活動終了の「嵐」は他グループと何が違うのか?売れなかった頃の辛い記憶も

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2025年05月14日 15:50  女子SPA!

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女子SPA!

20周年ツアーのブルーレイ『ARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM “Record of Memories"』がまた売れているようだ
 来春開催するツアーをもって嵐が活動終了することが、5月6日に発表され、日本中に激震が走りました。旧ジャニーズ事務所(現STARTO ENTERTAINMENT)には数々のスターがいましたが、嵐はなぜ“国民的アイドルグループ”と呼ばれるほど特別な存在となり得たのでしょうか。

その裏には、長い“不遇の時代”を乗り越えてきた、という事実も関係しているようです。旧ジャニーズにも詳しい芸能ウォッチャーの太田サトルさんに解説してもらいました(以下、太田サトルさんの寄稿)。

◆今からは想像できない“不遇の時代”があった

 25年の歴史を持つ嵐ですが、不動の人気を獲得するまでに実は10年近くかかったことを、今では知らない人もいるでしょう。

 嵐のデビューは1999年。ハワイ・ホノルル沖のクルーズ船上でのデビュー発表というド派手な会見を行い、デビューシングル『A・RA・SHI』の売り上げは100万枚を突破しました。ところが、CDの売り上げは少しずつ下がり、バラエティも、ゴールデンやプライム帯はSMAPほか先輩グループが活躍を続けていたため、そこに食い込み追い越していくことができませんでした。

 この不遇の時代を、後にメンバーはこう振り返っています。櫻井翔は、慶應大学の同級生たちが就職活動を始める中で、「この先自分どうなっちゃうんだろうな…と不安ではありましたよね」(2019、NHK『SONGS』より)。また、2002年に自社の新レーベル「J Storm」に移籍した際も、「あれ、これ…俺ら見込みがないってことなのかなってちょっと思ったりもした」と相葉雅紀は話します(同)。

 二宮和也は、ハリウッド映画『硫黄島からの手紙』(2006)のオーディションを受けたのは、「当時はそんなに仕事がなかったので」「何か仕事はないですか?」と事務所に聞いたことがきっかけだった、と振り返っています(2022、TBS『日曜日の初耳学』より)。

◆「嵐だって10年かかった」というロールモデル

 その『硫黄島からの手紙』で二宮が高く評価され、松本潤が出演したドラマ『花より男子』(TBS系2005、続編2007)がヒット、さらに櫻井翔が2006年『NEWS ZERO』のキャスターに抜擢されるなど、嵐の大逆襲は、メンバーそれぞれの活躍が同時多発的に発生したことから始まったのです。紅白歌合戦への初出演は2009年と、実にデビュー10年後でした。

「嵐だって(大ブレイクまで)10年かかったんだから」という空気が、後輩グループのファンや事務所あるいはメンバーにももたらされ、「嵐のようにじっくりがんばろう」という思いに繋がった――これが嵐を“特別な存在”にした要因の一つではないでしょうか。

◆なぜ嵐はすぐブレイクしなかったのか?

 嵐がデビューした1999年は、SMAPがまさに“国民的アイドルグループ”の名を欲しいままにし、ヒット曲を連発、メディアを席巻していました。そこにTOKIO、KinKi Kids、V6といった先輩グループも活躍していた時代です。

 さらに、アイドルの世代交代が難しい状況も生まれていたのです。SMAP以前の男性アイドルグループは、デビューから3年もすれば人気のピークを過ぎ、次のグループに人気が移っていくのが当たり前でした。しかしSMAPは、アイドル自体の人気が下火だった時代性もあって、デビュー(1988)当初に爆発的人気を獲得できず、数年かけてバラエティなどを軸にお茶の間にじわじわと浸透、テレビドラマ『あすなろ白書』(1993)に出演した木村拓哉の大ブレイクによってようやく人気を獲得したという歴史がありました。

 加えてSMAPは、前述したようなアイドルの“賞味期間”を超え、大人になってもずっとアイドルで居続けるという新たな道を開拓しました。その意味では、SMAPも嵐も「じわじわ浸透して長く売れる」というスタイルを確立したとも言えます。

◆今までのグループと違う、嵐の“普通ぽさ”

 嵐がこれまでの他のアイドルグループと違っていたのは、ある種の「普通ぽさ」があったことではないかと思います。

 嵐が不遇だった頃、NEWSや関ジャニ∞(現SUPER EIGHT)やKAT-TUNといった後輩グループがデビュー、KAT-TUNのデビュー曲はミリオンセラーを記録するなど、時代の勢いは完全に変わったような雰囲気がありました。

 一方で嵐は、SMAPやキンキの持つスターオーラももちろん持っていますが、それ以上に「親しみやすさ」「親近感」を感じられる存在でした。親しみやすさとは、当時の王子様的だったアイドル像とはある意味矛盾した要素。それを前面に出すという、できそうでできないことに成功したのが嵐だと思います。

◆最後まで1人も欠けなかった

 加えて、嵐の「仲の良さ」も大きく注目されるポイントでした。日頃から仲が良く、25年の間たくさんの話し合いを重ねたといいます。グループとしての活動休止に至るまで、一人も欠けなかったことは、「この5人でなければ嵐ではない」というメンバー同士の信頼感や、ある種の“自信”ゆえでしょう。

人気を博した旧ジャニーズのグループでも、メンバーの脱退、不祥事、分裂などが少なくなかっただけに、最後までそれがなかった嵐の“特別さ”を感じさせます。

◆「嵐的なもの」の次に来るのは?

 先輩たちの活躍、台頭する後輩たちの陰で、じっくり時間をかけて少しずつ魅力を発揮させ、スーパースターよりも身近な存在となったこと。コンプラ意識がより強まる中で、仲の良さや人を傷つけない雰囲気が好まれる時代性にピッタリフィットしたこと。これらが、嵐が遅咲きでありながら不動の国民的アイドルとなった大きな理由ではないでしょうか。

 STARTO社で活動する後輩グループたちの一部は、今も「嵐的なもの」をロールモデルとして進化を続けている、そんな気がします。しかし、嵐に並ぶ存在はなかなか登場しないことも事実。次に時代の空気が変わるとき、そこに「嵐的なもの」を壊すほどのパワーを持った存在が現れないかぎり、来年以降は嵐の穴が空いたままの時代がやってくるのかもしれません。

<文/太田サトル>

【太田サトル】
ライター・編集・インタビュアー・アイドルウォッチャー(男女とも)。ウェブや雑誌などでエンタメ系記事やインタビューなどを主に執筆

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  • 仲良いのが伝わるし、番組見てて下品すぎないのが結構な年上にウケたのだと思う。
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