写真東京都八王子市にある「滝山病院(現希望の丘八王子病院)」は病床数288の精神科病院だったが、内部告発をきっかけに患者への殴る・蹴るなどの虐待が発覚したのは、2023年2月のことだ。同病院は、人工透析などもできる精神科病院として半世紀に渡り地域医療を支えてきたが、その劣悪な環境を「まるで現代のアウシュビッツ」と語るのは、滝山病院や七生病院等の被害者支援にあたっている、PSW(精神保健福祉士)で弁護士の相原啓介氏(58歳)だ。相原氏に滝山病院虐待事件について聞いた。
◆畳十畳におまる1つで閉じ込められる七生病院事件
相原氏は大学卒業後、千葉県の国立精神神経センター・精神保健研究所で、主に統合失調症の患者への心理カウンセリングを行う心理職として、同研究所に18年勤務した。10年目でPSWの資格を取得。退職を機に、司法大学院で学び、弁護士となった。
「今でも、非常勤で、23区の精神科のデイケアで働いています。弁護士になったのは、ずっと同じことをやり続けると壁にぶつかるので、幅を広げたいと思ったことが理由の1つです」(相原氏、以下同)
弁護士登録して2年目で、生まれ育った日野市に高幡門前法律事務所を開所し、「町弁」として様々な案件を受けていたが、7〜8年前から精神科病院に入院している患者や内部告発の相談に乗るようになった。
2021年に、日野市で、新型コロナウイルスに感染した際、陽性患者ばかりを6人集めた畳敷きの部屋に、外から南京錠を取り付けて監禁部屋を作り、簡易トイレ一つが部屋の中央におかれたまま、ナースコールも医師の診察もない中で、最低10日以上放置されるという「七生病院事件」が起きた。「水をください」「トイレがあふれています」と患者が叫び続ける阿鼻叫喚の状況となった。50代の女性が原告となり、現在も係争中だ。
「この事件をきっかけに、昭和のような劣悪な精神科病院が、東京都にもまだあるのではないかと思いました」
滝山病院の内部告発があったのも、同年夏から秋だったという。持ち込まれた音声や動画には、看護師などの病院職員から、殴打され、悲鳴を上げる患者の姿があった。
◆死亡退院率6−8割という異常は「必要悪」ではない
一般の総合病院では、精神科病院への入院歴があると、内科的な疾患があっても入院を拒否される。東京23区は、多摩地区の精神科病院を「便利」に活用してきたという背景がある。滝山病院は、どんな患者でも受け入れることから、自治体のソーシャルワーカーから紹介された生活保護受給者の入院が多かった。
「よく滝山病院の死亡退院率を、人口透析を行っていることを理由に、『必要悪』という人がいますが、透析が必要な患者は4割しかいませんでした。6割は、精神疾患か精神疾患も腎臓疾患すらもない人でした。一般的な精神科病院の死亡退院率は2~3%なので、滝山病院の死亡退院率6~8割という数字は異常です」
相原氏は、統合失調症で20年に渡り同医院に入院していた患者の退院支援で、初めて滝山病院を訪れることになった。
◆虐待されるグループとされないグループで病室が分かれていた
「訪問した時は、人里離れた、ボロボロの病院に驚きました。一般の精神科病院には、外来があり、症状が悪化した際に入院となりますが、滝山病院には外来がありませんでした。患者への面会を求めると、面会室すらありません。不衛生な倉庫のような場所で、面会をしました」
患者と面会すると、その人は殴られていなかったが、コップもなくトイレの汚い蛇口からしか水が飲めないと窮状を訴えた。また、医療従事者からの患者への暴行が常態化していることが分かった。
「車椅子に乗った患者をニコニコと連れてきた看護師は、内部告発映像で、患者を虐待していることが分かっていた人でした。殴っていることを隠そうという気はあっても、罪悪感を持っていないことが恐ろしかったです」
院内では、手のかからない「虐待されていないグループ」と、手のかかる「虐待されるグループ」で病室も分かれていたという。
「『手のかかる精神疾患の人』というと、暴れたりするステレオタイプのイメージがありますが、実際には、おとなしいです。滝山病院では、入院3週間目までに薬漬けにして、寝たきりの状態にしてしまいます。だから、手がかかるといっても、ナースを何度も呼ぶ・口答えする程度のことで暴行されていました」
