
お笑いコンビ爛々のツッコミ担当、大国さんは2023年、悪性リンパ腫に。加えて脳炎を発症し、長期のリハビリを経て復帰を果たしている。言葉が出にくいなどの高次脳機能障害や、てんかんなどの後遺症が残る大国さんと復帰を待ち続けた相方の萌々さんに明るく支え合った日々を伺った。
搬送された時の記憶はない
――2023年8月、体調不良で大国さんが救急搬送され、悪性リンパ腫と脳炎がわかったそうですね。
萌々:当時は劇場やテレビの仕事が増え、「ここから売れるぞ!」と張り切っていた時期で。1週間ほど前から相方が体調を崩して、「夏風邪かな?」と思っていたんです。
あとからお母さまに聞いたのですが、救急搬送される前日、高熱と頭痛、嘔吐がひどく、顔に湿疹が出て、朝方には全身が赤黒くなったうえに痙攣もあり、すぐに救急車で運ばれたそうです。
大国:私はそのあたりから全然記憶がなくて。
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萌々:気管切開で呼吸管理をされた状態で、検査で皮膚から悪性リンパ腫がわかって。同時に転移による脳炎も併発し、症状を抑えるために鎮静剤で眠らせた状態に。そのあとすぐ、悪性リンパ腫の抗がん剤治療を始めたと聞きました。
大国:母によれば、私は鎮静剤の効果が弱まると少し目覚める程度で、ずっと眠っていたみたいです。
萌々:眠ったままだったので、本人につらい抗がん剤の副作用の記憶がないのは、せめてもの救いだったのかも。脳炎と後遺症の高次脳機能障害の影響で、入院から1年ほどの記憶は曖昧なようです。
――入院から3か月後、テレビ電話で大国さんの顔を見ることができたそうですね。
萌々:髪の毛は抜けて、免疫力の低下で顔にヘルペスができていて、私の知っているおしゃれな大国さんではなくて……。
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それでも笑顔で、気管切開で声が出せない中、ナースコールと指を使い「チョメ!」という持ちギャグをしてきて(笑)。「私がここで泣いたらあかん!」と思って、歯を食いしばりましたね。
大国:母に聞くと、目が覚めるたび、なんで声を出されへんのか、なんでここにおるのかわからなくて、何度かパニックになったこともあったようです。
萌々:抗がん剤治療が一段落したタイミングで、悪性リンパ腫の再発防止のために妹さんから骨髄移植を受けることになったのですが、痙攣が続いて断念したそうです。一時は快方に向かったものの、また症状が悪化し、11月〜2月初旬まで3か月以上、意識がない状態に。
お母さまによると、このときもう治療法はなく、医師から余命宣告をされたとも聞きました。
――そこからセカンドオピニオンを受けられて何度か転院をされたのですね。
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大国:初めに入院した病院と脳神経内科のある転院先の病院を含めて、3つの病院にお世話になりました。
萌々:状態が落ち着いて、ようやく呼吸器が外せるようになって、2024年12月にリハビリ病院に転院したんです。私も少しほっとしました。
もう一度、舞台からの景色を見たかった
大国:言語や歩行、体幹トレーニングなど、1日3時間のリハビリをがんばりました。今も週3回、高次脳機能障害のリハビリに通っていますね。
萌々:日常生活ができるまでには、寝たきりだった期間の3倍の時間はかかると言われていたのですが、リハビリ病院を半年で退院。歩くペースはゆっくりですが、横に並んで歩いたり、一緒に舞台に立ったりできるまで回復したのは奇跡やと思います。
――闘病中、大国さんはどんな思いでいましたか。
大国:何度も心が折れそうになりました。薬の影響で太ったり、見た目的にも前の自分にはもう戻られへんのかなって思うことも。でも、また漫才がしたい、舞台に立ってお客さんの笑い声を聞きたい、相方とアホなことを言い合いたいという思いがあって。もう一度、舞台からの景色を見たかったから。
萌々:私は相方がいない間に、一人で漫談を始めることに。不安もありましたが、いつか相方が復帰したとき、漫談をコンビの漫才に変えたら最強やなと思って。2年半で100本のネタを作りました。
神様が「私と大国さんにしか乗り越えられへん試練を与えてくれたんや」と思って、強気でいましたね。
大国:後天性のてんかんと高次脳機能障害の後遺症もあって、言葉が出にくかったり、過去のことを忘れてしまったりすることも。この前も公演中にてんかんの発作が起きてしまって……。
萌々:強い光や大きい音で、てんかんの発作が起こりやすいので、対策として、舞台では照明や音響を控えめにしてもらったり、背もたれ付きの椅子や舞台袖には車いすを用意しています。
発作のとき、全身の力が抜けると失禁する可能性があるので、こまめにトイレに行くよう声をかけるのも私の役目になりました。
サポートのため、てんかんや高次脳機能障害の勉強中
大国:苦しいとかはないのですが、急にぼーっとしちゃうんですよ。発作のときは、萌々ちゃんや周りの芸人さんに助けられています。萌々ちゃんは一度も私を急かさんかった。「いつ戻るん?」じゃなくて「生きて戻ってきてくれたら、それでええで!」って言ってくれたのが、ホントありがたかったですね。
萌々:大国さんは入院中、意識がはっきりしてくると、私が一人で出演していた朝の番組を欠かさず見ては、「見たで、萌々ちゃんはやっぱカッコええな! 笑ろたわ〜」ってメッセージをくれて。闘病中もずっと萌々の一番のファンでいてくれたんです。
――2年半の療養を経て、25年12月の単独ライブで大国さんが復帰。大国さんを支える中で、萌々さんの心境はどう変化しましたか?
萌々:私はもともと完璧主義で、適当な言葉が大嫌いやったんです。でも大国さんの病気がわかってからは「まぁいっか」が自分の心を救う、お守りの言葉になりました。
今、ご自身やご家族の病気、介護で悩んでいる方は、つらいときには「まぁいっか」と口に出してみてほしいですね。たまには適当に過ごす日があってもいいと思います。
大国:私は病気を経験して、舞台に立てるのは実は当たり前じゃなかったんだと思えて。だから前よりも1本1本の舞台を大事にしたい。たくさんの方に「爛々の漫才、やっぱ好きやな」って思ってもらえる存在になりたいです。
無理に強く見せるんじゃなくて、ありのままの私たちで笑いを届けたいですね。これからも萌々ちゃんと“命燃やして”いきますよ!
萌々:大国さんのサポートのため、てんかんや高次脳機能障害の勉強もしています。前の自分たちに戻ることを目指すのではなく、今の大国さんと私にしかできない漫才やトークで皆さんを笑わせていきたいですね。新しい爛々をつくり上げていくことに、めちゃくちゃワクワクしています!
取材・文/釼持陽子
爛々 ボケの萌々とツッコミの大国麗で、2016年にコンビ結成。’22年に女芸人No.1決定戦『THE W』決勝に初進出するなど、関西で注目の若手女性漫才コンビ。
