【池波志乃】夫・中尾彬さんの"最期の瞬間”を明かす「中尾さんの代わりはいない」亡くなって1年 想いを語る

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2025年05月18日 05:06  TBS NEWS DIG

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俳優としてシリアスな役から、コミカルな役まで巧みに演じ分けた中尾彬さん。2024年5月16日に心不全のため、81歳でこの世を去りました。

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47年間連れ添った妻・池波志乃さん(70)が、現在の心境や夫婦生活などを、2人の思い出の地である『上野精養軒本店』で語ってくれました。

生涯現役を貫き、俳優として活躍し続けた中尾彬さんが亡くなって1年。現在の心境について池波さんは…

 



■池波さん:
「“もう”とか、“あっという間”とかってあるんですけど、あまり実感がなくて。亡くなったばっかりの時はしっかりしているつもりだったんですけど、いろいろ抜けているところがいっぱいあって記憶の中に。遺言で、お葬式とかいろんなことを表立ってやるなと言われていたので、それでもちゃんとやらなきゃいけないことはやらなきゃいけないので。」

■池波さん:
「一斉にハガキを出すっていうお葬式じゃないので、個々でやって、そうすると皆さん個人的にお手紙を下さる。大変なんだけれども救われた感じですね。独りになっちゃった感覚より、お付き合いが増えた感覚の方が多くて、ずっといつも彬と関わっている感じ。」

■池波さん:
「しょげて、メソメソして仏壇とかお墓の前にいる感じじゃなく、みんなと中尾さんの話をして、いつもいるみたいな、そばにいるみたいな感じがしているので。一言じゃ言えないんですよ、感覚が。ずっと会話をしている、ずっと話題にのぼっている。中尾さんの知らない面までいろんな話をして身近になっているんですよね。一周忌っていうことがピンと来ていないですね。」

中尾さんと池波さんは1978年に結婚。その後、おしどり夫婦としてプライベートのみならず、イベントに2人で出演することもありました。池波さんは今でも中尾さんを感じることがあるそうで…

 



■池波さん:
「ずっといる感じがしているんですよ。お墓に行っても、ずっとここにいないよなと思っていて…え!?どこにいるのって、ある日思ったんですよ。どこでも好きなところに行けているんだな。だから今、もしかしたら旅行に行っているかもしれないし、絵を描きにイタリアに行っているかもしれないし、どこかに瞬時にして移動できるからどっかご飯食べに行くと言って、いつも行っているところだったら一緒に行っているし。」

■池波さん:
「お墓なんか行くと、(中尾さん)自分がデザインしたお墓に入ったものですから、人がお墓参りに行きたいと言って行くと、一緒に見て“どうこのお墓?”みたいに言っているような感じ。あなた、中にいなきゃダメでしょみたいな感じで、一緒に自慢しているような。帰ると言ったら一緒に帰ってきたみたいな。その後、一回納まったら“じゃあどっか行ってくるわ”と飲みに行っているみたいに感じていて、そうしたらすごく気が楽になって。」

芸能界きってのおしどり夫婦だったお二人。過去に「プラチナ夫婦アワード」や「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー」などを受賞。

 



■池波さん:
「すごく仲良しでした。食べるものも、趣味とか、ものすごく合っていて。一番良く知っていて一番合うところがいっぱいあって…だからこそ芝居の話ができたり食べ物の話ができたり。そういうところでは夫婦じゃなくて、もしかしたら友達だったんですよね。」

2人の関係を「友達」と表現した池波さんにとって、中尾さんはどんな存在だったのでしょうか。

 



■池波さん:
「いるのが当たり前で、47年もいるとその形ができちゃっているので。私にとって友達でもあり、同士でもあり、夫婦でもあり、親みたいでもあり。多分何でもないです。中尾さんでしかないって言うんですか…だから代わりはいないし。」

 



そして、47年間 連れ添った中尾さんとの一番の思い出を聞いてみると…

 



■池波さん:
「この10年間の旅行ですかね。仕事より先に旅行の予定を入れるようにしていたんで。そうしますって宣言して、事務所に。だから2022年、2023年はひと月に1回はどこかに行っていたという感じです。それまでの思い出のところもあるし、初めて行ってみるところもあるし、今まで行けなかったけど、行ってみようかっていうところも全部含め2人で相談して。」

 




■池波さん:
「最後だと思っていなかったけど、(二人で)相談した通りに九州行ったり、北海道行ったり。沖縄はお家を処分したけど、沖縄にも友達がいっぱいいる。それをひっくるめて全部、最後の落ち着いて行った、両方の思い出に残っているところを回ったことが思い出。」

実は今回、池波さんにお話を伺った「上野精養軒本店」も2人にとって思い出深い場所なんだそうです。

 



■池波さん:
「中尾さんも私と結婚する前から、昔からの老舗なので、ご飯を食べに来たりしていた。小さい時から。ここにきたらハヤシライスとクリームソーダ。」

■池波さん:
「親戚だけで、家族だけで送った後、ここでみんなでお食事してもらおうと思って、私がご招待したんですけど、そこでコースでお料理が出てたんですけど、そこには入っていないハヤシライスを中尾さんが好きだということで精養軒さんが入れてくださったんです、ひと口。」

 



そんな思い出深いハヤシライスとクリームソーダ。そのお味は?

