。フォーシームの平均球速は、2023年の96.6マイル(約155.46キロ)から、2026年WBCでは98.6マイル(約158.68キロ)まで上昇。さらに、ボールの回転効率もよくなった。
オリックス加入後、マチャドはどのようにして進化したのだろうか。
「いつも言っていることだけど、日本のバッターは三振を取るのが少し難しい。でも、その環境が自分のピッチングを磨いてくれているんだ。狙ったコースにしっかり投げきらないといけないからね。三振を取るためには、配球の組み立てもしっかり考えなければいけない」
日本の粘り強い打者たちを、どう打ち取るか。その問いと向き合い続けるなかで、マチャドのピッチングはさらに磨かれていった。
「日本のバッターは、とにかくファウルで粘ってくる。何球もファウルにされると、ピッチャーとしてはかなり疲れるんだ。だから、できるだけ早く打ち取りたい。そのためにも狙ったコースに投げることに集中している。それがずっと自分のテーマで、ストライクゾーンで勝負することを意識している」
来日を機に投球パフォーマンスを向上させる外国人投手は少なくないが、マチャドもそのひとりと言えるだろう。
では、パ・リーグ屈指のクローザーとなった今、彼の目にはどの日本人打者が最も優秀に映っているのだろうか。
「たくさんいるよ。オリックスでは(西川)龍馬。太田(椋)もいいバッターだ。森(友哉)も宗(佑磨)もそう。みんな、いいバッターだよ」
ほかのチームではどうだろうか。
「Ninguno(スペイン語で「誰もいない」という意味)」
真剣な表情のマチャドに「あなたは無敵だから?」と振ると、相好を崩した。
「そんなことはないよ(笑)。もちろん、いいバッターはたくさんいる。近藤(健介)、同じソフトバンクの柳田(悠岐)、栗原(陵矢)。ロッテの外野手の西川(史礁)。日本にはいいバッターがたくさんいる。三振を奪うのはすごく難しい」
【「なぜ彼はMLBにいないんだ?」】
2025年、マチャドがストレートで記録した「空振り/スイング率」はパ・リーグの救援投手3位の26.6%。平均球速146.1キロのチェンジアップでも、「空振り/スイング率」はパ・リーグ全投手で3位の39.7%だった。
日本で凄みを増したマチャドは、2026年ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でその力を世界に示した。
「なぜ彼はMLBにいないんだ?」
WBCを見た『Baseball America』のジェフ・ポンテス記者が、レポートでそう記すほどだった。今年4月に33歳になったマチャドは、今後のキャリアをどう考えているのか。
「日本で長くプレーしたいと思っている。でも、その時が来るのを待つよ。もし神様の計画のなかでメジャーリーグに戻る機会があるなら、自分もそうしたい。ただ、今の時点では日本で投げ続けたいという気持ちが強くある。オリックスはとても居心地がよく、このチームでプレーするのが本当に好きなんだ」
自身が望んでいたオファーをオリックスから受け、日本へやって来た。そして、この地でさらに成長を遂げた。33歳となった今も高いパフォーマンスを維持し、その充実した日々は、家族やチームの存在に支えられている。
「自分は毎日やるべきことをやり、命運は神様に委ねるだけだ」
ベネズエラからやって来た剛腕クローザーは、幸せそうな表情でそう語った。
アンドレス・マチャド/1993年4月22日生まれ、ベネズエラ出身。2010年にカンザスシティ・ロイヤルズと契約してプロ入り。メジャーではロイヤルズ、ワシントン・ナショナルズで通算137試合に登板。24年、オリックスに入団。最速161キロの速球と鋭いチェンジアップを武器に、NPB屈指の守護神として活躍。26年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、ベネズエラ代表として世界一に貢献した。
