写真 新卒から18年半、テレビ朝日のアナウンサーとして、報道、スポーツ、バラエティなど多岐にわたる番組を担当してきた大木優紀さん(44歳)。
40歳を超えてから、スタートアップ企業である「令和トラベル」に転職。現在は、令和トラベルが運営する旅行アプリ『NEWT(ニュート)』の広報、まさに「会社の顔」として活躍中です。
第2回となる本記事では、キャリアチェンジをして、新しい環境に挑んだ大木さんの本当の本音の部分を掘り下げていきます。
◆40歳のキャリアチェンジを振り返って
アナウンサーとして18年半。
その肩書きを手放し、40歳という節目に、スタートアップへの転職を決意しました。
私の場合、前職とはまったく異なる業界・業種のいわゆる「キャリアチェンジ」。今までのスキルがストレートには活かせない。そんな場所に飛び込む決断でした。
振り返ってみると、存分にしんどい3年間だったなと思います。
不思議なことに、3年経った今、ようやく「本当にしんどかったな」と口にできるようになりました。
決してネガティブな意味合いではなく、しんどい日々を生き抜いた自分を認めることができた。そういう意味で、一歩前進したという感覚でいます。
そんなふうに思える今だからこそ、私がこの3年間でぶつかった壁、乗り越えてきたことを、今日は振り返ってみたいと思います。
◆耳慣れないカタカナのビジネス用語に鳥肌が
入社してから、とにかく「違い」の連続で苦しみました。
まず、使い慣れないITツールや耳慣れない業界用語の違い。スタートアップでは「入社」を「ジョイン」と言ったり、カタカナのビジネス用語をよく使うんですが、最初は正直、「なんでそんなにカッコつけるの?」とちょっと鳥肌が立つくらい違和感があって(笑)。
そういう言葉にも少しずつ慣れ、半年ぐらいしたらすっかり染まって、「令和トラベルにジョインした大木です!」とサラッと言っていました(笑)。ITツールや用語はあくまで、道具に過ぎず、スタートのインパクトは大きかったものの、意外と時間とともに使いこなせるようになりました。
しかし、入社3か月ほど経ったころ、今度は仕事のリズムの違いで、身体に異変がおきました。
アナウンサー時代は、収録や生放送など、本番の数分〜長くて数時間に、最高潮に気を張り、終わったあとは、仕事モードのスイッチは完全にオフになっていました。もちろん、上手くいかなかった日などは、反省が多くグジグジと気にしてしまうこともありましたが、緊張感は残りませんでした。
一方で転職してからは、仕事の終わりが見えない感じがして。アナウンサーの仕事のほうが特殊で、一般的なデスクワークなどではむしろ当たり前なのかもしれませんが、今日までにやるべきこと、明日まで、週末まで、来月までと、タスクがどんどん山積していき、一日の仕事終わりが見えない感覚がありました。自分で意識しないと仕事のスイッチがオフにできず、眠りが浅くなり体調を崩してしまいました。
仕事内容は刺激的で、本当に楽しく過ごしていたのですが、キャリアチェンジに伴うリズムの変化は、中年の身体にも応えるものがありました。これももしかしたら、40代の転職のリアルかもしれません(笑)。
◆貢献できている実感がなかなか得られなかった
求められるものも大きく違いました。
意外と戸惑いを感じたのは「何かを決める」ということ。テレビ局では、番組の方針や、放送内容、そこで展開される台本に至るまで、多くの人の目を通して決定されます。「番組のアンカー」とも表現されることもあるアナウンサーは、その過程を経て、「決められたもの」を渡されることがほとんどでした。
もちろん、オンエア中の判断など、細かな意思決定はあるのですが、組織としての方向性などを決めた経験がほとんどありませんでした。だからこそ、自分が意思決定の場に立ったとき、その重さや難しさに戸惑いました。
アナウンサー時代は、感覚値や好感度が重視される世界だったのに対して、スタートアップでは、データの裏付けなどが重用されます。根拠を持って「決めること」。そして、それを周囲に理解してもらうプロセスは、大きな学びだったと思います。
さらに、新たに学んでいく必要があったのがマネジメントスキルです。
アナウンサー時代は、技術的なことを後輩に教える場面はあっても、メンバーのマネジメントをしたことがありませんでした。これは、40代ビジネスパーソンとしてはむしろ珍しいスキルの欠如でした。今も試行錯誤の繰り返しではありますが……「コミュニケーション」を心がけながら、私なりの正解を模索しているところです。
しかし、何よりも一番つらかったのが、自分が貢献できているという実感がなかなか得られなかったことでした。
「誰かの役に立ちたい」という思いが、働く原動力になっている私にとっては、この感覚を持てるまでに、思った以上に時間がかかりました。年齢を重ねているからこそ「自分が役に立てていない」という現実を痛感するのは、すごくつらかったのです。
◆ようやくたどり着いた「キャリアは掛け算」であるという感覚
それでも、この3年間で数え切れない壁にぶつかりながらも、少しずつ成長している自分を実感しています。
一度ゼロリセットする覚悟で臨んだキャリアチェンジでしたが、積み重ねたアナウンサーとしての18年半の経験は、やはりしっかり自分の中に残り、役に立てることができると感じられるようになりました。
そこに、スタートアップで学んだ経営視点やPRやSNSマーケティングの知見が掛け算のように重なり合い、ようやく「私という人間が貢献できるもの」「オンリーワンの強み」というものを、少しずつ見出せるようになってきました。
まだまだ無力感を覚えることも多いですが、少しずつ、道を切り拓いている、そんな感覚を得ています。
◆キャリアの正解がわからなくても、大丈夫
40歳でのキャリアチェンジは勇気がいる決断です。戸惑いや苦労は避けられませんが、その先には必ず成長と新しい可能性があります。
振り返ってみると、私がなんとかここまでやってこられたのは、自分の意見に耳を傾けてくれる「多様性のある職場」に出会えたこと。そして「自分自身の柔軟性」があったからだと思います。
お恥ずかしながらも、私は昔から「ビジョンがないのがビジョン」と答えるくらい、明確な将来像を持っていないタイプで。
でも、裏を返せばそれは“柔軟性”でもありました。その柔軟さが、変化の多い環境で前に進む力になってくれたのだと思います。
「たくさん成長できた3年間だったからこそ、こんなにしんどかったのだ!」と、やっと思えるようになったキャリアチェンジ4年目。たくさん恥をかいて、迷って、落ち込んで。それでもなんとか続けてきたからこそ、ようやくこうして、少しずつ振り返れるようになりました。
<文/大木優紀>
【大木優紀】
1980年生まれ。2003年にテレビ朝日に入社し、アナウンサーとして報道情報、スポーツ、バラエティーと幅広く担当。21年末に退社し、令和トラベルに転職。旅行アプリ『NEWT(ニュート)』のPRに奮闘中。2児の母