■池波さん:
「いつもの味です。中尾さんはとりあえず来て、メニューも見ないでハヤシライス。クリームソーダ。中尾さんが、これを飲んでいるのが可愛かったです。これは本当に懐かしいです。」

 



■池波さん:
「亡くなる1週間ぐらい前かな。(クリームソーダは)さすがに、お持ち帰りができないので、このカップをアマゾンで買って、アイスクリームも買ってきて。(亡くなる)1週間前に作ってあげたんです。“クリームソーダ飲む?”って。全部揃えたからと言って作ってあげたら、めちゃくちゃ喜んでちゃんと全部飲みましたけど。いなくなってから、それはとても悲しすぎて、自分で使えなくてあげちゃいました、人に。」

■スタッフ:
最後に一緒に飲んだ?

■池波さん:
「一緒に飲めました、家で。私が作ったやつですけど。一番よく覚えていると言ったらそれですかね。クリームソーダと中尾彬。」   


長年寄り添った、妻・池波志乃さんだけが知る中尾さんの「最期」や、約20年前から始めた「終活」について。そして、今だから言える中尾さんへの想いを明かしてくれました。

 



■池波さん:
「実は長年いろいろ病気をしたり、治ったり、普通にしたりというのを、この10年ぐらい続けていた…本人のポリシーで“絶対に言うな。元気じゃなかったらそのままフェードアウトすればいいんだ”という感覚で、入院して手術して、リハビリして治ってよし!って言って何事もなかったように仕事に戻って。」

■池波さん:
「亡くなったのが5月だったので、その年の1月頃にちょっと体調が悪くなった時に、81歳になっていた。ちゃんと検査入院もしたんですよ。今までのも全部検査してその時に“余計なことはしないでくれ。もう体にメスは入れない”っていうことを本人がちゃんとお願いしてあって。」

■池波さん:
「急にパタパタって弱ってしまって。亡くなった月のアタマでコマーシャル撮ったぐらいですから、一緒に。終わってから“よし、これで後はちょっといいよな、休んでも。もうゆっくり遊んで、個展ぐらい開いて悠々自適にのんびりするわ”って言っていたんですよ。そのぐらいだったのに、私としてはそこからがあっという間で、そこからが突然だったんですね。」

2人でいつもと変わらない日常を過ごす中、別れが訪れたのでした。

 



■池波さん:
「本当に動けなくなったのは、最後の1日2日だけなんですよ。普通のまんまだったんですよ。何となくウトウトしているから“ちょっと寝るわ”みたいな感じでずっと寝ていたら、夜遅くに見ていたら息が無呼吸状態。“ちゃんと息しなきゃダメよ、なんか無呼吸になっているよ”って私がしゃべったのを覚えている。」

■池波さん:
「そうしたら、あれ?と思ったんですよ、違うな。そうしたら自然と息が止まったんですよ。そのまんま、大きく息したらそのまんま。だから寝たまんまなのかなみたいな。だから、急だったし苦しんでいないしっていう言葉にはなるんですけどね。覚悟ができてた、急って変な言い方ですけど、これ以上はやりようがなかったなというか、本人の想い通りにいったので現役の中尾彬のまんま…ふわっと自然とフェードアウトするんだって言ってた通りにしてあげないといけないので、いなくなったらすぐにそれを言われていたのをしっかり覚えていたので」

長年書き溜めた絵画や、中尾さんのトレードマークである "ねじねじ” 、池波さんがプレゼントでもらったメガネなど多くの遺品については…

 



■池波さん:
「即座に始めていたのでほぼ終わっています。徐々に減らしていたから結局、最後まで必要なものしか残っていなかったんですね。あっという間にキレイになくなっちゃいました。」

中尾さんが愛用したおよそ400本のねじねじの半分は友人に渡したり、処分するなど、遺品整理は「ほぼ終わっていた」と話す池波さん。その理由は、2人がおよそ20年前からあることを始めていたからです。それは…

 



■池波さん:
「終活を10年もやっていたので終活していたおかげで…きっかけは2人で病気したことですね。ほぼ入れ違いみたいに倒れて。」

2006年に池波さんが「フィッシャー症候群」。翌年、中尾さんが「急性肺炎」で倒れてしまったのです。これをきっかけに終活を始めることを2人で決めたといいます。

 



■池波さん:
「コンパクトにしておかないとこれから大変だよねっていう話になったんですよ。」

時間をかけて行ってきた終活。今は、どのように思っているのでしょうか。
 



■池波さん:
「終活していたおかげで遺言書も書いてましたし、最後はこうしてくれとか、これはやらないでくれとかっていうのを元気なうちじゃないと言えないじゃないですか。それがあったからちゃんと心に留めておけていたし、想うように送ってあげられたというのが一番ですね。」

最愛の夫・中尾さんを見送ったいま池波さんは新たに始めたことがあるそうです。

 



■池波さん:
「お料理が好きだからとか、自分で独学で勉強して、偏らないようにやっていたけど、ちゃんとできていないぞと思って、通信教育で食育インストラクターと野菜コーディネータかな。そういうのを立て続けに資料取り寄せて解答だして、資格を取りました。」

■池波さん:
「後は中尾さんと一緒に行っていたんですけど、美術関係の展覧会に行くとかそういうのも頻繁に復活して。一つずつ新しい日常を自分で作り始めています。」

中尾さんが亡くなって1年。47年ともに歩んできた中尾さんに今、伝えたいことは…。

 


■池波さん:
「ずっと毎日伝えているから大丈夫です。結構話しかけているので、普通に。1人で家で食べる時はここに写真があるので。仏壇の脇みたいに…リビングにいるので。ちょっと独り言女になっているかもしれませんね。だから普通に、通常通りにしています。言いたいことはみんな言っている。」

■池波さん:
「よく"生まれ変わったらまた中尾さんと結婚しますか?”って。生まれ変わるなら男がいいし。男だったら友達になりたいですねとは思う。男に今度は生まれて、友達になりたいですね。多分いい友達だと思います。」

 




【担当:芸能情報ステーション】

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