【前編】百恵さんのメークも手掛けた“偉大なる母”に導かれ――「現代の名工」に選出されたネイリスト・木下美穂里さんより続く
昨年秋、卓越した技能者を厚生労働大臣が表彰する「現代の名工」に選出された木下美穂里さん(62)。60年近い同賞の歴史のなかで、ネイリストとして初の快挙だった。
美穂里さんの母親であり、また師匠でもある存在が、木下ユミさん(90)。日本のメークアップアーティストの草分けとして活躍し、デビュー前の山口百恵さんら多くのスターの美容指導にも当たった、まさしく“美のカリスマ”だ。
美穂里さんは、高校生のころにユミさんの“アシスタント”として、美容業界でのキャリアをスタートさせた。
「昭和風の『技術は見て盗め』というスタイル。でも私も、いったん現場に入ったら、バイトといえども、相手をきれいにしてあげたい、心地よくしてあげたいという気持ちで動いていました。誰かのために身を粉にして働く姿は、母から最初に学んだことですし、今でも大切にしています」
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やがて、ユミさんのスクールでメークやネイルを指導したり、サロンでネイルの担当をするように。徐々に美穂里さん個人の仕事も増えていった。
そんな彼女の大きなターニングポイントになったのが、あるCM撮影での仕事だったという――。
「私、できます! やらせてください!」
その電話を受けたのは、美穂里さんが23歳のとき。
世界的ブランドのシャンプーのCM制作で、ヨーロッパで普及し始めたばかりのガラスのような付け爪を用いて撮影したい、という広告代理店からの依頼だった。
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「聞けば、すでにスウェーデンからモデル女性も来日しているというじゃないですか。
ただ、あまりに最先端のネイルの技法であるため、うちのマネージャーもできないだろうと、最初は断ろうとしていたんです。でも、実は私、それも独学で習得していたんです。ですから電話を代わり『やります!』と即答して、すぐに北海道ロケに飛びました」
これが、日本で初めてアクリル樹脂の付け爪を用いたコマーシャルとなり、放送と同時に、美穂里さんの施したモデルの指先の美しさが話題となる。
「いつも思っていました。CMなどではせっかく指先がアップになるのに、なんで、もっと爪をきれいに見せないんだろうって。顔はきれいにメークが施されていても、爪の先はボロボロだったりで。
そう思うともう黙っていられなくて(笑)。ことあるごとに『私にやらせてもらえたら、もっときれいにできるのに』と公言していたら、X JAPANのYOSHIKIさんやリカちゃんのネイルなど、仕事の幅も広がっていきました」
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こうして、若い女性を中心に日本でもネイルへの関心が高まっていくなか、’85年、日本ネイリスト協会の立ち上げに関わり、美穂里さんは初代教育委員に就任。
もちろん、同協会の創設メンバーの一人は母親のユミさん。五輪のシンクロナイズドスイミング(現・アーティスティックスイミング)チームのビューティプロデューサーに就任するなど、さまざまな分野でユミさんの華々しい活動は続いており、やがて、母娘で美の伝道者としてマスコミに登場するようにもなる。
さて、JNAの委員となった美穂里さんに、やがて協会の上司から一つのミッションが課せられた。
「ネイルのさらなる普及に当たり、用語の見直しが課題でした。特に立体造形物を作る技法の“ファンタジックネイルアート”は、アメリカの用語そのままでは日本人が思い描くイメージとの間に大きなギャップがあって、『もっとピッタリくるネーミングを探しなさい』と命じられるんです。しかも期限は1週間!」
しかし、なかなかいいアイデアが浮かばない。
「気分転換というよりは現実逃避で、オープン以来通い続けていた東京ディズニーランドへ行きました(笑)。そこで大好きなマイケル・ジャクソンの『キャプテンEO』の行列に並んでいると、その壁に“3Dシアター”の文字が。それを見た瞬間、これだ! とひらめいたんです」
こうして美穂里さんは“3Dネイルアート”の名付け親となる。この後、私生活では28歳で結婚して、30歳で長男を出産。
