壮絶いじめに苦しんだ少年時代、酒浸りの生活、家庭崩壊…中年を過ぎてブレイクした芸人・チャンス大城(50歳)が振り返る半生

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2025年06月10日 16:31  日刊SPA!

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―[インタビュー連載『エッジな人々』]―
 地下よりも深い……地獄から這い上がった、いや、芸能界を成り上がったと称しても過言ではないだろう。語るエピソードも、芸風も、その衝撃は視聴者を鷲掴みに、笑撃へと昇華する。芸歴35年、中年を過ぎてブレイクを果たした男が旧知の先輩に、その本心を語った──。

◆「サウザー」のあだ名を持ついじめられっ子

 ピン芸日本一決定戦『R-1グランプリ2025』に歴代最年長の50歳で決勝進出、『水曜日のダウンタウン』や『ラヴィット!』に出演すれば、その強烈なキャラクターで話題をさらっていく──。

 芸歴35年目にして地下芸人から這い上がってきた男・チャンス大城。彼を形づくった、壮絶すぎる半生とは? 大城と旧知の仲であるデザイナーのMUNE氏がつまびらかにする。

──大城君とはずいぶん昔から付き合いがあって、僕が主催するお笑いライブにも出演してくれたりしたよね。でも、こうやってインタビューするのは新鮮。幼少期はクリスチャンだったってことは知っているけど。

大城: アントゥニウスっていうクリスチャン・ネームがありましたね。日曜のミサにも出てて、聖歌隊の中に一人だけとんでもないダミ声がいると思ったら、父親で。結局、聖歌隊メンバーから干されちゃったみたいですけど(笑)

──クリスチャンってことは意外とお坊ちゃまだった?

大城: いや、全然そんなことないです。父親はブラジャーの金具工場で働いていて、特に裕福ではありませんでした。実家がある尼崎は治安も良くなかったし。僕、心臓が右についているんですよ。だから当時のあだ名が『北斗の拳』に出てくる「サウザー」。

 勝手に強いと思われて、噂を聞きつけた隣町の番長が喧嘩を売りにきたくらい、やんちゃな地域でした。

◆いじめに苦しむ少年が「お笑いやろう」と決意するまで

──じゃあ大城くんも尼崎時代はわんぱくだったんだ。

大城: それが、小学生の頃はアトピー性皮膚炎がひどくて包帯を巻いて登校してたんで、ミイラマンって呼ばれて、ずっといじめられっ子だったんです。

 休み時間になると掃除用ロッカーに閉じ込められて、いじめっ子が「ミイラが4000年の眠りから目覚める!」ってかけ声をかけたら、そこから飛び出さなくてはならず……そのまま僕が当時好きだった女の子にも触ってこいって命令されて、そんで、いざ触ったら「ギャ!!」って悲鳴を上げられて。

 その時はもう、屋上から飛び降りてやろうかって思いました。

──でも、その時に芸人を目指すきっかけがあったんだよね。

大城: そう。中学に上がってからも、強制的に盗みをやらされたり、上半身裸にブルマの格好で女子が着替えている教室に放り込まれたり、毎日しんどかった。それを親が察したのか、「大阪のうめだ花月を観に行こう」って誘ってきたんです。
 
 渋々ついてったら、間寛平さんとか池乃めだかさんのネタにむちゃくちゃ笑ってて、「こんな状態なのに、俺、笑ってる」ってびっくりしました。

 で、次の日の朝、湯船に浸かっていたら、急に窓ガラスから太陽の光が入ってきて、シューッと湯けむりが上がった。それを見た時に、「あ、俺もお笑いやろう」って決めたんです。

◆周囲が騒然!? 元相方・和田英雄が送った「エール」

──芸歴でいうとかなり早くて、確か中学時代にNSCに入学したらしいね。

大城: はい。でもそこは中3の時に中退しちゃいました。その後、一応高校受験はしたんだけど、僕、周りで3人しか落ちない高校に落ちちゃったんですよ。

 しかも、僕以外の不合格者2人はシンナー依存症で(笑)。結局、定時制高校に通って高卒でもう一回NSCに入り直しました。最初が8期生で、この時が13期生。同期には野性爆弾や次長課長もいましたね。

