中森明菜が『北ウイング』セルフカバーで歌に復帰したワケと育ての親が明かす“録音トラブル”

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2023年11月01日 11:00  週刊女性PRIME

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中森明菜

「当時、私は成田空港の“北ウイング”を何度も行ったり来たりして……。彼女は本当に、いろんなことをやってくれました(笑)」

 男性は、くしゃっとした笑顔をつくり、目を細めて懐かしそうにしながら、ある“事件”を語る。その主犯は、中森明菜─。

      ◆ ◆ ◆

 昭和の歌姫が、再び表舞台へ復帰するのではと、ファンの期待が膨らんでいる。

「明菜さんが新たにレコーディングしたセルフカバーの楽曲が、10月30日にラジオで流れました。公の場で歌ったのは'17年のディナーショーが最後ですから、約6年ぶりの歌声にファンは歓喜しています。年齢的な衰えはありますが、“明菜は今も健在”だと感じさせました」(スポーツ紙芸能デスク、以下同)

 彼女が歌った曲とは、'84年の元日にリリースされた『北ウイング』。

「作曲家の林哲司さんが作曲したもの。杏里さん、菊池桃子さんなどにも楽曲提供をしている林さんが、今年でデビュー50周年を迎えたことを記念したトリビュート・アルバムを11月8日に発売します。その中に明菜さんが新たにレコーディングした『北ウイング-CLASSIC-』が収録されているのです」

7月には渋谷で限定グッズを販売するファンイベントを開催され

 曲の発売当時18歳だった明菜が、約40年ぶりに新たな命を吹き込んだ。復活への足取りはスローモーションではあるけれど、着実に前進している。'22年に新たな個人事務所を立ち上げ、その年末には新しいファンクラブも開設した。

ファンクラブの会員専用サイトでは、明菜さんの肉声を公開し、近影やメッセージを届けています。8月に公開された音声では、ファンの求めに応じて『スローモーション』を口ずさんだりしました。お酒を飲むのがルーティンだと話していたのですが“これを聞かれたら、お医者さんに怒られちゃう”とも。なぜ、お酒がダメなのかは不明ですが、体調がまだ万全ではないことを感じさせました。今年も紅白出場が期待されていますが、やはり難しそうですね

 7月には、東京・渋谷で限定グッズを販売するファンイベントを開催。参加したファンの女性は、

「明菜ちゃんのイベントだから、40歳〜50歳ぐらいの人がほとんどかと思いきや、20代の女の子や高校生も訪れていてビックリ。でも、明菜ちゃんのグッズって微妙なのよ。入場料を払い、グッズをあれこれ買ったら3万〜4万円は軽く超えますから、これならディナーショーのチケットが買えるのにって思っちゃった」

 会場には、明菜を身近に感じられる“あるモノ”が展示されていた。

明菜ちゃんが帽子を持った写真の隣に、実際に明菜ちゃんが使った帽子が飾られていたんですよ。スタッフからは“手に取っていいですよ。かぶってみてください”と言われましたが、明菜ちゃんと同じ帽子をかぶるなんて畏れ多くて……。ほかの人も、かぶっている人はいませんでした。みんな同じ気持ちだったと思います(笑)。今年は、15年ぶりに制作したというカレンダーを発売しました。税込み1万450円と高いので悩みましたが、明菜ちゃんを応援したくて購入しました」(同・女性ファン)

 しかし、今回“歌”での復帰に選んだのは、なぜ『北ウイング』だったのか。

昨年、NHKで過去のライブ映像が放送されて話題になりましたから、トリビュート・アルバムを出すレコード会社も明菜さんを目玉に据えたかったのでしょう。作曲者である林さんは今回の収録に、ほぼノータッチだと聞きました」(レコード会社関係者)

『北ウイング』で起きたトラブル

 新『北ウイング』で再出発をした明菜だが、かつて成田空港の『北ウイング』で、あるトラブルを起こしていた。冒頭の男性が話を続ける。

「レコーディングのため、明菜とNYへ向かう予定だったんです。確か『サザン・ウインド』の収録でしたから、ちょうど『北ウイング』が発売された'84年1月のこと。明菜がちゃんと来てくれるのか心配で、私は“明日、来るよな?”と前日に何度も確認していました。明菜は“行くよ! だって楽しみだもん”と言うので、少しだけ安心していたのですが……」

 そう話すのは、音楽プロデューサーの島田雄三氏。明菜の初代音楽ディレクターとして活躍し“中森明菜の育ての親”ともされる人物だ。

「次の日、私が空港に着くとスタッフが必死の形相で駆けてきて“明菜が来ません!”と言う。原因は病気だというので、昨日まで元気だったのに、何の病気かと聞くと“歯痛です”と(笑)。今のように携帯電話がありませんから、つかまえようがない。しょうがないので、明菜には遅れてでも来るよう伝える指示をして、私は先にNYへと向かいました」

 成田空港やNYでは、テレビ局による中継の撮影が行われる予定もあったため、島田氏はその対応に追われた。

NYの現地で食事の予定を立ててくれていたレコード会社の重役など、各方面に頭を下げて、私が宿泊するホテルに戻りました。すると、ホテルのスタッフが私にメッセージが届いていると言う。イヤな予感がしつつ、届いたメッセージを見てみると《明日、明菜は行きません》と書いてあった(笑)

 やむなく帰国した島田氏だったが、自宅でひと息ついたときのこと。

明菜から電話がかかってきたんです。電話口で“どうしたんだ!?”と言うと、泣き出しそうな声で“ごめんねぇ……”と。“ごめんじゃないだろ……行くって言ったからテレビ局とか、みんな準備していたんだよ。どうするんだ!!”と怒ると“ごめんねぇ……”って(笑)。顔が腫れたと話していた記憶がありますから本当に歯が痛かったのでしょう。腫れた顔でテレビに出たくなかったのだと思います

 結局、スケジュールを短縮する形で、島田氏と明菜は再びNYに向かって、そこから最終的にバハマまで行ってレコーディングをすることに。

「いよいよ明日レコーディングというときに、明菜が高熱を出して救急車で運ばれたんです。殺人的なスケジュールで、とにかく忙しかったですから。まあ、でも、明菜はよく頑張ったと思います」

 大変だったことも、今となっては島田氏にとってかけがえのない思い出に。

「正直に言えば、新『北ウイング』がどんな仕上がりになったのかは気になります。しかし、その評価について、私が口を出すことではありません。これだけ苦労させられて、でも、これだけ楽しみを与えてくれたアーティストは、ほかにいません。私が生きているうちに、また、どこかで会いたいですね」

 北ウイングから再び飛び立った明菜。しかし、いまだ先の見えない夜間飛行は、無事に着陸できるか─。

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