
「性生活は生きるための活力で、私たちの心と身体の健康、つまりヘルスケアに直結します」
そう話すのは、性交痛外来で患者の性の悩みに寄り添う、医師の富永喜代先生だ。
性行為は免疫力も高め健康寿命を延ばす
男女共に平均寿命が80歳を超え、健康寿命が延びた現在、加齢で変化していく身体の正しいメンテナンス方法について、さらには中高年以降の性の楽しみ方にも関心が高まっている。
「日本において正しい性の知識が広まっているとはいえません。これまでいやらしいものとされてきた性行為ですが、いまや世界各国の研究によって、健康に良い影響をもたらすことが報告されています。寿命に直結するというデータもあるくらいなんですよ」(富永先生、以下同)
テルアビブ大学の研究では、心臓発作を起こした人の中で、性行為を週1回以上している人は、まったくしていない人と比べて死亡率が半分以上も低くなったという。
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「対象者の中央値が53歳なので、より高齢の方には当てはまらない可能性もありますが、パートナーと安定した性生活を送ることは、寿命に影響するといえるでしょう。そして性行為は免疫力を強化するという報告もあります」
アメリカの112人の大学生を、性行為なし・週1回未満・週1〜2回・週3回以上に分けて比較したところ、週3回以上のグループは、免疫物質である免疫グロブリンのレベルが他のグループより高かった。
「性行為は自分以外の舌や性器が身体の中に侵入する行為です。免疫システムが発達していないと、他人のウイルスが侵入しかねないリスキーな行為ともいえますが、頻繁に性行為を行う人は、おのずと免疫力が上がったと考えられます」
性行為の運動強度は、平らな場所を速足で歩くのと同程度といわれる。
「日本人の平均体重(67.4kg)の男性が30分間性行為したときの消費カロリーは、ジョギングをゆっくり13分ほど行うのと同じ、約95 kcalというデータもあります。また加齢や運動不足により緩んでしまう骨盤底筋が、鍛えられるという報告も。
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さらに性行為後の人間の脳をMRIで調べると、記憶を司(つかさど)る海馬の血流量が増加し、記憶力に良い影響を与えるのではないかといわれています」
そこでラットで実験を行ったところ、交尾後には海馬の神経細胞の数が増加し、神経細胞を増やす能力まで向上することが判明した。
そして人間の場合は、オーストラリアで50歳以上の6000人のデータを分析したところ“人との交流が深まる性行為”が認知力低下を防ぐこともわかった。
「これはつまりひとりのパートナーを大切に愛し、性行為を繰り返すことが、脳に良い影響を与えるということ。性行為をすると人間の脳からは、ドーパミンやオキシトシンという脳内神経伝達物質が分泌され、やる気や幸福感といったポジティブな気持ちをもたらします。
研究によるとその効果は翌日まで続くこともわかっていて、性的な充足感が人生に与える影響は大きいといえます。自分が“できる”“したい”と思えば何歳になってもできることですし、定年はありません。性行為は人生100年時代における“大人の健康法”なのです」
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更年期などの不調が性行為を遠ざける
だが一方で、女性が閉経するタイミングは平均50歳ごろだとされ、その前後5年の合計10年間ほどを更年期として過ごすことになる。卵巣の活動が止まり、女性ホルモンのエストロゲンの分泌量が激減することから、さまざまな症状が現れるのだ。
「循環器系ではホットフラッシュ、多汗、手足の冷え、むくみ、高血圧、高コレステロール血症などが挙げられます。皮膚・分泌系ではドライアイ、ドライマウスによる口臭、シミ、シワ、薄毛、白髪、そして腟や外陰部の乾燥も。
泌尿器・生殖系では尿漏れ、頻尿、子宮脱、腟の灼熱(しゃくねつ)感、ヒリヒリ痛い、かゆみ、においの悩みや性交痛があります。それに加えて、食欲不振など消化器系の不調、情緒不安定になるなど精神的な不調もあります。
さらには骨量、筋肉量も低下して足腰が弱くなっていく。どこをどうとっても、女性が自信を喪失しやすい時期なんです」
女性ホルモンの一つであるエストロゲンの分泌量が激減することで、性行為においてもさまざまな変化が生じるのも事実。
「腟が濡れるまでに時間がかかる、愛液の量が減る、外陰部・クリトリス・胸などの性感帯の感度が落ちる、愛撫(あいぶ)されても集中できない、性欲が減退する、性的な関心がなくなるなどの変化があり、加齢による性交痛に悩む方も多いです。
特に中高年以降の女性に多いのが、萎縮性腟炎による性交痛です。腟の粘膜の潤いが減り、時に萎縮してしまうことで粘膜が摩擦に弱くなり、炎症が起きやすくなるのです」
婦人科などの医療機関でのさまざまな治療を
ほかには過去の性交痛の記憶による恐怖と不安で、痛みをより強く感じるケースもあり、心因的要因も見逃せない。
「私が開設している性交痛外来では痛みを感じる部位やタイミング、痛みが始まった時期、痛みの程度、これまでの治療やケアの履歴を聞き取ります。
また必要に応じて外陰部の視診、感染症やがんの検査を行い、痛みの原因を突き止めていきます。腟の奥が萎縮している場合には、腟を拡張するための医療機器・腟ダイレーターをおすすめする場合もあります」
特にエストロゲンの低下に伴う性器や尿路の障害や諸症状はGSM(閉経関連尿路性器症候群)と呼び、婦人科などの医療機関ではジェルでのセルフマッサージで腟をふっくらなめらかにするなどさまざまな対処法がある。
「軽症なら乳酸桿(かん)菌入りのジェルで保湿し、マッサージをして腟環境を整えるセルフケアだけで大丈夫です。しかし毎日ケアをしても症状が進行し、中等症〜重症化した場合は、エストロゲンの補充という方法があります」
補充には2タイプあり、全身に投与する方法と、デリケートゾーンの局所に投与する方法がある。
「全身投与は医療機関でのみ行えるので、お近くの婦人科にご相談ください。更年期障害の治療として保険適用です。
主に脳や血管の障害、具体的には全身の倦怠感がひどく、仕事に集中できない、朝起きられない、やる気が出ない、気持ちの乱高下が激しすぎるなどが全身投与の対象になります」
局所の場合は低用量のエストロゲンでも効果が出やすい。
「全身投与と違って肝臓での代謝を介さず局所に直接補充するので、副作用が少ないのも特徴です。自分自身で気になる部分にマッサージしながら塗るだけなので、手軽なのもいいですね。他にデリケートゾーンに卵胞ホルモンの一種である、エストラジオールを投与する方法もあります」
医療用エストラジオールと同成分の美容液は、インターネットでも気軽に入手できる。
「ただし誰もがエストロゲンを補充できるわけではないんです。乳がんや卵巣がんの方は禁忌ですので、乳酸桿菌入りのジェルでマッサージを続けましょう。改善しない場合は、医療機関で腟にレーザー治療を施す方法もありますよ」
加齢に伴う身体の変化をパートナーと共有し、ふたりで適切な解決策を見つけることが、心身の健康につながるはずだ。
教えてくれたのは……富永喜代先生●医学博士。日本麻酔科学会指導医。2008年に愛媛県松山市に富永ペインクリニックを開業し、院長に就任。性交痛外来では1万人の悩みをオンライン診断する。YouTubeチャンネル「女医 富永喜代の人には言えない痛み相談室」は登録者29.8万人を超え、テレビ出演も多数。『女医だけが知っているとなりのSEX白書』(永岡書店)
取材・文/植田沙羅