ファンが推しへの思いをそれぞれ付箋に書いて広告面に張り付けるという付箋広告 池袋駅のJRと東武東上線の改札が向かい合わせになるオレンジロード。その広告媒体オレンジボードは、応援広告が多く掲載されることから、「応援広告の聖地」として話題になっている。コロナ禍以降、推し活が一般的に広がるなか、韓国のセンイル(誕生日)広告文化が波及して、日本でもファンによる応援広告が徐々に市場を拡大しつつある。そんなシーンの先駆けとなるオレンジボードを運営している東武鉄道の沼田幸徳氏に、日本での応援広告の定着とこれからの進化について聞いた。
【写真】ファンが4ヵ月も前から作成…オレンジボードに掲載されたJO1・川西拓実の誕生日広告
■ファンが求める環境がマッチしたオレンジボード、規定整備で需要が拡大
K-POPアイドルや俳優などのファンが費用を出し合って、推しの誕生日にお祝い広告を街中に掲出する応援広告。韓国のセンイル広告が発祥と言われており、日本でも推し活の手法のひとつとして広がってきている。そのなかでも、応援広告の聖地として話題になっているのが、池袋駅のオレンジロードに設置されているオレンジボードだ。
池袋は乙女ロードなどアニメやゲームをはじめ、推し活女性との親和性が高い。また、駅の構造上、東口、西口に向かう東西の人の流れが多いなか、オレンジロードはJRと東武東上線の改札の間の南北をつなぐ通路になり、人の流れが比較的少ないため、広告料が安くなっている(基本料金は1週間50万円)。さらに、推しのファンが集まっても一般の人の迷惑にならないシチュエーションであることが、ファンのニーズとマッチし、人気を得た。
オレンジボードを運営する東武鉄道の沼田氏は、韓国のセンイル広告ブームを受けて、2020年以降ファンからの応援広告出稿の問い合わせが多くなったと明かす。
「池袋という東京を代表する大きな駅に、推しの大きな掲示を安く貼れて、人通りなどのノイズが少ないなかで一緒に写真を撮って楽しめる。そういう需要とマッチしているようです。オレンジボードは20年以上前から設置していますが、正直なところそんなに売れていませんでした。それがコロナ禍以降、問い合わせが増えていて、広告掲出は4ヵ月前から受け付けていますが、この先の予定もびっしりと埋まっています」(沼田氏/以下同)
日本でも定着しつつある応援広告だが、一般化する前、課題となったのがアーティストや俳優、キャラクターなどの権利許諾の問題。アーティストの所属事務所やキャラクターの権利元は肖像を厳格に管理しており、ファンの自主的な広告への肖像使用のハードルは、一部を除いて総じて高い。
日本での問い合わせが増えてきた2020年当時は、個人の広告出稿は受け付けないと規定で決まっていたという。どう対応すべきか広告代理店とともに議論を行い、その結果、複数名で立ち上げたファン団体に関しては例外的に許可を出せるよう、規定を整備した。ファンから広告の依頼が入ると、権利元への許諾確認を行い、それがクリアされて初めてクライアント審査や意匠審査、デザイン審査など広告掲出の流れに進む形になる。
「ファンの団体からの依頼が多いのですが、所属事務所に確認するとすでにお墨付きをもらっている場合がほとんどです。これまでのところ、両者の間で信頼関係が構築されていて、問題が起こることなくスムーズに進んでいます。一方、まだ産声を上げたばかりの団体や初めて応援広告を出そうとする団体から、『どうすれば出せますか』と相談を受けることもあります。その場合は、広告代理店が間に入って、権利元への確認などのお手伝いもしています」
■アナログ型の“付箋”を使った応援広告が聖地化のきっかけに
東武鉄道では、通常の広告掲載のほかにも新たなメニュー開発にも取り組んでおり、オレンジボードが聖地化するきっかけを作ったのが、“付箋広告”だ。ただ広告を掲載するだけではなく、ファンが推しへの思いをそれぞれ付箋に書いて広告面に張り付けるという参加型の応援広告となっている。
JO1の川西拓実が出演したドラマ『クールドジ男子』(テレビ東京系)の劇中で、付箋広告が登場。川西演じる仕事に悩む広告マンがオレンジボードの付箋広告に書いてあるメッセージに心を動かされ、前向きになるシーンがあり、実際にオレンジロードで撮影が行われた。さらに、そのオンエアのすぐあとだった川西の誕生日には、ファンによる応援広告がオレンジボードに掲示されたことで熱量が積み重なる場となり、推しの応援の聖地として認知されるようになったという。
「偶然だったのか、必然だったのかはわからないのですが、必然だったらファンの方が4ヵ月も前からドラマの放送タイミングや推しの誕生日に合わせて準備を進めていたわけですから、ものすごい熱量と同時に責任も感じました」
ドラマに起用された背景には、オレンジボードならではの事情もある。ドラマ制作側にとって、駅でのロケは鉄道会社の許諾を得るハードルが高い。新宿や渋谷など主要駅にも広告ボードはあるが、同作のロケが池袋のオレンジロードになったのは、その障壁を東武鉄道ができる限り取っ払っているからだ。
