「塾歴社会」の問題は、勉強内容がやさしすぎること - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

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2016年03月08日 18:22  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

 首都圏では、中学入試の対策に「SAPIX」に行き、合格して中高一貫の受験校に通うようになると「鉄緑会」に通って東大を目指すというのは、別に今に始まったことではありません。ですが、そのような優等生向けの塾が、進学のエリートコースになっていることについて「塾歴社会」というネーミングがついたことで、あらためて話題になっているようです。


 確かに、この「塾歴社会」には問題があります。


 まず、小学校にしても、中高にしても「その学校で正規の教育課程を一生懸命やれば、それが評価され、その評価が上級学校入学の許可につながる」ということが起きず、学校の他に「塾」というのが存在するという構造が、無駄であり、消耗だからです。


 結果として、経済格差が再生産されて階層が固定化され、人材の活力がどんどん乏しくなるという問題もあります。また、優れた教育を受けることができるチャンスが、首都圏に限定されることも大きな問題でしょう。


 努力して「有名な中高に受かった」子供は、転校させると損だからということで、仮に親が転勤になっても帯同しないで、親は単身赴任する、そのために核家族の求心力が失われ、子供に対する家族形成のロールモデルが消えて行くという問題もあると思います。有名中学に受かったからだけでなく、そもそも子供が塾に通うために、親が単身赴任になることもあるようです。


 ですが、最大の問題は入試がやさすぎるということです。


 2点指摘したいと思います。


【参考記事】日本人の知的好奇心は20歳ですでに老いている


 1点目は、理系の場合「理科は2科目でいい」となっています。東京大学をはじめ、国公立の各大学も、私立大学もみなそうです。地学は除外するにしても、とにかく「物理、化学、生物」の3教科から2科目を選択することになっています。そもそも制度的に、センター試験では、理科は2教科「しか」受けることはできません。


 ということは、理系であっても、受験勉強としては「物理(あるいは化学、生物)を捨てた」学生が大学に入ってくるわけです。これは大変な問題です。現在の最先端技術というのは、この3分野が複合した形での知識が必要になることが多いからです。


 例えば医療技術がそうです。CT(コンピュータ―断層撮影)やMRI(核磁気共鳴画像法)などの測定器は、設計するにも使いこなすにも、物理の知識が必要です。人工心肺などもそうです。アメリカの大学で「花形分野」として多くの学生が専攻している「バイオメディカルエンジニアリング」という学科(日本では医療生化学という)がありますが、それこそ物理、化学、生物の3分野の知識が前提になっています。


 例えばアップルは、自動運転車に加えて、腕時計を「医療デバイス」にして突然死を防止したり、新薬の治験データを効率的に収集したりというビジネスを考えていますが、こうした動きを通じて、さらに劇的に進むであろう「医療ビジネス」を担う教育が、これではまったくできていないということになります。


 受験科目に入っていなくても、内申書などで「しっかりやっている」ことへのチェックが入るのならいいのですが、日本の受験制度はそうなっていません。結果的に、国全体として「能力の高い学生の数%が医療生化学を専攻したい」と考えても、その候補になる高校生に「3科目を真面目に勉強させる制度」はないのです。


 一部の医学部では、この点に気づいて「理科の3教科義務付け」を進めていましたが、センター試験が2教科縛りになったために、現在では九州大学以外は断念しているようです。


【参考記事】「世間知らず」の日本の教師に進路指導ができるのか


 問題の2点目は、数学の内容が不十分だということです。特に世界のビジネス社会で、非常に活用が進んでいる統計学について高校生までに基礎を学ぶ機会がないこと、微分方程式や多変数微積分などが扱われていないことは問題だと思います。また、金融や経済を専攻する学生が、入学試験で「数学がない」場合があったり、例えあっても「数学3」が除外されたりしているのも問題だと思います。


 この問題は、「難しい」と言われている中学受験でもそうです。中学受験では「方程式は使用禁止」ということになっています。小学校の教育課程に入っていないからというのが理由で、その代わり「つるかめ算」などで「全部が亀だったら足が何本か足りないから、その足りない数から一部が鶴だということを導く」などという、まるで大正時代かなにかの「よい子の算術」みたいなバカバカしいことをやらせているわけです。


 小学校4年生から高い金をかけて、深夜まで危険を冒して子供を塾に遠距離通学させておきながら、その中で重要な科目である数学において(そもそも小学校までは算数で、中学からは数学などと名称を変えるのが、小学生をバカにしていると思います)、方程式の使用を禁止しているのですから、その「遅れ」の総量は国家的損失だとすら言えるでしょう。


 中高までの教育では、最先端の知識に触れさせていないとか、思考力の訓練、議論の訓練、社会の現場経験などができていないなどの問題は、もちろんあります。英語教育の効果の問題ももちろんあります。ですが、それ以前の問題として、数学と理科の教育内容がやさしすぎるのは大問題だと思います。


 理系は理科3教科必須、数学は統計学と微分方程式、多変数微積分まで含めるべきです。経済社会系の学生も同じく統計学と「数3」を必須にすべきです。小学生であっても、熱心に塾で勉強するのなら、文字式や方程式を解禁したらいいのです。塾歴社会の最大の問題は、カネと労力を吸い取られながら、やっている内容がやさしすぎることです。日本の競争力低下の元凶の一つと言ってもいいでしょう。



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  • 高いIQの子で学び方で失敗し塾へ行けない子は学力が着かない。IQが普通でもお金をかけ良い塾へ通い中高一貫へ進んだ子は高い学力が着く。塾歴格差社会の現実だ。「塾歴社会」の問題 - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代 (ニューズウィーク日本版 - 03/08 18:22)
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