二宮和也、嵐デビューから26年…小倉智昭さんは「お父さんみたい…というかお父さん」声震わせ

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2025年03月17日 18:01  日刊スポーツ

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小倉智昭さんとの思い出を話す二宮和也(代表撮影)

<小倉智昭さん お別れの会>◇17日◇ブルーノート東京



ぼうこうがんのため24年12月9日に77歳で亡くなった、フリーアナウンサー小倉智昭さんのお別れの会が17日、東京・港区のブルーノート東京で行われた。参列した嵐の二宮和也(41)が囲み取材に応じ「お父さんみたい…というか、お父さん」と声を震わせ、目を潤ませた。


小倉さんとは、嵐が1999年(平11)9月15日にハワイ・ホノルル沖のクルーズ客船上でデビュー会見を開いた際、小倉さんがフジテレビ系「とくダネ!」で現地からの中継でインタビューを行った時からの付き合いだった。「最初にハワイで中継をつないで、お話しさせていただいたのが出会い。グループ結成から、25、26年は一緒」と口にした。その後、06〜10年に日本テレビ系で放送された嵐の冠番組「嵐の宿題くん」で共演を果たした。「そのうち、バラエティーを一緒にやるんですけども、、初めて偉大さを感じた。いつ寝ているんだ? というくらい動いていると話を聞いて。それが1年じゃなく、何年も続いていくルーティンだと聞いて。驚いたのは、若者の我々は何をやっているんだと。眠い、眠いって言っちゃ、いけないんだと思ったことがあった」と振り返った。


そして「小倉さんって、その日に番組に遊びに来てくださる人の作品を、もちろん出ている。別枠で嵐のDVD、音楽、メンバーのド出ているドラマ、映画を時間を割いて見ていただけるのが大きかった。僕らが頼りない時は番組に出ていただき、こいつはこういうヤツだとプレゼンしてくれた」と感謝。「番組に僕らを根付かせることもしていただいた」とも明かした。


参列し、献花した今、改めて小倉さんへの思いを聞かれると「(亡くなって)3カ月以上たって、まだ悲しいですし」と口にした。「連絡を取らせていただいていたので経過は随時、聞いて、感じてはいましたし。もちろん悲しかったし、来る時は来てしまった思いはあったにしろ、一方で自分の好きなことができる時間が、小倉さんにもできたのかな? と。悲しいけれど、そう思うことはできた」とも語った。


最後に食事をしたのは、1年半ほど前だったという。「最後、飯を食った時の小倉さんのまま、ずっと思い出はありますけども。最後まで、ずっと心配かけっぱなしだと思うから、顔を見せろとか、飯行くぞ、となったりしたんだと思う。僕は、楽しい時間だったけど本音はそうだったかも知れない」と口にした。


そして「(天国で)楽しいことやっていてもらいたいし、僕らが、僕らがまたバカなことやっていたら、またバカなことやってるなと笑ってもらえるように、頑張らないといけないですね」と小倉さんを思い、口にした。「良い大人なんで、心配をかけることなく頑張らなきゃな、ということが増えた。(天国で)楽しんでもらいたいなと思うし、今の芸能界が、どう見えているか分からないけども、小倉さんに怒られないように頑張って働きます」と自らに言い聞かせるように口にした。

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