江夏豊は江川卓に「相当図太い」と感服 「巨人というマスコミの餌食になるところで、自らのスタイル貫いたことはすごい」

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2024年07月12日 17:31  webスポルティーバ

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連載 怪物・江川卓伝〜球史に残る大投手・江夏豊との投球論(前編)

「プロ野球史上、最高の投手は誰か?」という問いに、必ず名前が挙がるのが江夏豊だ。オールスターでの9者連続三振、年間401奪三振、延長10回サヨナラホームラン&ノーヒット・ノーラン、そして日本シリーズでの"江夏の21球"と劇画のようなシーンの数々を演出してきた不世出のサウスポー。

 その江夏と江川卓を比較すると、ともに本格派にして制球力がよく、ストレートとカーブだけで三振の山を築くという共通点が浮かび上がる。

【江川卓は異質な存在だった】

 一見、ふたりは水と油のように思えるが、互いにリスペクトしている。江川が8歳上の江夏をリスペクトするのはわかるが、江夏も江川のことを認めているというよりは、ある意味、同志と思っている部分がある。

「江川とはあるCMの撮影でハワイに行った際、撮影の合間に相撲をとったことがあったなぁ。足を挫いたけど」

 江夏に江川のことを聞くと、CM撮影の話がすぐに出てきた。

 1988年に江川が現役引退してしばらくすると企画が持ち上がり、ハワイでの撮影が行なわれた。時代はバブルの真っ盛りで、都内のスタジオでできることをわざわざ海外で撮影することがステータスであり、それがふつうにできた時代。それよりも江夏が35年前のことを覚えていることに驚いた。

 そんな江夏に江川のピッチングの印象を聞くと、こんな答えが返ってきた。

「江川のピッチングを見た時、天性で投げていると感じた。あの時代には珍しいピッチャーだった。そういう意味じゃ、江川というのは異質な存在だったよね。ましてや、所属している巨人が比較的外部からの声がいろいろ入ってくるチームじゃない? これがたとえば、昔の阪神とかそれほど周りからガタガタ言われないチームだったらわかるけど、巨人という、いい意味でも悪い意味でもマスコミの餌食になるところで、自らのスタイル貫いたっていうのはやっぱり敬服する。相当図太い。でも実際グラウンドを離れると、そういう考えがものの見事に吹っ飛んでしまう、ふつうの好青年なんだよね」

 もっと辛辣なことを言うのかと思ったら、江川の本質を見抜き、認めている発言を社交辞令抜きでする。経歴等は大きく違えど、自分のスタイルを確立し、信念を持って投げる姿は酷似していると見ていたのだ。

【アウトローとインハイ】

 ともに三振を取るのにも、それぞれのスタイルがあった。江夏が言う。

「オレ、右バッターのアウトコースが自分の武器だったけど、江川はどちらかといえば高めの胸もとに投げ込む。それであれだけ抑えるんだから、相当真っすぐに自信を持っていたんだろうね。バッターが一番嫌がるのが胸元だけど、ひとつ間違えば長打になる可能性がある。そこを堂々と攻めていけるんだからすごいよね。そういうピッチャーがいないというよりも、通用しない時代だから」

 江夏はアウトロー、江川はインハイが勝負球だった。江夏もルーキー時代は右打者のインハイを勝負球としていた。しかし、少しでも手元が狂えばホームランを打たれてしまう。見た目と違って、繊細で神経質な江夏は完璧に抑えたいと思案に暮れた。

「それまでサウスポーと言えば、右バッターの胸もと、膝もとが生命線だった。プロ1年目はそれで攻めていたんだけど、悲しいかな、コントロールが悪くスタミナも不十分だった。ちょっと甘くなると遠くに飛ばされる。それが辛かった。ひと振りで多いときには4点入ることになる。1年目は234イニング投げて、打たれたホームランは27本かな。ちょっと打たれすぎだよね。

 それでなんとか自分を変えてみたいっていうことで、2年目に入ってこられたピッチングコーチの林義一さんに相談するわけよ。ならば、インコース攻めるよりもアウトコースを攻めれば、と。当時はアウトロー主体の配球をすると、周りから散々非難を浴びた。左ピッチャーは胸元に投げるのが当たり前で、外に投げるなんて考えられない、と。そういう声をよく聞いたよ。でも自分は、そのほうが無難だと思った。打たれたくないんだから、勝ちたいんだから。それでアウトロー主体のピッチャーになった」

 プロのピッチャーたるもの、武器をつくらなければ、何年も第一線で活躍できない。毎年、球種を増やすのではなく、ひとつの球を磨き抜いて自分の武器とする。それが江夏にとってのアウトローのストレートであり、江川のインハイのストレートだった。

 両者とも、三振に対してどのピッチャーよりも高い意識があった。江夏は次のように語る。

「いくら素人でも、バットを持って何回か振ったら一回は当たる。それでも当てられたくない、振られたくない」

 だからこそ、打者からもっとも遠いアウトコース低めで勝負をする。打者がピクリとも反応せず、ストライクをコールされる。これが江夏のロマンである。

 一方、江川はこのように語る。

「バッターが振ってこないと面白くない。必ず振るところに投げたい」

 インハイはバッターにとって絶好のコースであり、一瞬「しめた!」と思ってバットが出る。しかし、江川のインハイはバットにかすりもせず、キャッチャーのミットに収まる。

 見逃し三振は、打者にバットを振らせない、いわばノーリスクハイリターン。一方、空振り三振は、ひとつ間違えれば長打もあるハイリスクハイリターン。同じ三振でも、意味合いはまったく異なる。

 江川の攻めは、ある意味ギャンブルだ。そんな江川を、江夏は心底感心していた。リスクを恐れず自分のピッチングスタイルを貫き通す男を、嫌いなわけがない。ピッチャーとしての本質において、同じ匂いがすると江夏は感じていた。

(文中敬称略)

後編につづく>>


江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している

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