「とにかく子育てが楽しくて。仕事と育児の両立に夢中でした。そんななか、息子が2歳のときに私の体に生死に関わる病気が見つかり、半年間の入院生活を送ることになりました」
両親の十四光ではないが、ずっと順風満帆な人生を送ってきた美穂里さんにとっては、初めてといえる挫折体験だった。
「このとき、父母、義理の両親はもちろん、海外にいた妹も帰国してくれたり、洗濯機ひとつ回せなかった夫が家事をやってくれたり。
また、仕事でも仲間や生徒さんがフォローしてくれたことで、自分自身をじっくり見つめ直す時間ができた。結果的に、この病気の経験を通じて、ネイルのお仕事は私の天職だと改めて確信しました」
復帰後、美穂里さんは、自身の闘病体験をもとに新たなジャンルに踏み出した。
「治療の影響で、爪がボロボロになったんです。でも、病気でなくても水仕事やスポーツなどで爪を酷使せざるをえない方もいらっしゃいます。そんなときでも爪をより美しく見せるための技術を考案していきました」
その後、木下ユミの冠を掲げ、次世代育成のため日本最大級のビューティコンテストを立ち上げ、20年にわたりプロデュースする。
さらに木下ユミ・メークアップ&ネイルアトリエの校長に就任するなど、ネイル業界の最前線での活躍を続けるなか突然訪れたのが、2020年からのコロナ禍だった。
「ネイルのお仕事は“究極の接客業”でもあります。お客さまとネイリストのアームの距離は、わずか45cm。3密が禁じられていた期間は、本当に想像以上の痛手となりました。
いちばん残念だったのは、あの時期に『ネイルをやりたい』という新卒の人が減ってしまったことです」
その間も、美穂里さんたちは自宅でもネイルを楽しめるキットを販売するなど奔走、徐々に若者たちも業界に戻ってきて、ようやくコロナ禍を乗り越えたところへ、 ’24年11月に「現代の名工」選出となったのだった。
「かつては、ネイルに関しても日本はアメリカなど海外から学ぶばかりでした。しかし今、日本のほうが技術的にも先を行くようになっています。なんといっても、日本人らしい繊細さ、器用さ、そして勤勉さがありますから」
その道のりを最初に切り開いた先代のユミさんは、今はスクールなどの一線からは身を引いている。
「昔は現場でもダメ出しばかりでよくケンカもした母でしたが、最近は、私のことを褒めるんです。私自身もキャリアを積み重ねてきて、最近では叱ってくれるのは母だけだったのに。褒められてばかりだと、なんだかうれしいより寂しくて……」
母の指示のもと駆け回っていた10代のころを思い出したのか、ずっと明るく快活な口ぶりだった美穂里さんの目に涙が浮かぶ。
「今でも思い出すんです。母からの『本当に、それでいいの?』という言葉。たとえ目元のメークの線一本でも、けっして妥協してはいけないんだと。
これからも、美しいネイルやメークによって、誰かの人生をより輝かせるという、私と母の仕事の基本スタンスは変わりません」
ネイリストとして、新たな分野での挑戦も行っている。
「ここ10年で、介護の分野において私たちの出番が増えていると感じます。たとえば、ご高齢になってからのトラブルのある爪などの対処では、ネイルの技術を役立てることができます。すでに医療界との勉強会なども始まっていて、うちの学校の講習にドクターが参加することも」
美容業界に新風を吹き込むという、母娘2代でのチャレンジはいまなお続いているのだ。
「トレンド制作のメンバーに外部から20代の男性を起用したのも、私のアイデア。一緒に仕事をすれば刺激になるし、なにより『楽しそうじゃん』と思ったんです」
母とはまた違うアプローチで、“チーム・ミホリ”を率いている。
「若いころは、母を意識するあまり、人より頑張らなきゃと200%を目指していましたが、それでは疲れますし、私のキャラじゃない。それならば隣の人と100ずつで、2人で200%にすればいいでしょ、と考えるようにしています」
そして、母娘にはもう一つ、ある夢が。
「今、母は自伝を執筆中です。とにかく若いころから進取の精神の人で、90になるのにパソコンも得意なんです。ですから、ゴーストライターも立てていません(笑)。
まさに美と格闘し続けた波瀾万丈の人生でしたから、執筆に当たっての2人の合言葉は『目指せ、朝ドラ原作!』」
ユミさんの自伝完成も楽しみだし、まもなくJNAから秋冬のネイルトレンドも発表される。美穂里さんは、そこにどんな前向きな思いを込めるのだろう。
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