「鉄道会社は系列のハウスエージェンシーを持っていますが、東武鉄道は広告管理運営も自社で行っているので、フットワークが軽く、現場との調整が早い。大きな駅ほど混乱を避けたいので、煩雑な案件はほぼ受け入れません。とくにロケはいちばん大変な事案です。使う駅の駅長を説得するための材料を準備し、ほかの鉄道会社さんが手を出しづらい案件でも、うちはなんとかしようと柔軟に対応しています」
■「何かあったら推しのせいに」聖地トラブルを防ぐのは応援広告を掲出するファンの意識
そんな東武鉄道の姿勢が、オレンジボードとエンターテインメントのつながりを強くし、応援広告の聖地というポジションを確立している。
だが、聖地化された今、懸念されるのは、ファンが殺到することによる事故やトラブル。普段から人の往来が多い、公共性の高い駅だからこそ、その可能性を徹底的に排除する工夫や対策が不可欠になる。
「応援広告によって大勢の集客が見込まれる場合は、警備員などのスタッフを配置します。ただ、応援広告を見に来るファンのみなさんのマナーはすごくいい。ルールを遵守されていて、一般の方の迷惑にならないようにとても気を使っています。『何かあったら推しのせいになる』という認識が強く、すべて推しのためになるようにと、ファン同士で徹底して意識されているのを感じます。
ピールオフ(ノベルティなどを剥がして持って帰ることができる広告)などの事前告知はNGにしており、人気度によっては事前に行列ができたり、転売目的の人が集まったりするので、混乱しないように、スタッフがピールを貼り終えた時点での告知にしています。
また、一般の方が推し活をするファンの写真をおもしろおかしくノリで撮ったりすることがあるのですが、そのときは肖像権の説明をして遠慮していただくようにお声がけしています。応援広告を運営する立場として、ファンの方だけでなく、一般の方にもルールやマナーを守っていただくよう厳しい目で見ています」
■ファンが広告制作から掲出までを担う応援広告、企業広告のトレンドにも影響
応援広告の流れは、まず受付が始まる4ヵ月前にファン団体が枠を押さえる。それからファン同士でお金を集めて、その予算でできることを企画。クラウドファンディングを行う場合もある。その後、自分たちで制作に入り、掲出の2〜3週間前にデザインを含めてFIXする。
「ファン同士の間では、かなり前から細かくデザインを準備して、みなさんで相互にチェックされています。みなさん一般の方で、デザインから制作まで手弁当で広告を作って掲出しているんです」
そこには、企業による従来の一般的な広告制作の流れとは異なる、新しい広告手法が生まれている。
「これまでの広告は、テレビCM、バスや電車の中吊り広告、駅や街中の大型ビルボードなどに同じ商材のビジュアルが映るといった、シチュエーションの異なる複数のメディアを使った“面”で捉える広告が一般的な手法でした。それがいまは、応援広告に象徴されるように、この駅のこのボードで、推しで作った自分たちだけの広告でコーナーを飾るという、大きなインパクトのある“点”を定期的に作る手法が出てきています。
とてもおもしろい現象です。みんなで楽しもう、広げていこうという気持ちが原動力としてあり、この場所にその広告を出すストーリーがある。そこにはファンのニーズや喜び方が形になっていると感じます。それを企業側も注目しており、いま“応援広告ふう”の企業広告が増えているんです」
そんな企業広告のトレンドにも影響を与えている応援広告だが、現在のオレンジボードの売上シェアは、応援広告が2割、残りの8割は企業によるアニメやゲームなどコンテンツ系の広告という。話題は広がっているものの、市場規模で見ると、まだまだそこまでの大きさには至っていない。
しかし、沼田氏は昨今の市況を「ファンと権利元のコミュニケーションがしっかり取れているケースが多く、以前に比べて権利元の理解も進んでおり、柔軟に対応していただけるケースが増えているように感じます。ファンが機運を醸成し、われわれはセキュリティ面も含めて、全方面が安心して応援広告を掲出できる環境を整えています。この先、いままで以上に広がっていくのではないでしょうか」と前向きに捉えている。
オレンジロードには今年1月から14面のデジタルサイネージが装備され、オレンジボードと組み合わせる演出の幅が格段に拡張された。ここからまた新たに流行や応援広告のトレンドが生まれていきそうだ。
「日本には昔からタニマチ文化が根づいていました。それが日本人のDNAであり、いまのオレンジボードにつながっているのではないでしょうか。われわれは、そういった推し活の新たなニーズを地域経済とつなげて循環を作ることを、自治体や企業と一緒にできるかもしれない。応援広告には、一般的な広告とは異なる可能性があると感じています」
(取材・文/武井保之)