連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第116話
今回のエチオピア訪問の目的は、「新しいウイルスを探索すること」。その研究の背景や、筆者がフィールドに出てウイルス探索に向き合うことになった理由について語る。
※(1)はこちらから
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■エチオピアを訪れたふたつの目的
2024年4月。今回の訪問にはふたつの目的があるが、それぞれに共通することがある。それはどちらも、「MERS」に関わることである。
MERSについては何度か紹介したことがあるが(50話、73話、102話)、MERSとは「中東呼吸器症候群(Middle East respiratory syndrome)」の略であり、MERSコロナウイルス(MERS-CoV)の感染によって引き起こされる病気である。
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名前の通り、MERSは、サウジアラビアなどの中東の国々で時折アウトブレイクが起きていて、それは主に、ラクダからヒトへの「スピルオーバー(異種間伝播)」によって引き起こされている。
――と、これが比較的よく知られている情報である。しかし、前年(2023年)の秋に、サウジアラビア・リヤドで世界保健機関(WHO)が開催した会議(73話)に参加したとき、この「中東系統」とは別に、北アフリカまたは東アフリカのラクダから、「アフリカ系統」ともいえる、まったく別系統のMERSウイルスが見つかっているということを知る。
そしてさらに面白いことに、この「アフリカ系統」のウイルスは、ラクダからしか見つかっておらず、ヒトでの感染例の報告がないというのだ。
これは科学的にとても面白い。「中東系統」も「アフリカ系統」も、どちらもMERSウイルスであることに変わりはない。どちらもラクダに自然感染している。
しかし、アラビア半島で流行している「中東系統」はヒトにスピルオーバーし、MERSのアウトブレイクを散発させているのに対し、「アフリカ系統」はそれができない、ということを示唆している。
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「中東系統」と「アフリカ系統」の違いはいったい何か? それを解き明かす鍵は、「アフリカ系統」のMERSウイルスにあるのではないか? ――これにアクセスする術を探るのが、今回の訪問の主たる目的である。
エチオピアは、高地である「ハイランド」と低地である「ローランド」に分けられ、その首都であるアディスアベバは前者に位置する。このプロジェクトでは、「ローランド」に広がるラクダを対象にした調査を行って、「アフリカ系統」のMERSウイルスを探してやろう、というものである。
そして、もうひとつの目的は、MERSウイルスの「起源」と考えられるウイルスの探索。それがもしかしたら、アフリカに生息するコウモリが保有するウイルスかもしれない、という論文が報告されている。
まだまだ未解明な仮説だらけの研究の話なので詳細はここでは伏せるが、ラボメンバーたちと考察を重ねて私たちは、「それはもしかしたら、エチオピアに生息するコウモリにあるのかもしれない」という仮説に至った。
せっかくの機会であるし、今回の訪問ではできれば、こちらのプロジェクトについてもなにかしらのアタリをつけたい、という願望もあった。
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■ある「ウイルスハンター」の記憶
この連載コラムでも何度か紹介したことがあるが、私の研究者としてのルーツは、エイズウイルスの分子ウイルス学にある。
実験室の中で遺伝子をいじって、ウイルスを細胞や実験動物に感染させて、ウイルスの遺伝子の機能を探る、という学問である。いわゆる、最新の設備で、最先端の研究手法を活用して進める研究である。
しかし、102話でも詳しく紹介したが、現在の私のラボは、それだけに留まらず、「感染症の現場」と「最先端のウイルス研究」をシームレスにつなぐことで、「ウイルスの『スピルオーバー』の原理」を包括的に理解する、ということを目指している(そしてそのような学問体系のことを「システムウイルス学」と呼んでいる。これは私のラボの名前でもある)。
これまで実験室の中だけで完結する研究に従事していた私にとって、このようにフィールドに飛び出して実施する研究は、ほとんど未知の世界であるといえる。
しかし面白いのは、大学院生として京都で分子ウイルス学の研究に従事していた頃、私が所属していた研究室の上のフロアには、H教授が主宰する研究室があった。この研究室では、教授やスタッフだけではなく、大学院生たちもフィールドに出かけていた。
ちなみに、63話に登場した、私が尊敬する先輩Fもこの研究室に所属していて、ウイルスハンティングのために、実際にアフリカ(コンゴ民主共和国)に訪れて研究活動をしていた。
H教授の研究室の目的は、「エイズウイルスの起源を探ること」。彼らは、アフリカのさまざまな国を訪れ、霊長類から採材し、新しいウイルスの探索を試みていた。そして彼らは実際に、マンドリルやドリルというサルたちから、新しいウイルスの同定に成功している。
当時、実験室の中で分子ウイルス学研究に従事していた私にとって、それは同じ「ウイルス学」であっても、私の従事する分野からはあまりにもかけ離れた遠い世界の研究のように感じていた。そんな冒険家みたいな研究もあるのか、と、当時の私は他人事として、彼らのアフリカでの武勇伝に耳を傾けていた。
――そんな私が、それから20年ばかりの時を経て、そのような研究分野にまさか自ら足を踏み入れることになるとは、である。
■ウイルス学と考古学の共通点
今回のエチオピア訪問のふたつの目的はどちらも、「新しいウイルスを探索すること」にある。これはちょっと考えてみると、「恐竜の化石を探すこと」に実はよく似ている。
また、ウイルスの進化や流行の軌跡を辿ることもやはり、化石を探し、そこから考えられる生物の進化の系譜を辿ることに似ている。
ウイルス学と考古学、どちらの学問にも共通するのは、「途中を埋めるピースが欠けていて、それを補填しながら学問が進んでいく」という点にある。
いまの定説が、新しいウイルス、あるいは、新しい恐竜の化石が見つかることで、まったく覆ることもある。そのような研究は、実験室の中だけの研究ではなし得ない。
それを理解するためには、実験室からフィールドに出る必要がある。そしてそこには、科学的医学的な重要さに加えて、「ロマン」がある。
それを感じたことこそが、私(のラボ)がフィールドに飛び出すことを決意した理由である。
※6月15日配信の(3)に続く
文・写真/佐藤 佳