『ホンダ・プレリュード(BA1型)』グループAレースを戦った“デートカー”【忘れがたき銘車たち】

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2024年05月15日 08:00  AUTOSPORT web

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1987年の全日本ツーリングカー選手権第5戦インターTECを戦った明和プレリュード2.0Si。柵木貞雄、宇賀神方昭がドライブした。
 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは1986年〜1987年の全日本ツーリングカー選手権(JTC)を戦ったBA1型の『ホンダ・プレリュード』です。

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 2023年、ジャパンモビリティショーなどにコンセプトモデルが展示され、話題を呼んだホンダ・プレリュード。プレリュードは1978年に初代が誕生したスペシャリティクーペで、特に2代目や3代目は新車当時、“デートカー”と呼ばれ、若者に人気のモデルでもあった。

 だから見た目はスポーティなクーペだったけれど、プレリュードにはモータースポーツのイメージがあまりないという方もいるだろう。しかし、そんななかでも数は多くなかったが、レースに参戦していたプレリュードもいた。今回紹介する2代目プレリュード(BA1型)もその1台である。

 BA1型のプレリュードがメジャーなレースシーンに姿を現したのは1986年。グループA車両がしのぎを削っていた全日本ツーリングカー選手権(JTC)の第5戦、富士スピードウェイを舞台にしたインターTECでのことだった。

 グループA仕様のベースとなったのは前述の通り、2代目のプレリュードで、B20A型という2.0リッターのNAエンジンを搭載するBA1型というモデルだった。

 このBA1型をもとにグループAレースに参戦するべくレーシングカーに仕立てたのがホンダの社内クラブである「明和」だった。だが、このBA1型は公認パーツがあまり多くなかったこともあり、1987年の開幕戦時点ではまだブレーキがノーマルのままであったなど、マシンの開発があまり進まなかった。

 それでもデビューレースである1986年の第5戦インターTECではクラス2位、総合15位に入ったり、翌1987年に西日本サーキットで行われた開幕戦では名手、高武富久美もドライブして総合12位に入るなど、素性のよさを活かして健闘も見せていた。

 だが、プレリュードの属するディビジョン2に同年、トヨタ・セリカやBMW M3といったライバルが登場すると苦戦が続き、結局、クラス優勝を得ることはできず。1987年いっぱいでJTCからは姿を消すことになってしまった。

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