ロータス72でモナコ・ヒストリックGPに参戦した久保田克昭が2度目の栄冠。ニューウェイが同グループ4位

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2024年05月15日 18:50  AUTOSPORT web

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2024モナコ・ヒストリック・グランプリのセリエDカテゴリーで優勝した久保田克昭(ロータス78)
 5月10〜12日にモナコ公国で開催された第14回モナコ・ヒストリック・グランプリにおいて、1971年型ロータス72で“セリエD”に出場した久保田克昭が、2014年に続き自身2度目の優勝を果たした。

 モナコ・ヒストリック・グランプリは、1997年にグリマルディ家のモナコ統治700周年を記念して始まったヒストリックカー・レースで、2年に1度、F1モナコGPと同じ市街地コース、施設、機材を使って行われる“ヒストリックカー・レースの最高峰”だ。

 今大会には1925年のブガッティT35から、1985年のミナルディM185まで8カテゴリー合計212台のマシンが集結した。

■予選のクラッシュでマシンを損傷

 参加するドライバーは基本的にアマチュアのオーナードライバーが多いが、いずれも世界各地のヒストリックカー・レースで名を馳せた強者揃い。さらに2006年、07年のル・マンウイナーであるマルコ・ヴェルナーなどプロドライバーや、自身のロータス49Bで参加したエイドリアン・ニューウェイ、ウイリアムズFW07Bで出場したザク・ブラウンの姿もあった。

 久保田がロータス72で出場したのは、1966年から72年までのF1マシンを対象としたカテゴリーのセリエD。過去に各カテゴリーで何度も優勝を飾っているマイケル・ライオンズなど強豪揃いのカテゴリーで、その中にはニューウェイも含まれる。

 金曜のプラクティスに続き、土曜の予選でも序盤に2番手タイムをマークした久保田だったが、ポールポジションを狙ってアタックした終盤にタバコ・コーナーのガードレールに接触。フロントノーズ、リヤホイール、リヤウイングだけでなく、リヤのサブフレームが曲がるほどの大きなダメージを負ってしまった。

 しかしながらチームスタッフはすぐさま修復を開始。夜中までかかって走れる状態に戻したが、リヤウイングは傾いだままで正常なアライメントも取れない手負いの状態であった。

■モナコに『君が代』を流したい

 迎えた決勝。2番手グリッドからスタートした久保田は加速が伸びず、マシュー・リグレーのマーチ721Gにかわされ3番手にドロップしてしまった。

 その後、数周にわたって膠着状態が続いたが、マシンの動きに問題がないのを確認した久保田はペースを上げ追走を開始する。1分33秒6というファステストラップを記録しながら、前を走るマシンとのギャップを詰めていくと、プレッシャーを感じたリグレーのマーチが1コーナーでオーバーシュート。さらにトップを快走していたライオンズのサーティースTS9との差も詰まっていく。

 そのライオンズは9周目のラスカス・コーナーで痛恨のスピン。直後を走っていた久保田だが、冷静な対応でクラッシュを回避しそのままトップでチェッカーフラッグを受け自身2度目となるモナコ・ヒストリック優勝を飾った。

「2002年に初めてモナコ・ヒストリックを見て『自分の手でモナコに君が代を流したい』と思ったのがきっかけ」と参戦に至った動機を語った久保田。

「2006年から出場して2014年にその夢を実現できて、もう一度……と思いながら、ここ数年結果に恵まれなかっただけに本当に嬉しいです。マシンは完璧でした。直してくれたメカニックたちに感謝します」

 なお、久保田とともにセリエDに出場していたニューウェイは4位でフィニッシュした。

 また1973年から76年までのF1で競われる“セリエE”にウイリアムズFW05で、1981年から85年までの3.0リッター自然吸気F1で競われる“セリエG”にウイリアムズFW07Cで初出場を果たしたもうひとりの日本人、鳥羽豊はいずれのレースもリタイアに終わった。しかし、強豪揃いのセリエGで予選12番手、決勝では一時9番手につけるなど今後に期待を抱かせる走りを見せた。

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  • タイレル(あえてこう書く)P34は出てるの??
    • イイネ!2
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