母・千洋さんが語る田中希実のパリオリンピックに至るまでの揺れる心情 母としては「結果よりも......親バカです」

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2024年08月05日 17:10  webスポルティーバ

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母・千洋さんが語る田中希実 後編

 陸上女子1500mと5000mのパリオリンピック代表、田中希実(24歳/New Balance)は思うような走りができない時には、厳しい自己評価を下す一方、ネガティブな感情が一度吹っ切れると、とてつもない走りをしてみせる。よいときも、悪いときも、そうした心情の変化を受け止めてきたのが母親の千洋さんだ。

 とはいえ、母・千洋さんとてランナーであり、同じ人間。娘のネガティブな思考を受ける時は自身も疲弊することもあるが、そうした親子であり、チームの仲間であるから、成り立つコミュニケーションこそ、アスリート・田中希実の礎となっている。

前編:ランナーの母が語る家族だけに見せる田中希実の素顔

【田中の気持ちの受け皿として】

 田中希実はメンタルが走りに影響する選手の代表格だろう。

 昨年の世界陸上選手権ブダペスト大会が代表的なケースだった。田中は8月19日の1500m予選は1組6位で通過、4分04秒36はシーズンベストだった。しかし翌20日の準決勝は1組で最下位の12位、タイムも4分06秒71で決勝進出ラインとは開きがあった。だが23日に中2日で出場した5000m予選は、2組6位で14分37秒98で走り、廣中璃梨佳(23歳/JP日本郵政グループ)が持っていた日本記録を15秒も更新した。そして26日の5000m決勝は8位(14分58秒99)に入賞した。

 千洋さんもブダペストに滞在。毎朝、選手村のホテルで少しでも会話をするようにした。

「ブダペストの1500m前は最悪の精神状態でした。東京五輪で出した日本記録(3分59秒19)に近いタイムが出せなくて、ずっとモヤモヤがあったんです。4分1〜2秒はいつでも出せる練習ができている、と夫(健智コーチ)も言っていましたが、なかなか近づけなかったですね」

 田中は大きな試合になると記録が上がる選手だが、前年の世界陸上選手権オレゴンも、そしてブダペストでも1500mのタイムは自身の期待以下に終わった。

「それが1500mの準決勝が終わって、急に吹っ切れたんです。夫がもう大丈夫だから一緒に食事をしてもいいと言ってくれて、ご飯も一緒に食べました。

 夫は、5000m予選は走れると思う、とも話していました。1500mの準決勝までは日に日に表情が沈んでいきましたが、5000m予選の朝は大丈夫だと思いました。表情が和らいでいましたし、イライラしているときの顔とは違いました」

 1500m前の田中は「何をやっても虚(むな)しい」という言葉も発していた。田中の後ろ向きな態度に対し、チームの解散を宣言するなど健智コーチも毅然として対処した。すると、1500mの準決勝が終わって田中がチームのありがたさを再認識し、メンバーに対して感謝の気持ちを持つことができた。表情が一変し、走りもいきなり良くなったのである。

 しかし思うような走りができないと、メンタルが悪い方向に向かう部分は、今も出てしまう。今年のダイヤモンドリーグ(DL)ドーハがそうだったし、6月末の日本選手権後にも田中は、家族や親しい人との食事会で辛らつな言葉を周囲に発してしまった。

 日本選手権は3種目に出場し、最初の1500mに優勝してパリ五輪代表を内定させた。記録も4分01秒44と、東京五輪準決勝、決勝に次いで自己サード記録をマークした。5000mにも優勝して3年連続2冠を達成。予定どおりの結果を収めたが、最後の800mは7位と想定以下の走りをしてしまった。

 千洋さんは、その日の夜のことを次のように明かした。

「日本記録を狙うペースになると予想して、自分は付いていくだけでいいと希実は考えていたんです。それがスローになって、自分が前に出るしかなくなりました。それは仕方ないことでしたが、最後の直線で脚が止まってしまった。『あれで止まるようでは(1500mと5000mでも)世界と戦えない』とか、マイナスのことしか言わなかったんです。『走れなかったら希実じゃない』とか、『誰も希実の孤独な気持ちをわかってくれない』とか」

 夜中まで田中の後ろ向きな言葉を聞かされた千洋さんは、これまで以上に疲れてしまった。「一睡もすることができず、パリに応援に行くのを見送ることさえ考えました」とその夜の苦しい気持ちを打ち明ける。

 しかし翌朝の千洋さんたちの疲弊した様子を見た田中が、伊丹空港に着いた後に千洋さん、健智コーチ、同行したマネジャーに謝罪をした。

「『楽しかった日本選手権が終わってしまい、パリ五輪に向かう不安を感じて(みんなにきつく)当たってしまった』と謝ってくれました。『このチームでこれからもやっていきたい』と。私は朝から突き放して会話をしていませんでしたが、この言葉を聞いてまた許してしまいました。希実の気持ちも良い方向に向かい始めたと思います」

【心穏やかにパリ五輪に出発した田中】

 日本選手権後に千洋さんは、「夜中までしつこく、うるさく自己主張されて支える気力がなくなった」と、自身のSNSに書き込んでいる。おそらく田中が千洋さんに愚痴を言うのと同じで、千洋さんも周囲の人たちに愚痴を聞いてもらうことで手がかかる長女と向き合うことができるのだろう。

 千洋さんが(もちろん健智コーチも)、田中を見放すようなことはない。その理由を「ひとりにしたら怖いですから」と冗談めかして答えてくれたが、愛娘を見放さないことに理由など要らないのは当然だ。

 パリ五輪で戦うための準備は整った。日本選手権後に出場したDLモナコ大会の後は北イタリアで高地練習を積み、パリで千洋さん、妹の希空さんとも合流して数日を過ごした。

「今回は穏やかな気持ちで日本を7月8日に出発しました。これまでお世話になった方たちから、希実のイラストを描いた旗に寄せ書きをしてもらうことができたのがよかったです。ふたりのオリンピアン、市川良子さんと小林祐梨子さんからもお言葉をいただき感謝しています。熊本陸協の方々が小野市まで激励に来てくださったり、兵庫県選手権で壮行会をしていただいたり、希実の10年来の"心友"の方にも1年以上ぶりに会うことができたり。最高の出発前になりました」

 家族に対しては鬱陶しい性格になってしまうこともあるが、田中は周囲の人たちに愛されている。だから、ここまで強くなれた。

「せっかくここまで頑張ってきたので、レース展開次第だと思いますが、パリではそれなりのタイムを残してほしいと思います。本人が納得できるレースをして、後でゴチャゴチャ言ってこないことが一番ですね(笑)」

 健気(けなげ)に世界で戦う長女へ、注文を織り交ぜながら期待を話した千洋さん。最後は母親の顔になって、次のように話した。

「希実のレースを見るたびに結果よりも、こけずにゴールできるかどうかを心配しています。それは希空も同じです。応援してくださっている方たちはみんな、私と同じ気持ちで応援してくれていると思います。親バカです......」

 田中のパリ五輪は、あとは東京五輪で躍動した1500mのみ。結果など気にしないで思いきり走ればいい。

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