若きボブ・ディランを描いた映画『名もなき者』を見た市川紗椰。ボブへの印象は「はっきり言って、"ソフトクズ"」

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2025年05月16日 06:50  週プレNEWS

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1960年代のニューヨーク、楽しそうだけどなじめなそう

『週刊プレイボーイ』で連載中の「ライクの森」。人気モデルの市川紗椰(さや)が、自身の特殊なマニアライフを綴るコラムだ。今回は、映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』について語る。

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映画の鉄板ジャンルになりつつある、ミュージシャンのバイオピック(伝記映画)。最近では、若きボブ・ディランを描いた『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』がやっぱり気になりました。私の人生初ライブは、小学生の頃に父と行ったボブ・ディラン。中高生になるとかなり聴き込み、大人になってからも何度かライブに足を運んでます(中にはハマらなかったアルバムもたくさんあるけど)。

逸話や伝説にもそこそこ触れてきたつもりだけど、彼の素顔は今もわかりません。昔からインタビューで嘘をつきまくるし、けむに巻くような話し方をするし、内面や過去や本音は絶対語らない。あえて自身の実像と虚像の境界を曖昧にして「ボブ・ディラン」というペルソナをつくってきた印象です。

そんな彼がアコギ片手にニューヨークに降り立ち、フォークリバイバルのニュースターになった後、ロックに転向していく流れを描いたのが今回の映画。1961年からの4、5年の話だけど、ボブにとっては大きな転換期。社会では、キューバ危機や公民権運動、JFK暗殺も起こった激動の時代。20代前半のボブはどう思ったのか。どんな思いで「裏切り」とされていたエレキギターを取り入れたのか?

結果、映画を見てもわからない。今回の映画は、なんとディランの内面を描かないアプローチ。彼の感情や、何を考えているのかはわかりません。それでも、とても面白い! ボブを中心に据えつつも、彼に振り回される恋人たちや、ボブの才能に希望を見いだすフォーク界の面々など、周りの人たちの視点で物語が進みます。

ボブは影響されやすく、新しいものを吸収していくスタンスはすごい。しかし、全編を通してダメ男。気まぐれでしたたかで、みんなに迷惑かけまくり。はっきり言って、"ソフトクズ"。彼を神格化する映画ではない。

ただ、今回思ったのは、彼のしたたかさとトリックスターのような側面が、すごさの秘密かもしれないということです。恋人の影響で公民権運動にさらっと触れて書いた名曲『風に吹かれて』が、アメリカ全土に響いたのは、ボブという器が見えにくいからなのかも。新しいものをしれーっと吸収し、さらーっとアウトプット。ロックに文学と社会性を交ぜたのも彼の功績ですが、そこにはフォークのみんなの影響もあったわけだし。

ボブのエレキ化の流れがフォーク陣営の目線から語られるのも新鮮。結果、フォーク畑のみんなに感情移入してしまい、クライマックスでは「お願いボブ! アコギを持って!!」と叫びたくなりました。私的には、本作の"ヒロイン"はピート・シーガー。フォークのレジェンドで最初期ボブのメンターですが、変わりゆくボブをずっと悲しそうな顔で見つめてて、気づいたら私は「ボブ、ピートを傷つけないで」と祈ってました。

ちなみにピート・シーガーが書いた『花はどこへ行った』は誰もが知っている国民的反戦ソングです。ボブが一番憧れたウディ・ガスリーはアメリカでは教科書レベルの歌手で、『この国は君の国』は音楽の授業の定番。オバマ元米大統領の就任式でも大合唱されましたが、私も無意識にハモリまで完璧に歌えました。

●市川紗椰
1987年2月14日生まれ。米デトロイト育ち。父はアメリカ人、母は日本人。モデルとして活動するほか、テレビやラジオにも出演。著書『鉄道について話した。』が好評発売中。映画ではバックバンドなどの楽器までも忠実に再現されていて感激した。公式Instagram【@sayaichikawa.official】

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