【平成の名力士列伝:栃東】芸術品の「おっつけ」と心の強さで存在感を発揮した平成の名大関

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2024年09月14日 07:20  webスポルティーバ

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連載・平成の名力士列伝11:栃東

平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、中高校の先輩でもある横綱・若乃花も参考にしながら技を磨き、3度の優勝を飾った栃東を紹介する。

連載・平成の名力士列伝リスト

【2度の陥落と大関復帰】

 大関で2場所連続負け越して関脇に陥落した力士は、翌場所10勝すれば大関に返り咲ける。それは決して簡単なことではない。昭和47(1972)年の制度創設以降、令和6(2024)年までにこの機会に挑んだ29例中、10勝以上して復帰したのは7例だけ。そんななか、唯一ひとりで2度の復帰を果たしているのが、平成時代の名大関・栃東だ。

 父は技能賞を6回受賞し、平幕優勝の経験もある技能派の名関脇・栃東。小学生時代は野球少年だったが、名門の東京・明大中野中学・高校で相撲に打ち込み、高3で高校横綱に。父が師匠を務める玉ノ井部屋に入門し、平成6(1994)年11月場所で初土俵を踏むと、序ノ口、序二段、三段目、幕下、十両の各段ですべて優勝して番付を駆け上がり、たちまち三役や三賞の常連に。平成14(2002)年1月場所で大関に昇進し、優勝3回に輝いた。

 基本に忠実な押し、右四つ寄り、上手出し投げなど父譲りの「技」は一級品。中でも芸術品といわれたのが「おっつけ」だ。相手の左(右)手のヒジ付近の外側から右(左)手をあてて押すこのおっつけは、手のあて方、脇の締め方、腰の落とし方や寄せ方などがピタリとはまると、下半身の力も伝わって、大きな相手を紙のように軽々と押せるという、魔法のような技だった。栃東は、明大中野中・高の先輩にあたる横綱、3代目若乃花を手本におっつけを磨き上げた。

 栃東の土俵人生は、ケガとの闘いでもあった。入門直後の右ヒザ負傷のほか、大関目前で右肩を脱臼。乗り越えて大関に昇進した後も、左肩負傷などで何度もカド番を経験した。平成16(2004)年3月場所、左肩骨折で途中休場し、4度目のカド番の5月場所も全休してついに大関から陥落。7月場所で10勝して大関に復帰したが、9月場所は右ヒザ負傷、11月場所は左肩骨折でいずれも途中休場し、わずか2場所で再び大関から陥落。それでも平成17(2005)年1月場所、11勝して2度目の大関復帰を果たした。

【心の強さを発揮した3度の朝青龍戦】

 10勝以上で大関復帰の特例が適用されるのは、陥落直後の1場所だけで、もしも1番届かずに9勝に終わったら白紙に戻る。大関復帰には、また一から好成績を積み上げていかなければならない。ただでさえ重圧がかかるうえに、栃東の場合、復帰をかけて土俵に上がった2場所はいずれも、休場の原因となったケガが完治していなかった。そんな状況で、重圧を撥ね退けて2度とも復帰を果たせたのは、「心」の強さの賜物だ。

「心」の強さがいかんなく発揮されたのが、3回の優勝の場所での朝青龍戦だ。

 新大関として迎えた平成14(2002)年1月場所4日目、新進気鋭の関脇・朝青龍と対戦。激しい張り手を嵐のように浴びて鼻血を出し、行司が「待った」をかけ止血作業を行なう異例の事態に。しかし、「慌ててくれれば隙が生まれる」との言葉どおりに辛抱して勝機をうかがい、再開後、強引な巻き替えに乗じて上手出し投げで快勝。この場所、33年ぶりの新大関優勝の快挙で初めて賜盃を手にした。

 2回目は平成15(2003)年11月場所千秋楽。すでに横綱に君臨していた朝青龍と2敗同士、勝ったほうが優勝という大一番に臨み、突っ張りをあてがってしのぎ続け、引きに乗じて押し出して優勝した。

 3回目は平成18(2006)年1月場所千秋楽。1敗の単独首位で勝てば優勝の栃東は、この時朝青龍が右ヒジを負傷し右からの攻めが不十分と読み、意表をついて不得意な左四つに組んで先に右上手を取り、相手が右上手を取りにきたところを上手出し投げで仕留めて3回目の優勝を飾った。

 朝青龍はここ一番の勝負強さが抜群といわれた。そんな横綱を破って優勝につなげた3番には、いずれも「こうすれば勝てる」という技術的な理由がある。「技」に裏打ちされた「心」の強さこそ、栃東の相撲の真髄だった。

 平成19(2007)年3月場所、偏頭痛に悩まされて途中休場し、検査の結果、脳梗塞の跡が見つかって引退を発表。「期待された横綱には、心技体の『体』の面で届きませんでしたが、最後は、神様が『そろそろいいぞ』と言ってくれたのかもしれません。悔いはないです」と語った栃東は、父の玉ノ井部屋を継承し、自らの経験を活かして弟子の育成に励んでいる。

【Profile】栃東大裕(とちあずま・だいすけ)/昭和51(1976)年11月9日生まれ、東京都足立区出身/本名:志賀太祐/しこ名履歴:志賀→栃東/所属:玉ノ井部屋/初土俵:平成6(1994)年11月場所/引退場所:平成19(2007)年5月場所/最高位:大関

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