写真 吉原慎也さんは高校卒業とともに1997年に横浜F・マリノスでプロ生活をスタートさせ、1999年のアルビレックス新潟在籍時にデビューすると、その後は川崎フロンターレ、東京ヴェルディなどでプレーし、14年間もの長きにわたり現役選手として活躍した元ゴールキーパー(GK)だ。
引退後は、「あえて」サッカーとはまったく関係のない建設会社に就職し、同時にもともと興味があったという貿易業に乗り出すべく大理石の輸入業務をメインとする会社を設立。その会社を独立させ、現在にいたっている。
「今でも変わらずサッカーは大好き」だと話す吉原さん。ではなぜ、子供の頃から人生の多くを注いできた最大の武器と自ら距離を置いたのか。インタビュー前編では、引退を迎えるまでの心境、その先のキャリア選択への考え方について語っていただいた。
取材=上岡真里江
撮影=吉田英久
――2010年シーズンを最後に現役生活にピリオドを打たれました。以来、今年で15年が経ちますが、現在はどのような立場、職種でお仕事をなさっているのでしょうか?
吉原 立場としては会社経営者です。建物の改修工事を専門とするグローバル・エージェンシー・コーポレーション株式会社を立ち上げて、この3月で14期目になりました。主に公共施設や商業施設、学校、工場、オフィスビルやマンションなどの大きな建物をリニューアルするというのが仕事です。そのなかで、より信頼を得るためにも、僕自身が『一級建築施工管理技士』の国家資格も取り、その道のプロとして頑張っているという感じです。
もともとは、引退した時に、現役時代からつきあいのあった建設会社の社長さんから「一緒にやろうよ」と声をかけていただいたのがきっかけでした。で、いざやってみたら、建設業界って体育会系なんですよ。さらに組織プレーで男臭い。そういったところにサッカーでやってきたこととのリンクを感じて、「(サッカーキャリアが)活かせる部分も多々あるかな」と思えたんですよね。
――『建設』という業種には、もともと多少なりとは興味はあったのですか?
吉原 僕の中で、1つの目標として「自分で家を建てたい」という思いは漠然とはありました。今の業務である『改修工事』とは少し異なりますが、それでも家を建てることとか、建物を造っていくことに関しては興味があったので、興味があったかといえばありました。あと、親戚が大工で、中学生の時に手伝ったりしていたことも大きかったと思います。
――高卒から14年間という長い現役キャリアを過ごされましたが、一方で、GKという1つしかレギュラー枠がないポジションの特性上、出場機会を得ることが決して簡単ではなかったと思います。その中で、ご自身のネクストキャリアや引退について真剣に考えるようになったのはいつ頃ですか?
吉原 30歳手前ぐらいだったと思います。「いつまでやれるんだろう?」みたいな漠然としたものでしたが、多かれ少なかれ、そのぐらいの年齢になれば、スポーツ選手であればみんなが思っていると思います。
――具体的な表現でいうと、どのような感情が大きかったですか?
吉原 『不安』ですよね。30歳を超えると、サッカー界ではもうベテランと言われます。そうなった時に、子供の頃から今までサッカーしかやってきていない。つまり“社会”を知らないわけです。逆に言えば、知るきっかけもなかった。そういった不安から、「このままでは一般社会では通用しないだろうな」と。Jリーガーでいられる時は周りは一目置いてくれますが、そのブランドがなくなった時にどうなるの?って。何の後ろ盾もない個人で勝負しなければいけなくなった時にどうなるのかと考えたら、とてつもない不安を感じました。
――引退は2010年シーズン途中。所属していた柏レイソルのネルシーニョ監督に、ご自身から「辞めます」と伝えられたそうですね。
吉原 はい。それまでも怪我がちで、最後はもう左肩がまったく上がらない状態でした。さらに、実は自分では自覚していなかったのですが、ネルシーニョ監督から「膝を引きずって走ってないか?」と指摘されていたんですよね。そんな状況もあったので「この体でプロとして続けるのはしんどいな」と思って、自分から伝えに行きました。
――プロで14年、J1、J2通算162試合出場という経験値からも、指導者としての選択肢も大いにあったと思います。サッカー関係の仕事を選ばなかった理由とは?
吉原 正直、サッカーにしがみついて生きていったら、このままの延長線上でしかないなと思ったからです。であれば、まったく違う業界で自分を磨けば、また別の扉も広がるだろうし、引き出しも増えるだろうなと。それに、今の自分が指導者になったところで、教えられるのは“サッカー”だけ。でも、指導者として一番大事なところって、“人間”の部分だと思うんですよね。それを本当の意味で伝えるためには、自分が実際に経験した『生』の深みがなければ説得力がないですから。そういった意味でも、一度サッカー界から完全に離れて、人間として一からやり直してみようと。その延長線上で、またサッカーに携われるのであれば、それはそれでいいのかなと。
――あえてサッカーと距離を置いたと?
吉原 はい。言葉を選ばずに一言でいうと、捨てました。じゃないと戻ってしまうから。例えば、営業で上手くいかなくて心が折れそうな時に「やっぱ俺、サッカーしかねぇのかな」と思った時もありましたし、「また戻ろうかな」と思ってしまった時もありました。でも、そこで戻らなかった結果、今がある。なので、「捨ててよかった」というのはサッカーに失礼かもしれないですが、サッカーは変わらず大好きなので、いずれ違った形で戻るということだけは決めていました。そのためにも、離れたことで俯瞰して見られたのはよかった。冷静にサッカー業界で何が起こっているのかをみられるという意味でも、僕は、一度は離れるべきなんじゃないかと思いますし、離れて正解だったなと思えています。
実際、今は違った形でサッカーと携わっていて、古巣のフロンターレのOB会を立ち上げたり、日本経済大学女子サッカー部のスポンサーになったり、そういう第三者的な形で、ちょっとサポートしながらいろいろな助言をしていくという携わり方が、今はすごくいいなと感じています。やはり、“サッカー”でお給料をもらうとなると、それで生きていかなければいけなくなるので、どうしても“サッカー”にとらわれてしまって、重くなっていくんですよ。僕は、社会では我慢できても、もうサッカーで嫌な気分になりたくない。現役時代、たくさん嫌な思いを経験しましたから(笑)
※後編につづく(後編は3月21日公開予定)
【吉原慎也プロフィールル】
グローバル・エージェンシー・コーポレーション株式会社 代表取締役・CEO
茨城県日立市出身 1978年生まれ
高校卒業後、横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)に入団し、アルビレックス新潟在籍時にプロデビュー。川崎フロンターレや東京ヴェルディのJ1昇格に貢献した守護神。14年間の現役生活ではJ1、J2通算162試合に出場したが、キャリア後半は怪我に苦しみ2010年に引退を決断。
引退後は建設会社に就職し、並行して輸入会社を設立。その会社を独立させ現在に至る。経営者としての日々を送る一方で、長く所属した川崎フロンターレのOB会設立や、日本経済大学女子サッカー部のスポンサーとしての支援、さらには地域の育成年代へのサッカー指導を行っている。