特撮ヒーロー in ドイツ〜テュービンゲン、ウルム(3)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】

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2023年11月26日 08:41  週プレNEWS

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ウルムに着いてすぐに食べたフォー・ボー。ちゃんと想像通りの味。おいしかった

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第21話

海外出張先の食事にも飽きてきて、体が胃に優しいものを欲しているとき、筆者の経験上「いちばん間違いない」と思う食べ物のことや、ドイツと日本のウイルス学会の違いについて。

(1)はこちらから

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【写真】建物が歪んだホテル

■海外出張の頼れる味方「フォー」

海外出張で食傷したとき、私は大抵、和食ではなくて、ベトナム料理屋を探すことにしている。というのも、海外のリーズナブルな和食レストランのオーナーは、得てして日本人ではないことが多い。

海外で和食を求めたくなる気持ちのときは大抵、胃に優しい食べ物を欲しているときである。そういう欲求を満たす和食を海外で求めることのハードルはきわめて高い。よもするとゲテモノのような煮物をつまんだり、出汁のまったくひけていない味噌汁やラーメンをすするよりも、私の経験上、いちばん間違いがないのは、ベトナム料理、それも「フォー」である。

面白いことに、私がこれまでに訪れたほぼすべての国(この連載コラムの第15話で登場した南アフリカを除く)にベトナム料理屋はあり、それはほぼすべてベトナム人が経営している。そこで提供される牛肉麺「フォー・ボー」は、私たちが日本で嗜むことがあるその料理そのものの味である確率がきわめて高い。

そしてなにより重要なのは、そこで期待する「味」と、そこで実際に提供される「味」に、大きなギャップがないことにある。ニューヨークやロサンゼルスならいざ知らず、海外の地方都市で、日本と同じレベルの和食やラーメンのクオリティを求めるのはほぼ不可能に近い。

そこで私が経験の中で見出したのが、ベトナム料理屋である。フォー・ボーであれば、ほぼ間違いなくどこのベトナム料理屋のメニューにも載っているし、その味の安定感と、慣れない外食で疲れた胃をいたわる包容力はほぼ世界共通である。ウルムに着いた私がすぐに足を運んだのもやはりベトナム料理屋で、そこでフォー・ボーを嗜み、胃を落ちつけた。

■ドイツウイルス学会前夜

ダニエルの元上司であり、私の共同研究者でもあるウルム大学のフランク・キルショフ(Frank Kirchhoff)教授が手配してくれたホテルは、「Schiefes Haus」という、和訳で「傾いた家」という名前の、半ば観光地になっているホテルであった。

名前に違わず、内部はとんでもなく傾いて、というか歪んでいて、その部屋の床はおろか、ベッドまでも傾いていた。土産話には良いかもしれないが、疲れた体を労るにはなかなかにハードルが高い。そこで私は、ヨーロッパのホテルには珍しくバスタブがあることに目をつけ、お湯を溜め、出張の際には常備している入浴剤を入れてゆったりと入浴した。

■ドイツウイルス学会と日本ウイルス学会の相違点

さていよいよ、今回の出張の主たる目的である、ドイツのウイルス学会である。日本のウイルス学会はだいたい、年会(研究集会)の会期は3日間、その参加者はだいたい1000人くらいである(ちなみに、2023年の「日本ウイルス学会」については、この連載コラムの第7話で触れている)。それに対し、比するドイツのウイルス学会は、参加者は800人ほどで会期も3日間と、日本のそれとほぼ同じくらいの規模である。

学会が主催する研究集会の発表スタイルは大抵、壇上に立って、スライドを使って研究内容を発表する「口頭発表」と、A0サイズのポスターに研究内容をまとめて発表する「ポスター発表」のふたつのスタイルに分けられる。

大抵の人が想像する「学会発表」とは前者のようなものであり、そこまでアトラクティブではないが、スティーブ・ジョブズによる新しいアップルの製品発表みたいなシーンがそれに近い。それに対して、「ポスター発表」とは、興味のあるポスターに集まった聴衆に対して、壁に掲示したポスターを使って説明する、というスタイルである。

ちなみに、この連載コラムの第5話の冒頭の私が写っている写真は、アメリカ・ニューヨーク州で開催された研究集会の、「ポスター発表」の会場のシーンの一幕である。

日本のウイルス学会の場合、口頭発表が100題、ポスター発表が100題くらいが通例である。それに対し、私が参加したこのドイツのウイルス学会の場合、口頭発表の数がきわめて少なく、数十題ほどしかなかった。つまり、口頭発表がきわめて厳選されていて、そのクオリティがきわめて高いということを窺い知ることができる。

実際にそれをいくつか聴講したが、そのほぼすべては、日本のそれとは明らかに質が違う、ハイランクの学術雑誌に掲載される研究内容であることが透けて見える、きわめてレベルの高いものばかりであった。

面白いのが、口頭発表の演題数は、日本に比べてドイツでは顕著に少なかったこととは相反して、ドイツのウイルス学会のポスター発表は、なんと600題近い数があった。つまり、参加者のほとんどが、発表に関与していたということになる。

ポスター発表は、そのクオリティというよりも、その会場の熱気に目を見張るものがあった。ドイツでも、コロナ禍が明けてすぐの、対面での学会が久しぶりだということもあったのかもしれないが、発表者とオーディエンスの熱気にあふれた、モチベーションに満ちあふれたイベントとなっていた。ウイルス学会にかぎらず、日本の学会のポスター発表で、このような熱気を帯びた雰囲気は感じたことがない。

学会前日には、ダニエルを含めたドイツの若手研究者が主催する、大学院生を対象としたイベントが企画されていた。事前参加登録が必須で、採択されれば、旅費も学会参加費もすべて免除になるシステムらしい。倍率は2倍を超え、30人の選抜された大学院生が参加し、ウイルス学会に参加する重鎮たちが、ウイルス学に関するレクチャーをする、というイベントが開催されていた。

■招待演者たちを囲んだ宴

その夜には、私を含めた招待演者たちや、学会主催者が集まる招宴が催された。そのメニューの記憶はあまりないし(ドイツ料理だった)、そこでの話題のほとんどは、研究費や研究待遇に対する愚痴という、日本のそれとあまり大差がないものだったことは意外だった。

しかし驚くべきは、その招宴に参加した二十余名の男女比が、完全に1:1だったことである。ダイバーシティ、ジェンダーバランス(女性の雇用)に対する意識と実行力は、日本のそれとは明らかな差があることを痛感した。

「傾いた家」に戻った私は、やはり入浴剤を入れたバスタブで入浴しながら、この日に経験したことをひとつずつ思い返してみた。若手研究者の育成やジェンダーバランス、ダイバーシティに対する意識のこと。

どれも先進的な取り組みを実践していて、日本のそれとは明らかな差がある。しかしその中で、ダイバーシティやジェンダーバランスに対する意識や行動、発言の先進性とは裏腹に、今日の招宴に参加していた人の中で、アジア人(黄色人種)が自分だけであったことに、はたと気がついた。

※(4)に続く

文・写真/佐藤 佳

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