──それからの下積みが長かった。なにせ30年以上だもんね。

大城: NSC卒業後も、レギュラー出演のオーディションに落ちまくって、もう芸人らしい活動はしていませんでしたね。

 高校の同級生で、お笑いのコンビを組んでいた和田(英雄)と一緒にモップ工場で働いてた時期もあるんですけど、ある日、その工場の朝礼に参加してたら、和田が工場の後ろにある高速道路を「俺はおもろいぞーー!!」って言いながら走り去っていったんですよ。従業員はみんな騒然。

 その後、「あれはなんやったん?」って聞いたら「お前、東京行け」と。和田なりの僕へのエールだったんでしょうね。それで、一念発起して東京に出てきました。23歳の時です。

◆酒浸りの生活の末、ついに家庭崩壊

──その頃、酒癖が相当悪かったよね。俺も「コノヤロウ」とか言われたもん(笑)

大城: 本当にご迷惑をかけしました……。結婚はしてたけど、日の目を見ない日がずっと続いてたから、とにかく感覚を麻痺させたくて酒浸りの生活になったのかな。

 平日の真っ昼間から酒飲んでタバコ吸って「売れてぇな」ってぼやくのが芸風というか。R−1グランプリも大体2回戦落ちで、真面目にやっている連中をバカにしていたんですけど、「このままでいいのか」って心の底では思っていたのかもわかりません。

──そんな生活もあって、奥さんが出てっちゃったんだっけ?

大城: そう。奥さんは働いていたから、当時僕が息子を保育園に送る係だったんです。酒飲んで朝方に帰ってきて、うんこ漏らして泣きじゃくっている子どもを慌てて保育園に送るなんてことも何度かありました。

◆千原ジュニアとの出会いで運命が一転

──でも、長年見てきてる俺としては今になってこんなに売れてるのが驚き。

大城: 僕ももう売れないだろって諦めてたんです。だけど、’17年に、千原ジュニアさんの『チハラトーク』に呼んでもらって、その時に山に埋められた話をしたらかなりウケたんですよ。その後、千原ジュニアさんの紹介で『人志松本のすべらない話』にも出させてもらって勢いに乗り……。

──本当に断酒できてるの?

大城:一回も飲んでないです。ただ、吉本に入っても2年間は仕事がなかったんですよ。そしたら、空からなんか光が降りてきた。きっと神様に見られてんだと思って「仕事ください! 明日からゴミ拾いしますから!」って言ったら、「自分の仕事のためにやるな。無償でやれ」って声が返ってきた。

 そこから、ホームセンターでトングとちり取り買って吸い殻集めをするようになったら、千原せいじさんが『さんまのお笑い向上委員会』に呼んでくれました。

──それで少しずつテレビの露出が増えていったんだ。でもその時、宗教も8つくらいかけ持ちしていたよね。一体、どの神様からのお告げだったのか……。

大城:’07年のテレビ企画ではイスラム教に改宗しましたしね。

◆本当の「地下芸人」とは?

──でも、こうやってバラエティに出たりしつつも、やってることは昔から変わらないよね。

大城:そうですね。芸は変わっていないですね。なんなら、大衆の笑いのツボが僕ら地下芸人に寄ってきた感覚です。

──今はテレビに出てない芸人が地下芸人って呼ばれてるけど、本当の地下芸人は大城さんたちみたいな人たちだよね。「こいつら今までどうやって生きてたの?」みたいな。

大城:自称・芸人って感じでしたよね。ハコでもないところで勝手にやったり。今はYouTubeでネタの教材はたくさんあるんで、どんどんスマートでスベらないお笑いが増えているなと思いますね。

──地下芸人って本当に何やってるかわからない人が多いですもんね。でも、大城さんは他の芸人からすごくリスペクトされているのがわかるよ。この人は本当の地下から来たんだって。

大城:ほんまかな? 近頃は酒をやめたら売れると、地下芸人の間で断酒ブームになってはいますけどね(笑)

【CHANCE OSHIRO】
1975年、兵庫県尼崎市生まれ。14歳でNSC大阪校に入学するも中退し、19歳で再びNSCに入り13期生に。いくつかコンビを組んできたが、現在はピン芸人。吉本、大川興業と事務所を転々としフリーを経て’18年に吉本に復帰。『R‐1グランプリ2025』決勝進出

文/田中 慧(清談社) 撮影/武田敏将

―[インタビュー連載『エッジな人々』]―

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