今は辞任した朝倉重延元院長は、2001年にも、入院患者たちの手足や身体を拘束し、治療を受ける必要のない患者にIVH(高栄養点滴)という点滴を投与するといった「朝倉病院事件」を起こしている。40名以上の患者が不審な死を遂げていた朝倉病院での診療実態は、滝山病院でも起きていたのではないかと相原氏は指摘する。
「人工透析治療では、シャントという血管の通路を腕に作成します。その手術は、時に病室やレントゲン室で行われていたと聞いています」
◆入院3か月までと終末期医療で利益が出る仕組み
精神科病院では入院3か月目まで診療報酬が高く、終末期医療で、また利益が出る仕組みだ。
「入院患者は、最初の3か月で薬漬けにされ、自分で歩くのが難しい状態となります。寝たきりになるか、患者は廊下を散歩できるくらいで、運動の時間などはありません。同じ姿勢で寝ているので、褥瘡(じょくそう)ができ、骨が露出したまま放置されている人もいました」
多くの人は、終末期医療で、不必要な医療を受けさせられた上で、利益のために延命されていた。その挙句、細菌やウイルスなどの感染が全身に広がり、免疫反応が過剰に働くことで臓器障害を引き起こす敗血症で亡くなったのではないかと相原氏は懸念する。
カルテなどの記録もない・あっても病名と処方されている薬が一致しないなど、適切な医療行為が行われない状態だった。
精神科病院の入院形態には、任意入院・医療保護入院・措置入院・応急入院の4つがある。その中で、医療保護入院と措置入院で、精神保健指定医の判断が必要となる。
「精神保健指定医が適当な病名をつけて入院させてもチェックされません。そういう時には根拠を主治医に尋ねようとしても、病院側は応じません。この強制入院システムが、人権侵害につながっている。だが、患者が退院や転院を申し出たとしても、主治医の診断がおかしいと指摘するには、医学的な知識が必要になります。それなので、私は医者ではないですが、指摘できるので退院支援につなげられます。そういった専門家が少ないのが現状です」
滝山病院の問題は、同病院だけにとどまらず、看護師のネットワークなどを通じ、他の精神科病院スタッフのモラル低下にもつながった。取材する中には、滝山病院の劣悪さを知った上で「片道切符」と分かって送り込んでいたという、医療従事者もいた。
◆遅れる国の対策
厚生労働省は、「地域包括ケアシステム」という、精神病患者を退院させ、地域で共生させる仕組みを推進している。このシステムは、イタリアで起きた、1978年のバザーリア法による精神病院改革の成功に倣っている。イタリアでは精神科病院が廃院となったが、日本では、なぜ成功しないのか。
「日本では、退院してきた精神病患者を地域で受け入れるための専門家が不足しています。また、精神保健指定医自体を監督する仕組みがありません。患者本人よりも、病院で面倒をみて欲しいという家族の意向が優先される、儒教的な考えも強い。精神科病院をつぶすなという、政治的な圧力もあります。精神保健福祉法の見直しや専門家の育成が必要でしょう」
財政的な面だけみれば、病院に長期入院させるよりも、地域で医療・福祉の支援を得ながら、生活保護受給で暮らすほうが安上がりだ。実際に、相原氏が支援した患者10人の中には、退院し、アパートで通院しながら暮らしている人も多い。だが、地域での受け入れには精神病患者への根強い偏見を取り除く必要がある。
滝山病院は現在、希望の丘八王子病院と改名し、経営陣も刷新され運営されている。
「日本の精神医学の父」とも呼ばれる呉 秀三は、1918年に、精神病患者の私宅監禁の実態調査書である「精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察」の中で、「我が国十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の外に、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」と記している。それから約100年超経った現在、精神病患者を取り巻く環境は改善されていくのだろうか。引き続き、注視していきたい。<取材・文/田口ゆう>
【田口ゆう】
立教大学卒経済学部経営学科卒。「あいである広場」の編集長兼ライターとして、主に介護・障害福祉・医療・少数民族など、社会的マイノリティの当事者・支援者の取材記事を執筆。現在、介護・福祉メディアで連載や集英社オンラインに寄稿している。X(旧ツイッター):@Thepowerofdive1